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#4
『木の実さん、ここ見ていますか? 私ね、予定より少し早く日本に戻れそうなの。できれば同じクラスになれるといいのだけれど』
冬休み、帰省した久留美が忙しさも一段落した三が日が過ぎた頃、あのSNSにアクセスをすると、久留美宛てにこの葉からコメントがきていた。
二学期の期末テスト間近にひとりの転入生が久留美のクラスに。
担任が紹介した時、中学を卒業してから少しの間海外を数国転々としていた関係で、本当はみなさんよりひと学年上になるのですが、本人とご家族のご要望よりひと学年下に編入することになった……と、説明していた事を久留美は思い出す。
帰国子女が転入してくるのは別に珍しいことでもない。
夏休みが明けた二学期はじめ、隣のクラスにひとり転入してきている。
学年をひとつ下げての転入も珍しくないと、思う。
それらのピースをまとめていくと、正式には三学期からになるけれど先にご挨拶だけ……として紹介してくれたあの転入生、椿山夏帆(つばきやま なつほ)がこの葉ではないだろうかと久留美は思う。
貰ったコメントは11月、ちょうど文科系部活の発表会があった頃。
ひと月程度で帰国しても矛盾はない。
『この葉さん、久しぶり。返事遅くなってごめん。もう日本にいるのかな? 実はね、この葉さんのように海外にいたって人が三学期に転入してくるの。偶然なのか同一人物なのかわからないけど、その人がこの葉さんだといいな』
『返事ありがとう。返事もらえて嬉しい。実はね、もう日本に戻っているの。聖女学園にも一度行ったのよ』『そうなの? もしかして、椿山さん……じゃないよね?』 文字を打っている間一瞬だけ迷ったけれど、久留美は思い切って書き込みをしてみた。 短い間でのやりとりが、突然ぱったりと返信が途絶える。 そこそこ親しくなったとしても、個人を特定し兼ねない事を訊ねる行為がマナーに反していることは久留美もわかっている。
だけれどどうしても聞かずにはいられなかった。
ここで『違うよ』とでも返ってくれば、それ以上聞くつもりもない。
それくらいの気持ちだったけれど、この葉さんは違ったらしい……そう受け取った久留美はその日を最後にそのSNSにアクセスすることはなかった。
◆◇◆◇◆
「思い切ったことしたね」
冬休み明けの寮の相部屋、久留美は半月ぶりに会ったルリにその事を話す。
「うん。なんかこの流れなら聞けるかな~って思っちゃったんだよね」
「あ~、わかるよ、その気持ち。自分の考えた推測が当たっているんじゃないかって思うと、つい聞きたくなるよね。私も実はね……」
久留美の話を聞き終えたルリが今度は話し出す。
大好きな『桜の下で』の作者帆波の存在があのSNSから消えた憶測は、別のサイトにあるファンクラブの中でも話題の話らしい。
素性を全く明かさない帆波だが、唯一わかっているのはまだ十代であるということ、女性であることだけ。
『桜の下で』の世界観から想像する作者像が先行し過ぎて消えたのではないかという噂もある。 そんな中、とても貴重な情報があったと嬉しそうに話す。「それ、本当なら凄いよね」 ルリといる時間が長くなったせいもあり、今では久留美も帆波自身のファンになっていた。 その帆波が近くにいるらしいという話はとても興味がある。「でも、私の実家からは遠いのよね。久留美ちゃんの方が近そう」「うん、確かに。でも、それでも近いって距離じゃないよ」 都心近県に住んでいる久留美を羨ましがるルリだが、都心部といってもかなり広い。 都心近県から離れたところに実家のあるルリからしてみたら、近県というだけで羨ましいらしい。
それからふたりはそれぞれの憶測を語り話が弾む。
ちょうど連載が途切れた時期から推測して受験生じゃないか、という憶測が一番真実性があると更に盛り上がる。
そうなると、高校受験なのか大学受験だったのかで盛り上がりは最高潮。
高校受験だったら、当然ふたりと同年代になる。
同じ歳の人が書いた作品となると、より作品の世界観に共感かつ感情移入しやすくなる。
もう一度読み直したい、ふたりは明日から三学期だというのに、ベッドの中に入ってもスタンドの明かりの下、本の活字を朝方近くまで追いかけていた。
