花火

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花火

友人の借金の肩代わりに、僕は借金取りから半ば強制的に、間借りというバイトをさせられる事になった。 曰く付きのこの物件に1年間住むことにより、宅地建物取引業法である、告知義務を解消するためのバイトだ。 最初はどうなる事やらと、不安な日々を送っていたが、そんな生活も、早くも一ヶ月がたった頃。 その日バイト先の喫茶店で、夜勤帯の先輩から花火を貰った僕は、これをどう処分するか悩みながら帰宅していた。 「先輩、これ絶対処分に困って僕にくれたんだろうな、はぁ……」 黄昏荘のボロ看板を見つめながらため息をつき、僕はアパートの中に入った。 埃っぽく澱(よど)んだ空気に顔をしかめながら、階段を登っていると、 「学生さん……」 不意に上から聞こえた艶のある声。 見上げると、明滅する電球の明かりに照らされ、二階踊り場に腰掛ける女性の姿があった。 「あっ……小夜子さん」 思わず名前を呼んで僕は軽く頭を下げた。 暗闇から浮かび上がる、白く透き通ったような肌と、人形の様に整った顔立ち。 見慣れた黒のロンT姿のこの女性こそ、僕が住む曰く付き物件の管理人、小夜子さんだ。 「お帰りなさい、学生さん」 くすりと妖しい笑みを浮かべる小夜子さん、それを下から見上げる僕。 ショートパンツから垣間見得る艶めかしい太ももに、思わず目がいってしまう。 「た、ただいま……です」 気恥ずかしさから目を逸しながら言うと、小夜子さんはまたもや小さく笑みを零した。 「今日も暑かったね……」 「そう……ですね、ニュースでも異常気象だとか言ってました」 連日容赦のない暑さが続いていた。まだ七月だというのに、先が思いやられる。 「あら?それ」 そう言って小夜子さんは、僕が手にぶら下げていた花火を指さして見せた。 「あっこれですか?バイト先の先輩から貰ったのはいいんですけど、この歳で一人花火もどうなんだって、はは……」 苦笑いを浮かべ、僕は頭の後ろを掻いて見せた。 「一緒にする?花火……」 「えっ……」 突然の小夜子さんの申し入れに、僕の頭が思わずフリーズしかけた。 「私とじゃ……嫌?」 「い、いやいやいやいやいや!ああっ嫌じゃなくて、しし、したいです!小夜子さんと……花火!」 「ふふ……じゃあ夜十時、屋上で、鍵は開けておくから、いい?」 「は、はい、大丈夫です」 僕の返事に小夜子さんは頷くと、立ち上がりお尻をパンパンと軽く叩いてから、踊り場から去って行ってしまった。 「よし!」 思わずガッツポーズを取り、心の中で先輩ありがとう!と叫んだ。 普段は面倒臭い事ばかり押し付けてくる嫌な先輩だったが、今だけは心から感謝を述べたい。 僕は興奮冷めやらぬ内に部屋に戻ると、シャワーと簡単な夕食を済ませ、約束の時間になってから、花火を持って部屋を出た。 三階四階と階段を上って行くと、やがて屋上の扉の前までやってきた僕は、いつもは施錠されているドアノブを手に取った。 ──ガチャ 鈍い金属音と共に屋上の扉を開くと、ビルの隙間風が、開いた扉目掛けて吹きこんでくる。 屋上に出てすぐに扉を締め、振り返った。 両端を大きなビルに囲まれているため、どことなく吹き溜まりになっているように見えたが、思ったより屋上のスペースは広い。 辺りを見回すと、中央端の手摺に立ち、外を眺める女性が一人立っている。 小夜子さんだ、けれど……。 「あら、今晩は学生さん……どうかした?」 「あっ……いえ!な、何でもないです」 思わず小夜子さんの姿に、僕は見とれてしまっていた。 目の前にいる小夜子さんはいつものロンT姿ではなく、浴衣を着ていたのだ。 シックな紺色に大輪の椿の花をあしらった、どこか品のある和服衣装姿に、僕の目は釘付けになっていた。 「そんなにジロジロ見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど……」 「ええっ!あ、す、すみません!見ません!いや見たいんですけど見ないというかその」 「くすくすくす……あはははっ」 突然、小夜子さんが身を捩(よじ)らせながら笑いだした。 「え?ええ?」 「ご、ごめん、学生さんの反応っていっつも大げさだから、何だかおかしくって、ふふ、ごめんね、さあほら、そこ座って」 小夜子さんみたいな人を目の前にしているんだから、この反応は仕方がない……と思う。 僕は目のやり場に困りながらも、小夜子さんに言われるまま、予め用意されていた折りたたみの椅子に腰掛けた。 横には木製の丸テーブルまであり、ビールと枝豆まで用意されている。 「ああ、何か色々と用意してもらっちゃってすみません、こういうの本当は僕が用意しなきゃいけないのに……」 「気にしないで、私の方から誘ったんだからさ、ほら花火貸して」 「あ、はい……ん?」 申し訳なく思いながら花火を小夜子さんに渡した、その時だった。 小夜子さんの背後にそびえ立つビルの屋上に、一瞬だが人影のようなものが見えた気がした。
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