夜明け前

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夜明け前

 カチ、コチ、カチ、コチ、静まり返った部屋の中には古い時計の音が妙に大きく聞こえ、時折吹く海からの風が、磨りガラスの窓をカタンと揺らした。 「……ぁ」  真琴が目を開けると、目の前に畳が見え自分の身体に夏用の肌掛けが掛けられている事に気が付いた。ふと視線を巡らせると手に持っていた分厚い本がパタンと軽い音を立て閉じられ、隣の部屋には電気が灯っている事に気が付いた。 〈しまった! 本を読んでいてそのまま眠ってしまったのか〉  身体を起こすと、肩からスルリと肌掛けが滑り落ちたが、構わずそのまま立ち上がり、明かりの付いた奥の部屋と仕切られている襖越しに声をかける。 「浄水君……起きてますか?」  声をかけると、直ぐに奥から布擦れの音が聞こえ襖が開けられた。 「マコちゃん、起きた?」  襖が開くと、煌々とした明かりがこちらの部屋にも広がり、目の前にはその光を遮る様に自分より頭ひとつ分大きな影が現れた。逆行であまり表情は見えなかったが、微笑んでいる様にも見えた。 「えっと、まず……勝手に入ってごめんなさい。一応声はかけたんだけど反応が無くてそのまま中に入ったんだ。そしたら浄水君がうたた寝してたもんだから……その、この部屋の本を勝手に読んでしまってた、まさか自分も寝てしまうなんて思ってもなくて! いや、でも……これは言い訳だな……ごめん」  すると、目の前の章良がスッと身体を横にして真琴を奥へ入る様に導いた。 「良いよ別に、見られて困る訳じゃないし。お茶を入れようか?」 「あ……うん……ありがとう」  章良は、開いていたノートパソコンを閉じて座卓の角へと追いやり、変わりに座卓の下に置いていた保温ポットから湯飲みにお茶を注いで真琴の前へ置く。  こんな夜中に男二人で座卓を挟み茶を啜る。なんだか妙な感じだと思いながらも、何を話して良いか解らず、座卓の上に積んである本を何となく見ていた。 「ビックリしたぜ、起きたら真横でマコちゃんが本持ちながら寝てるしさ、起こしてもぜっんぜん起きねぇんだもん」 「え!? 起こしてくれたの?」 「うん、マコちゃんって何度か肩を揺すったんだけどね」 「ご……ごめん!」  真琴が顔を真っ赤にして慌てた様に、湯飲みを座卓の上へ置いた。 「あんまり気持ちよさそうに寝てたから、俺がそっちへ運んでったんだけど、マコちゃんそれでも本を離さなくてさ、どんだけ本好きなんだって思ったよ」 「あ~~ううう……お恥ずかしい」 「そんだけ疲れてんだって、早朝から夜中までだもん。俺が手伝えるのも知れてるからね」 「まあ、でも東京の店にいた時からしたら、比べものにならないくらい気楽だよ」  真琴の表情が少し曇り、瞳に影が差すのが解った。 「マコちゃん、本好きなの?」  章良が少し重くなった空気を変える為に話題を変えると、真琴の顔がパっと明るくなり、積んでいる本を指でそっと触りながら頷く。 「うん、子供の頃から本が好きで、ずっと空いた時間には本を読んでたよ。ここに来た時も手持ちの本を数冊持っていて、今はそれを繰り返し読んでるんだ」 「へぇ!」 「浄水君も本が好きみたいだけど?」  真琴が部屋に広がる本へ視線を向けた。 「ああ……うん、まあ、好きだったかな?」  何時もはきはきと言葉を発する章良が、この時珍しく何かを誤魔化す様に口ごもった事に真琴を少し驚いた顔をする。 「過去形なの? こんなに本があって?」 「うーん、昔は凄く好きだった……俺には歳の離れた兄貴がいてるんだけど、兄貴が物書きをしてたんだ。売れなかったけど、俺は兄貴の書く話が好きでずっと読んでた。でも、ある時連載を打ち切られてさ……そっからスランプになって酒ばかり飲む様になって、母や俺にも暴力を振るう様になったんだ。まあ、他にも色々原因はあるんだけどさ、それから俺は本を読まなくなった」 「じゃあこれは?」 「…………それは……兄貴の本なんだ」 「え!? 待って、浄水君のお兄さんって新山齋先生なのか!?」 