翌日の三学期初日、期末テスト間近に三学期から転入すると挨拶に来た椿山夏帆(つばきやま なつほ)が担任と一緒に教室に入って来る。
制服を着た彼女は改めて教壇の上から挨拶をした。
「改めて、はじめまして椿山夏帆と言います。親の仕事の関係で海外に暫くいましたが、日本の大学に入りたく、私だけ先に帰国しました。両親はまだこちらに戻っていませんので、長期休みもここの寮に残る予定でいますので、よろしくお願いします」
小柄で女の目から見ても守ってあげたいと感じさせる、そんなイメージの夏帆はすぐクラスにも馴染み、椿山と言えば結構有名な一家であることを同じクラスのお嬢様方が話しているのを聞いて久留美たちは知る。
久留美やルリのような一般的な家庭で育っている者が安易に海外で生活とかできるはずもなく、久留美の中でこの葉が夏帆であるという推測も瞬く間に訂正しなくてはいけない感じになっていた。
――というより、そんな都合のいい偶然なんてないし、ネットの世界久留美の話に合わせてくれただけなのかもしれない。
「お父さんが有名な音楽家で、お母さんがその音楽家の元生徒……世界で活躍する音楽家の娘か~」
ボソッと呟く久留美の様子に、ルリはクスッと笑う。
「仕方ないよ、この学校の殆どがお金持ちさんの子供だもん。そのお金持ちさんたちが寄付金いっぱいくれているから、私たちのような庶民でも庶民的な料金で通えているわけだし」
「そうなんだけどね……」
「あら、そんなことないわよ。うちも昔は大変だったんだもの」
突然ふたりの会話に入り込んできたのが夏帆本人で、息が止まる程驚く久留美たちふたり。
――が、そんなふたりの様子などお構いなしに夏帆は一方的に話す。
「父が脚光浴びたのはほんの数年前よ。それまでは母もパートで働いたりして家計助けていたり。そういう記憶が残るくらいの歳まで一般的な庶民生活レベルより低かったのよ。ねえ、あなたの持っているその本て、『桜の下で』よね?」
自分はお嬢様というよりは庶民的な方よと主張した直後、ルリの持っていた本に興味を示す。
これがきっかけで、三人はよく一緒に行動をする事になる……緩やかなウェーブのかかったボブヘアで小柄な夏帆、長い黒髪をおさげに結び読書好きなルリ、ポニーテール結びで人並み程度の好奇心を持っている久留美、三人の感情が絡み合う幕開けになる。
◆◇◆◇◆
春、聖女学園ではクラス替えはなく一年の時のクラスのまま三年間を過ごすが、寮の部屋は希望を出せば可能な限り相部屋となる相手の変更ができる。
相部屋はふたり・三人・四人用があり、殆どの生徒はふたり部屋を希望する為、三人・四人部屋を希望するとほぼ要望が叶う。
それもあり、久留美とルリそして夏帆は三人でひと部屋になるよう要望を提出。
希望が叶った事もあり、学校の休みには必ず帰省していた久留美も引っ越し作業を理由に寮内に残ることにした。
二年という学年は入学式に始まり、夏休み中のオリエンテーリングや秋の発表会、卒業式まで中心となって動かなくてはならなくて、帰省する生徒の方が少ない。
ルリが入学式と新入生歓迎の担当になり、一緒にいる時間が減り代わりに夏帆といる時間が増え、もうすぐ新学期が始まるというある日のこと、少し言い難そうな雰囲気の夏帆に声をかけられた。
「あのね、久留美。怒らないで聞いてくれる?」
「どうしたの、改まって」
「うん。あのね、久留美って木の実ってハンネで小説書いている?」
「いきなり何を言い出すのかと思ったら。なんで?」 そう聞き返しながら久留美の脳内では、冬休みの出来事が一気に思い出されていく。 やっぱり、夏帆がこの葉なんだという確信と共に。「もしそうなら、謝らなくちゃって思って」
「どうして、謝るの?」
「この葉は私じゃないかって聞かれて、私はそうとも違うとも言えなくてコメント無視しちゃっていたから」
「私がなんで木の実だと思うの?」「『桜の下で』持っていたでしょう? 最初はルリが木の実かな~って思ったんだけど、ちょっと雰囲気違うから。同室になって気づいたんだけど、久留美も持っていたでしょう、同じ本」
何度か話している中で、久留美は学校の事も話している。
