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「どうして? どうして! 友達だと思っていたのに!!」  まだ大人になりきれていない少女の叫びが古い聖堂の中に響き渡った。  薄暗いその場所にひとり取り残される恐怖よりも、ただただ信じていたものに裏切られた悲しみと問いかけの叫び。  凛としたかつて輝いていた表情は見る影もない。  その叫びに向かい合うもうひとりの少女の顔が失笑しながら呟く。 「都合のいい言葉よね、『友達』って……」  呟きながらひとりの少女を置き去りにして、古い聖堂を後にした。  ここは日本本土から少し離れた、とある人物が所有する島。  個人所有できる島なので、広さもたかだか知れてはいるが、建物ひとつ建てて事業を始めるには充分な広さであった。  その人物は自分の資財全てを投資して、その島にひとつの学校を設立した。  『聖女学園』その名の通り、男を知らない清らかな少女だけが通うことのできる学校といえば聞こえがいいかもしれないが、本土から離れた場所にあるこの学校は隔離されているようにも見え、言わば外敵から守り飼育されていく籠の中の鳥そのものの状態と言ってもいい。  それでも少女たちの憧れの学園であり続けているのには、政界や財閥のご令嬢が通い、この学園を卒業した生徒の多くが著名人との縁組に恵まれ更なる富を掴んでいるからだろう。  そんなこの学園の生徒の多くはお金持ちと思われがちだが、全校生徒の七割とそう多くもなく、一般庶民は三割と、そう少なくもない。  また、一般の三割とお金持ちの六割は島の中にある宿舎にて生活しており、一般も金持ちも差別なく、同じものを共有することで、格差による差別心を植えつけないよう教育もされていた。  特殊とも思えるこの学園に進学しようとひとりの一般人が思ったのは、今から二年前の夏のこと。  それまではこの学園の存在すら知らなかった、水島久留美(みずしま くるみ)がそんな希望を抱いたのは、インターネット上で知り合った、ひとりの少女との出会い。  ◆◇◆◇◆  中学生で自分だけの携帯電話を持っている人ってどれだけいるだろうか。  ごくごく普通の、どこにでもあるような中流家庭の真ん中くらいの家庭に生まれ育った水島久留美にとって、自分だけの携帯電話を持つことがとりあえず今の欲しいものランキング一位を独走中。  あと一年、高校生になったら持たせてくれるというのは、去年自分の誕生日に父親との約束を取り付けているが、中学三年にもなると次第に周りの友達も自分だけの携帯電話を持ち始め、一年先まで待ってはいられない春、桜が散り始めた頃。  二年から三年への進級の際、クラス替えがなかった分、余計自分だけ置いていかれているような疎外感が付きまとう。 「ねえ、パパ」  四月月末、父親の給料日から数日経った土曜の昼下がり、母親が出かけた隙を見計らって甘い声で強請り作戦を試みる。  久留美の上には今年大学受験を控えた兄がひとり、下には小学五年生になる妹がひとりいる。  兄が結構出来る分、兄ちゃんに出来たんだから久留美だって本気だせばやれないことはない、それが両親の口癖で、携帯電話にしても兄は自分でバイトしてお金溜めて買い、毎月の使用料もバイトをして支払っている。  だから高校生になったら持たせてくれるというよりは、持つ許可はしてやるけれど、自分でやりくりをしなさいと言っているのである。  そうなると、最初にかかるお金を少しずつ溜めていかなくてはならない為、毎月貰えるお小遣いも節約しなくてはならない。  流行の洋服も欲しい、みんなが読む雑誌や本も読みたい、たまにはファストフードでおしゃべりもしたい。  中学三年にもなれば、興味は広がりまたひとりだけ外れたことはしたくないと必死に周りに合わせていたい年頃。  それをどう両親にわかってもらうかが、久留美にとって最大の難関でもあった。 