「うん、まあ、そうだね……」  これは、触れて欲しくない事柄なのだな、章良の態度でそう感じた真琴はこれ以上話をしてはいけないと思い、話題を変える。 「えっと……そう言えば、浄水君の歳って聞いて無かったね」 「俺? 言って無かったっけ十九だよ」 「ちょ! え? 未成年!?」 「後半年で二十歳になるよ、マコちゃんは?」 「……君に比べたら、おじさんだよ……にじゅう……ご……」 「うっそ!」  章良が信じられないと言った顔をして、目の前の真琴を上から下まで見つめる。 「そんなにジロジロ見ないで……」  年齢がそう変わらないと思っていた章良が、実は自分とり六歳も年下だった事が解り、急に恥ずかしさがこみ上げて来た。 「マコちゃん、働いてるし当然大人だとは思ってたけど、まさか二五とは思わなかった! すごい童顔!」  髪は艶やかな黒髪で瞳も黒く大きい、何より肌の白さは陶磁器の様にきめ細やかだった。小顔で輪郭も丸い為、下手をしたら学生だと言っても通じる。それとは逆に章良はとても大人びており、背はかるく真琴を超え、体格もガッシリとしていた〈こんな顔してるけど日本人だ〉そう言っているが、髪は明るい茶色で少し癖があり、瞳の虹彩も琥珀色にグリーンとブルーが混じり合う不思議な魅力を持った色をしている。恐らく何処かに日本人ではい血が入っている事は一目瞭然だった。 「う、五月蠅い! 童顔って言うな!! これでも、気にしてるんだ……」 「なに、なに、褒めてのに怒んないでよ、マコちゃんいちいち反応が可愛いよね」 「年上に向かって!! か、可愛いって言うな!」  真琴が顔を真っ赤にして怒るのを、章良はニコニコと笑いながら見ている。真琴は益々顔を真っ赤にして頭から湯気を上げるほど怒っていた。 「も、もういい! 僕は部屋へ戻るけど、浄水君も早く寝なさい」 「いいじゃん、このままここで寝ちゃいなよ、後2時間したら港に仕入れしに行くんだろ?」 「帰る!」  真琴が立ち上がり、部屋を去ろうとした時、章良が周りに積んでいた本を数冊手にして差し出した。 「待ってマコちゃん、これやるよ」 「……え?」  章良が手にしたのは、真琴が好きな作家の幻と言われていた本だった。 「本、好きなんだろ? この島、図書館も本屋もないもんね……まあ他の作家のが良いって言われると困るんだけど、俺もこの人のしか持ってないし。読みたいならどうぞ」  真琴が遠慮がちに手を伸ばし、章良の顔と本を何度も見比べる。これは章良の兄が書いた本で、恐らく彼にとっても宝物に違いないはず。それをこんなに簡単に貰っても良いのだろうかと迷っていた。 「で……でも、これお兄さんの本なんだろ? しかもこれは部数も少なくて発刊されて直ぐに回収されたやつ……」 「へぇ! 詳しいね! そう、これは多分市場に出たのが一日も無いんだ……とても貴重だとも言えるけど、逆を返せば闇に葬られたってやつ。本を書くって楽しいけど、そこに至るまでの資料集めや調べる事も含めたらどんなに短い話でも、作者にとってはどれも特別なんだ……出した以上は読んでもらいたいって思うのが正直な気持ち。ずっとこの作者が好きで良さが解る人に渡したいって思ってた。だから、本の虫のマコちゃんに読んでほしいな」 「君は、読んだの?」 「うん、読んだよ」  迷っていた真琴だったが、差し出された本を手に取り表紙を愛おしそうに撫で、大切そうに胸に抱き込んだ。 「ありがとう、本当に嬉しい……大切に読むよ」 「うん、俺も嬉しい」  章良はそんな真琴を見て、心底嬉しそうに微笑んだ。 「僕は朝港へ行くけど……浄水君は眠ってて良いから」 「いや、このまま起きてるから俺も行くって」 「そっか、じゃあ後で……お茶ご馳走様でした」 「うん」  本を両手で大切に抱いたまま、真琴は静かに部屋を出て行った。章良は暫く真琴が飲んでいた湯飲みを見つめて、またノートパソコンを開きカタカタと軽快に何かを打ち込み始めた。  書いている物は「無題」となっているが、保存されたファイル名は 【niiyama sai】  そう書かれていた。 〈続〉  2019/06/08 海が鳴いている4  八助のすけ  
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