『桜の下で』を読んで小説っぽいのを書き始めたこと、その本がきっかけで友達ができたこと。
私は木の実じゃないよ……と言ったところで、木の実ではない別の人を演じられるほど器用でもない。
「意外と狭いね、世の中って」
「じゃあ、やっぱり久留美が木の実?」
「水島久留美、私の本名。くるみだから木の実、にしたの。まさか『桜の下で』を持っていたからってことで当てられるとは思わなかった。やっぱり凄いね、この本。そして作者の帆波」
久留美は単純に、別に何か意味を含むわけでもなく、本当に単純にそう思って口にしていた。
だけれど『桜の下で』を話題に話を進めようとすると、夏帆は少し困ったような顔をする。
それは一番最初に声かけてきた時もそうだった。
ルリはこの本の話題を振られると少し人見知りする性格が嘘のように、積極的に話をする。
本の事を聞かれ、ルリも本心で本の事を褒め自分にとってとても大切なものなんだと言う。
だけれど、話を振った本人の夏帆の顔はルリと対照的に殆ど無表情だった。
久留美はその事に気づき、触れてはいけないことなのかもしれない、そう思いできるだけルリと夏帆の前でその話題がでないよう心掛けていたのに、つい夏帆の方から振られたものだからその勢いでルリ寄りの絶賛をしてしまう。
――が、だんだんと口数が減っていく夏帆の様子に気づいた久留美は思い切って話の矛先を変えてみた。
「仕方ないよ、突然素性教えてよみたいな感じだったもんね、私のコメント。知りたいって願望に良心が負けてしまった。こちらこそ、ごめん。でもありがとう。この葉さんから声かけてくれて」
「うん、そう言って貰えて私も嬉しい。でも、この葉はやめて。私は夏帆。そして久留美は木の実じゃなくて、久留美。でしょ?」
「だね。でもさ、どうしてネットと現実をきっちりと区別したいの? 『桜の下で』の話題も実は好きじゃないでしょう、夏帆」
夏帆の表情が強張る。
「嫌いじゃないよ……ただ、あまりいい思いがないだけ」
「いい思いがないって?」
「うん……ほら、その当時流行っていた歌聞くとその頃思い出してしまうっていう、ああいうのに近いものかな」
一般的な庶民生活より下の生活をしていた頃もあったと、夏帆が言っていたことを思い出す。
だけど数年前って言っていた。
この本が出版されたのは久留美が中学の頃、一年半と少し前くらい。
だけれど、その前はサイトで掲載されていたもので、それを読んでいたことを指していたのなら、あてはまるのかもしれない。
「ごめん。本や内容に恨みはなくても、そういうのってあるよね。実は私もそういうのあるんだ。某女性アイドルグループの歌なんだけど、それ聞くと嫌なこと思い出すの。歌やアイドルに恨みはないんだけどね」
その場しのぎとかではなく、久留美にもそういうものがあり、夏帆のどうしていいかわからないような気持ちもわかる。
好きだという人の前で、実は私には……なんて真逆のことは言えない。
久留美の言葉に夏帆がぎこちなく笑う。
多分それが今の夏帆には精一杯のことだったのだろう。
なんとも言えない空気が漂う中、久留美が夏帆に話をふる。
「夏帆もああいう作品読むって知って、更に親近感アップだよ。ねえ、夏帆は自分で書こうって思ったことはないの?」
「私? どうだったかな。実はね、あまり国語の成績よくないの」
「あ~、私も私も。実は本そのものを読まないから、夏休みの読書感想文とか苦手だった。苦手というより嫌い」
ここで意気投合、嫌な空気が消えていった。
◆◇◆◇◆
気持ち的なゆとりがある二年生の時間の経過は早い。
期末テストが終わると、オリエンテーリング担当になった久留美は更に慌ただしい時間を凄く羽目に。
去年同様、夏休みは寮で過ごし八月のオリエンテーリングに参加する予定だったルリと、転入した時の挨拶を実行するつもりでいた夏帆のふたりは、七月を夏帆の父親の知り合いが経営しているリゾートホテルで過ごすと言う。
それならばと久留美は一度帰省して八月に戻って来るという予定で夏休みに入った。
帰省することになった久留美はテスト休みもほとんどゆっくりできず、寮と学校の往復に費やし、その間、夏帆とルリの間が親密になっていく。