「お小遣いなら、ママから貰いなさい」 「それはもう貰った」 「じゃあ、なんだい? パパもお小遣い制だから、久留美にだけ特別何かをしてやるわけにはいかないぞ?」 「わかっているよ、そんなこと。ただ……」 「ただ、なんだい?」 「携帯電話、制限かけてもいいから、今から持っちゃダメ?」  携帯電話の言葉が出た途端、父親の口から溜息がこぼれる。 「また、その話か? なんでそんなに携帯電話が欲しい?」  なんでって、周りが持っているから。  今の久留美にはそれ以外の理由はない。  でも、それでは父親を説得できないことは、もう充分味わっている。  みんなってどれくらい?  クラスの全員が持っていて久留美だけ持っていないのか?  そんなことはない、むしろ持っていない人の方が多いのも事実。  だけど、持っている人の方が目立ち、持っていない人の方が肩身狭いのも事実。  子供には子供なりの弱肉強食な世界がある。  例えば妹の場合、流行のゲーム機とソフトを持っているかどうかでクラスの中での位置づけが決まってしまったり……たまたま兄がそのゲーム機とソフトを持っていて、飽きたからと妹に譲った為に妹は今もクラスの中心で勝ち組の中にいられている。  でも久留美は違う。  兄にとっても父にとっても携帯電話は必需品らしく譲ってくれそうな気配はない。 「メール、したいの」 「メール?」 「うん。長電話しなくて済むでしょ? メールなら」  学校で会って、帰宅途中立ち話してそれでなおかつ夜の長電話、確かにいい加減にしなさいと叱った記憶が父にはあった。  歳を幾つ重ねても、女のおしゃべり好きにはついていけず、そのおしゃべり好きには歳は関係ないのだと、妻と娘の久留美を見て思う父だった。 「確かにな。メールなら……だが、次の日学校で話せば済むことだろう」 「そうだけど、塾とか行き始めた子とかいて、あまり話せないんだよ」 「どうせ強請ってくるなら、久留美も塾に行きたいって言ってくれた方がパパとしては嬉しいんだが」  父の言葉に、あっ! と思った時はもう遅い。  塾に行きたい、夜遅いのは心配でしょ? 携帯電話持ってもいいでしょ?  このパターンがあったが、今ではもう手遅れ。  今回も久留美の惨敗で幕を閉じたのだった。  それから暫く、久留美の口から携帯電話を強請る話が出ないまま時間が過ぎていく。  ゴールデンウィークが過ぎると中間テストの準備期間に入り、久留美としても現状維持か成績を上げないことには次また携帯電話を強請る時の手持ちカードが減ることになる。  その甲斐があってか成績はまずまず、母親の機嫌もよい週末の夕食時のことだった。 「あら、パパどうしたの? その荷物」 「ああ、これか? 会社で使っていたものなんだが、新しいのに替えるというのでね、譲ってもらってきた。まだまだ現役で使えるのに捨てるのは勿体無いからね」 「確かにそうですけれど……うちにあるものより古いタイプなのでしょう?」 「はじめて使うんだ、何も新しいものでなくてもいいだろう、ママ。久留美も頑張っているみたいだし。メールするくらいなら、まったく問題はない。これが置けるよう部屋を片付けなさい、久留美」  黄ばんだ本体とキーボードが箱から出されていく。  父が使っているのより重量感があるパソコン一式。  それでも久留美にとっては最高の贈り物だった。  そう、携帯電話よりもはるかに――  一家に一台パソコンの普及率は携帯と比べるとかなりの開きがあるし、ましてひとり一台パソコンなんて久留美の世代では夢のまた夢で、携帯電話を持つより難しい。  約束はふたつ、成績を落とさないこと、寝坊して遅刻をしないこと、それが守られている限り、インターネットで遊ぶこと、メールのやりとりをすることを許された久留美が、自分だけのメアドを持ち学校で自慢したのは言うまでもない。
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