風穴

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風穴

「だいぶ高いところまで、登ってきたなぁ」 君は息を切らしながらも、足を止めることはない。こめかみの辺りを汗がつたうのが分かる。時たま木々の間を風が抜けるが、それ以外はむんとした空気がそこら中を満たしていた。ありがたいことに、ここはまだ、森林限界には到達していないので、自然体のままに育った樹木が、直射日光から私達を守ってくれている。下界に比べたら、だいぶ涼しい方なのだ、これでも。 足場がおぼつかないのは、ほどほどに大きな石がそこら中にごろついているからだ。石段になるほどは整った配置になっていない。自由奔放にぶちまけられた石の上や間を縫っていかなければならない。浮石に気をつけて、一歩一歩を踏みしめなければいけない。湿り気のある葉っぱの上なんかも、滑りやすいから避けなければいけない。 普段から慣れているからといって油断すると、 「おっと! あぶね! 」 ほら、言わんこっちゃない。バランスを崩した君のバックパックが、急に近づき、またすぐ遠のいた。 「気をつけなよ、そこの石」と、君はこちらの方をちらっと見たが、別に私がうまく歩くのを見届けることなく、どんどん先に進んでいってしまう。 それから少しすると、緑色の山っぽい草に覆われた場所を君は指さした。 「あの奥が、俺の、洞窟。先客がいないと良いんだけどな」 草を避けると、露が滴り、その奥には、岩でかこまれた、出来合いの穴のようなものが、こちらに口を開けていた。 洞窟に連れて行くなんて言うから、小さくても、テントくらいの大きさがあるのかと思っていた。立ったり座ったりなんて、できるのかと思っていた。ところが、中に二人で座って、並んで座ってしまったら、ハイ終わり。なるほど確かに、これでは先客がいたらいけない。君と、私だけなのに、もういっぱい。洞窟というよりも、洞穴だ。もし先客がいたら、知らない人と二人膝を揃えて座るハメになる。そういうの、私は好きではない。君だから、なんとかなっている。 中に入ってじっとしていると、ここの空気がひんやりしているのがよく分かる。普段は草で覆われていて直接日光が差すことはないし、草のカーテンのおかげで、ねっとりとした湿気も入ってくることがない。それでも、濃い緑の間から、ゆらゆらと日の光がまばらに入るので、閉じ込められている感じはしなかった。 「ここ、俺の、サンクチュアリ。いいでしょ? 」 君がにかっと笑った。 持ってきた水筒の麦茶を飲んでいたら、ふと君の方から空気が流れるのを感じた。どこからこの空気はやってくるのだろうかと、その方を見ていたら、君はふと体を後ろにやった。涼しい。 「ここさ、実はここだけじゃないんだ。ここは、ほんの入口。この岩をはずすと、まだまだ奥にある洞窟に入れる」 そう言って、そちら側の岩壁の「切れ目」を、ゆっくりと、しかし確実に、君はなぞっていった。 「ほら、こうやって3つの岩が、うまくハマってる」 メガネをバックパックから出すののが億劫だった私からは、切れ目なんて見えなかった。でもここに詳しい君が言うのだから、きっと間違いではないのだろう。 「で、ここの合わさっているところに、穴が空いてて、こっから風が来る」 穴であろう場所を、君の人差し指がつきとめると、 「ごめんね、涼しい方取っちゃって」 君はまた、にかっと笑った。 「まだ暑いよね。この岩はずしちゃおうか」 君はおもむろに、岩をどけ始めた。加工でもされているかのごとく、岩同士はかっちり組み合わさっていたが、慣れた手付きで君は岩を外していった。 「重くて悪いけど、ここ出たとこに置いといて」 そう言って、私に渡した。確かに手にした時にずっしり重みはあるが、思ったよりは軽かった。板のように薄く加工がされていたので、持てないほどの重さではなかった。むしろ、岩じゃないものでできているような気さえした。 私は、板の岩を重ねて終えてると、君の手招きが見えた。また君の膝と、私の膝とが並ぶ。 「ほら、だいぶ涼しくなったでしょう。全開のクーラーみたい」 確かに、さっきよりも、もっとひんやりしている。正直寒いくらいだった。念のために持ってきておいた、薄い上っ張りを私は羽織った。君は寒くないのか、半袖のまま、そちら側で、冷たい空気を受けて嬉しそうにしていた。 しばらくすると、彼も寒くなったのだろう、バックパックの奥から、ゴアテックスの上着を取り出し始めた。それどころか、下の雨具までショートパンツの上から履いている。どれだけこの人は、我慢していたのか。そろそろ体も冷えたし帰ろうかと言おうと思ったら、 「俺、ちょっと行ってくるわ。すぐ戻ってくるからさ、待ってて」 頭には、ヘッドライトまでしている。これは本気だ。 「大丈夫、よく行ってるとこだからさ。人を連れてける感じではないのは、申し訳ないんだけど」 そう言って、バックパックを置いて、完全防備の君は、洞窟に入っていってしまったのだった。 「さーみぃっ! 」 君がずいぶん遠くで叫んでいるのが聞こえてから、だいぶ時間がたった。朝晩の冷たい空気は、私のこの上っ張りだけだとしんどい。それでもまだ、私はまだ、ここで、待っている。戻ってくると言っていた、君を信じて、待っている。 どれくらい経ったか分からないが、草をかき分けて私を見つけた人が言っていた。こんな夏に、凍死するんじゃないかと。唇が青く、体中がたがた震えていたのは、確かに覚えている。 「でもまだ、奥に友人がいるんです」 そうして指を指したが、その人は首を振った。 「そっちはただの岩壁だ。どこにもつながっていないし、行けやしないよ。」 そんな馬鹿な。 君が潜っていた穴の方に手を伸ばすと、確かにそこは分厚い壁で、少し押してもびくともしなかった。 「親御さんから捜索願が出ている。早く暖かいところに帰ろう」 私は、君がどうか、寒さで死んでいないことを願いながら、その人に連れられて、その山を降りた。
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