ルリを取られたという感覚ではなく、どちらかといえばルリが執ように『桜の下で』の話をしたがっていないか、それが気がかりだった。
そんな久留美の心配は夏休みに入って早々に的中する。
ルリの帆波大好き病が炸裂しているとはまだ知らない久留美は、久しぶりの実家でのんびりとしていた。
やはり娘と離れて暮らす寂しさというものもあるのか、一緒に生活をしていた頃とは比べ物にならないくらい両親が優しい。
その優しさについ甘えて強請ってみた携帯のパケ定額もやっとこの夏解禁に。
自室にこもり、携帯であのSNSにアクセスをしてみた。
見たいという願望よりは、夏帆があれからどうこのサイトに存在していたのかが気になっていた。
『木の実さん、ここ見ている? 学校にいる間はネットできないって言っていたから、実家に戻ってここ見てくれているといいのだけれど』
自分宛てのコメントの日付は、久留美が実家に戻った日、夏休みに入ったその日だった。
三人は同じ日、同じ時間に寮を出ている。
学園のある敷地から本土に行くには、専用の船しか移動手段がない。
本土に着くと久留美は駅に、ふたりは空港に行くバス停へと別々の方へと向かう。
その日の夜に書きこまれたコメントになる。
『気づかなくてごめん。この間やっと携帯のパケ定額の許可が出て、これからは学校でもネットできるようになったよ。何かあったの?』
書き込みがあってから既に一週間近く経過している。
毎日確認してくれていたとしても、返信がない状態が続けば次第に遠のく。
久留美がそうだったから、夏帆も日参しているとは限らない。
だけれど待たせたにも関わらず、返信は書き込みしてから数分であった。
『連絡ありがとう。パケ定額許可出たんだ、おめでとう。実はちょっと困ったことがあって……ルリなんだけど……』
『ルリがどうかしたの?』
ルリのハナネを知らないふたりは実名をあげてしまっている。
ここをルリ本人が見ている確率は少ないが、久留美が木の実というハンネを使っていることは知っている。
ただ、夏帆が以前話したこの葉であることは言っていないが、ここを見たらこの葉が夏帆であるとすぐに知れてしまう。
だけれど今のふたりには、そんな危機感を抱けるゆとりがない。
『彼女の帆波贔屓は私も覚悟していたけれど、正直ふたりっきりだときついの。ねえ、八月と言わず明日でもいいからこっちに合流できない? 旅費はこっちで持つから』
『旅費持つって言っても、こっちは都心近県でこの葉さんたちは南の島じゃん。簡単に出してもらえる額じゃないよ』
『うん、自覚している。きっとお父さんに頼んでもすぐに頷いてはくれないと思う』
それでも久留美に来てほしいと言う夏帆の願いを無視できない。
あまりかかわり合いたくない話題でも嫌と言わず付き合っている夏帆の事を思うと、すぐにでも駆けつけてあげたい。
『だったら、寮に戻って来ない? それだったら私も明日明後日くらいには戻れるし』
『誘ったのは私よ。その私から寮に戻りたいとは言えないわ』
その意見ももっともだった。
だったらルリの方から寮に戻りたいと言わせればいい。
久留美は明日一日待ってと夏帆に伝え、別のサイトへと移る。
ルリが一番反応するものといえば、帆波に関すること。
私設ファンクラブに幾つも在籍をし、常に帆波の情報にアンテナを張っている。
ならば、ルリより早くルリが食いつきそうなネタを掴めばいい。
確か、帆波は都心近県に住んでいるらしいという話が以前出ていた。
検索して上がってくるファンクラブには当然ルリも在籍している確率が高く、そこで情報収集をしても意味がない。
ならばと違う方法を考えてみるが、探偵に頼むとかお金かかりそうなことしか思いつかない。
そこで久留美はひとつの賭けに出ることにした。
なんの変哲もない、ごくごく普通のQ&Aサイト。
そこに『「桜の下で」の作者帆波さんの今を知りたいです。今も作家活動しているのであれば、読めるサイトとか教えてください』と質問を書きこむ。
ルリが見て書きこむ確率もある。
だけれどファンでもなんでもないけど知っている人が書きこんでくれるかもしれない。
それを願い、一日待つことにした。
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