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#5
季節は秋。
夏休みのあの日、やはりそう上手く物事が運ぶはずもなく、久留美の計画は無駄に終わり、ルリには直接オリエンテーリングの担当を手伝ってほしいと泣きつき早めの帰還を願った。
もともとひとりを好むルリが人から頼まれ事をされる方が珍しく、南国バカンスも捨てがたかったけれど久留美の願いを優先してくれた。
ひとりで残ってもつまらないと夏帆も一緒に戻り、結果三人で残りの夏休みを過ごしたのだった。
二学期になると発表会に向け文科系の部活動が盛んになる。
どこにも所属をしていない三人だが、夏帆はそのスタッフで下準備に明け暮れ、久留美とルリは去年見る事の出来なかった演劇と吹奏楽部の公演チケットを取ることに熱意を注ぐ。
夏休みのあの日、ネットに書き込みをしたことをすっかり忘れ、三人でいるとわだかまりもなく、むしろ書き込みがなかった事がよかったかのように思えていた。
ところがそうそう物事は都合よく動かない。
今年の発表会には外部から招待演目というものが追加された。 椿山夏帆が編入してきたことで、学園側から夏帆の父親に演奏の打診をしたのだ。 娘が世話になっているのだからと、快く引き受けたみたいと夏帆が言っている。 特別な今年に限り、保護者ひとりだけ生徒が招待することができる、それを親に伝えると久留美の方は父親が来ると言い出し、ルリの方は予定が合わず来られないと言う。
この時、久留美の父親が来るとさえ言わなければ違う方に運命がそれたのかもしれない。
古い聖堂をこの日の為に少し改装をしてピアノを入れ木の椅子の補強をする。
近々取り壊す予定でいた聖堂は思っていた以上に古いが、夏帆の父親が奏でるピアノの調べはその古さも活かし素晴らしい演奏を聞かせてくれる。
演奏し終えた時、隣で聞いていた久留美の父親が言う。
「まさか久留美と椿山の娘が同じクラスだったとは……」
「お父さん、夏帆のお父さんを知っているの?」
「知っているも何も、小中学と同じクラスの幼馴染だ。去年一時帰国をすると連絡があったんでね、久しぶりに同窓会を開いたんだよ」
去年の一時帰国って、夏帆の編入手続きか何かだろう。
「そうなんだ。凄い偶然。しかも世界で活躍している人と幼馴染だったなんて」
「それそれ、実は最初にピアノを習っていたのはお父さんの方だったんだ。才能はなかったが。だが、そういう方向への才能というものは受け継がれるものなんだな」
父親にそういう才能があれば、自分も少しは秀でたものがあったかも……と、久留美は思う。
例えば、創作。
今まで忘れていた何かが音を立てて目覚めていく。
「確か椿山の娘、中学の時に作家デビューしていたはずなんだが。なんてペンネームか久留美は知っているか?」
「もしかして、帆波って言わない?」
なぜ夏帆が帆波だと思ったのか、その理由は特にない。
今時、中学生で作家デビューも珍しくはない、それは久留美自身が時々使っているSNSでも証明されている。
帆波の『桜の下で』が書籍化した以降も定期的に人気作品は書籍化され中にはドラマ化されたものもある、新人作家がデビューしているのか本当のところはわからない。 夏帆だって別の方法でデビューしているかもしれない。 それでも久留美は帆波が夏帆なんだと思った。「そうそう、そんな名前だったな……なんとかってサイトで小説を書いたら書籍化の話がきたんだってさ。折角だし、記念に作ってもらえ的な感覚で承諾したけど、若い子の読む作品はよくわからんと言っていた。久留美はそういうのやっていないのか?」 やっているよ……久留美の心の声がそう答える。 だけど実際の声は違う。「してないよ。私だって自分っていうのわかっているもん。凡人の娘だよ?」 声が震える。 他人の才能を妬むというのとも違うこの感覚。 この感覚は夏帆との距離、見えない大きく高い壁。 裏切りにも似た感情が湧きあがっていく。「ああ、確かにお父さんは凡人だけどな……お母さんは違うぞ。今では専業主婦しているが、久留美がお腹の中にいるってわかるまで現役で働いていたんだ」
「知ってる。水泳教室の先生だよね。学生時代、水泳の選手だったって。でも私はお母さんの才能は受け継いでいない。体育の成績悪いの、知っているでしょう?」
「知っているさ。小学校の時カナヅチで居残りさせられたんだよな、久留美は」
特に勉強ができるわけでもなく、かといって運動神経がいいわけでもない。 芸術的なもので秀でたものがあるわけでもない。 だったらひとつくらい何か光るものがほしい――例えば卒業学校が有名とか…… そんな些細なもの、そう思う人もいるかもしれない。
有名な学校を出たら輝かしい人生が約束されているというものでもない。
それでも何十年か先、思い出話のいい話題になるかもしれない。
「悔しくて、お母さんに泣きついたんだよ。おかげで、運動神経は悪いけど水泳だけは人並み以上」
「久留美は頑張り屋だからな。やればできる子なんだが、追い込まれないとやらないんだよ。そういうの、勿体ないと思うぞ」
「でもね、お父さん。追い込まれて必死に頑張ってもどうにもならないものだってあるんだよ。天性のものってあるじゃない? 私のはなんだろうね」
久留美の問いかけに、父は的確な答えを言わず、ただ頑張りなさいとだけ言い残し本土へと帰って行った。
自分に自信のあるもの、唯一胸張って言えるもの、それがなくても人生多分困ることはないと思う、それくらい久留美にもわかっている。
才能ある友達、自慢できる友達、それもひとつの宝物で胸張って言えるもの。
友達の才能を妬むつもりはない。
友達ならその才能を褒めるし、成功すればおめでとうと言えるし、是非言いたい。
夏帆が帆波であるのなら、それは喜ばしいことなのかもしれない、考え方によっては。
あんなに素敵な作品を書ける人が友達なのだから。
でも今の久留美にはそう思えなかった。
久留美とルリがどれだけあの作品を好きか、夏帆は知っている。
特にルリは異常なくらい崇拝しているのだ、帆波を。
だけれど夏帆は帆波の事に触れられたくはない、『桜の下で』にはいい思い出がないと言う。
それ、ファンの前で普通言うかな?
許さない、許さない、許さない!
◆◇◆◇◆
「ねえ、ルリ。帆波の今って知っている?」
夏帆は発表会の後片付けでまだ寮に戻っていない。
三人の相部屋になってから、部屋でも教室でも三人はほぼ一緒で、誰かが欠けてふたりになる確率が少ない。
帆波に関する話題をするのなら今しかないと久留美は思った。
「久留美ちゃんとその話するの、久しぶりだよね。実はね、ちょっと進展があったの」
嬉しい情報でも得たようで、ルリは目を輝かせ少しもったいぶる素振りを見せた。
「焦らさないで教えてよ、ルリ」
「うん、じゃあね、久留美ちゃんにだけだよ。実は帆波さん、別のペンネームで活動しているらしいの。ただ、その真実性の確認が取れていないから、一部の人だけの情報なの」
ペンネーム? 実はSNSなどのサイト内にある小説機能を使った場合、たいていはSNS登録時のハンドルネームが適用され、作品を書く為のペンネームというものを別につくることができない。
ルリの言うペンネームがハンドルネームを指しているのだとしたら、この葉というハンネが帆波らしいということがバレかかっているということだろうか……と、先読みをする。
「なんてペンネーム?」「ん~それはちょっと……」「そっか、一部だけの情報だっけ。他には?」「そうだな~そういえば、海外に行ってしまったから新作の更新が止まってしまったらしいって噂がちょっと出ていたかも」
海外に行ってしまったから? ああ、やっぱり夏帆が帆波、この葉が帆波なんだと久留美は確信する。
「ねえ、ルリ。実は私もちょっと情報得たんだよ」
そう言うとルリは前屈みになって久留美の顔をじっと見る。
久留美はゆっくりと唇を動かした。
「今日お父さんがね、夏帆のお父さんと幼馴染だったんだって言ってたの。去年一時帰国した時に同窓会開いたんだって。その時、娘が作家デビューしたって言っていたって。ねえ、娘って夏帆のことだよね」
「そうじゃない? 夏休み、一緒に南国リゾート行った時、家族の話したのね。その時、ひとりっこって言っていたもん。でも凄いね、夏帆ちゃん。作家さんだったんだ…… でも、それと帆波とどう関係があるの?」
「まあまあ、そう焦らないでよ。私がSNSでこの葉さんって人が聖女学園に転校してくるかもしれないって話したの、覚えている?」
ルリが一回頷くと、久留美は一呼吸して話を続ける。
「実はね、そのこの葉さんが夏帆だったの」
「えっえぇぇぇぇ……! 凄い偶然。なんで今まで黙っていたのよ~」
「ん~なんていうか、ちょっと気まずくなっちゃっていたから、その私の木の実と夏帆のこの葉の間が」
コメントへの返事がなかったこと、この葉が返事できなかったこと、その経緯はふたりだけの事のように久留美は思っていたし、SNSでの書き込みやりとりをルリに話していたという事を夏帆に言うのも気が引けて言わなかった。
「ネットも結局のところ人間関係だもんね。いろいろあるよね。気にしないで」
ルリの気遣いにありがとうと短く礼を言い、話を続ける。
「ねえ、帆波のもうひとつのペンネーム、この葉って言うんじゃないの?」
「久留美ちゃん、それは違うよ。久留美ちゃんは、夏帆ちゃんが帆波さんじゃないかって、言いたいの?」
「そうよ」
「根拠は?」
「あるよ。今まではなかったけど、ルリが今教えてくれた事でできた。海外に言ったから新作の連載が止まった……ねえ、その連載が止まった時期って覚えている?」
「確か……私が中学三年の時の秋位」
「新作の連載が始まったのが夏休み位だったよね……」
「う……ん……」
「お父さんの話だと、義務教育まではお母さんと日本で暮らしていたんだって。高校は海外の学校に行く事になっていて……向こうの学校の新学期は九月なんだって、その間語学学んだりしながら日本と海外を行き来していたみたい。秋になって留学して更新ができなくなった。どう?」「凄い、その推理。でも、じゃあどうして黙っていたのかな。私が帆波さんの作品好きだって知っていたのに」
「問題はそこよね。実はね、『桜の下で』の話をされるのが嫌だって言ったの、夏帆。夏休みの時も、その話をするルリといるのが辛いって言ったの。だったらあの時、『桜の下で』を読んでいたルリに声かけたんだろう。作家先生の気まぐれなのかな。私にはわからないよ」
その言葉は怒りに震え、表情は悲しい。
ルリは何も言えずただ目が宙を彷徨う。
久留美を見ているのが辛いけれど、どこに視線を持って行っていいのかがわからない、そんな感じだった。
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