一.村人

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一.村人

村長曰く、この村が襲われるようになったのは、一月ほど前のことだったそうだ。 “顔のない獣” “黒い毛並みの狼” “どす黒い、怨みに燃える影”。 見たものによってその姿は違う。まぁしかし、どちらかといえば、やはり獣に近いものなのだろう。獣に似たものだった、という目撃談が多い。 見るものによって形を変える事こそ、正にそれが異形である証左だった。異形は見るものの恐怖を映しだし、それに姿を変える。 そんな目撃談が多数上がっており、警察は動かないのか___ここは本当に現代日本か、と言いたくなるが。それもやむなし。何せ、異形は恐怖の体現そのもの。実体を与えられていない以上、どんな最新兵器を使ったとて倒すことは出来まい。 そういう存在がある事は、日本人であれば薄ぼんやりと知っていたりするだろう。日本独特のホラー映画に出てくる、廃校やら廃病院に出現するアレのことだ。まぁ、陳腐なホラー映画と一緒にしてもらっては、あまり良い気分ではないが。何せこちらは命懸けなのだから。 とまあ。 「始まりとしては、こんなところで良いでしょうか?」 「ああ。お前様の若い頃の話だろう?是非聞きたいね。」 「そりゃ良かった。あの頃は俺もまだまだ若者でしたからね___長い話だ、酒でも飲みながら、気長に聞いて下さいよ。」 「もう飲んでるだろうが。」 「あはは、それもそうですね。」 目の前に座る彼女と、こつりと盃を合わせる。注がれたのは日本酒だ。鬼ごろしとは、なかなかに良い趣味をしている。 この退治屋に、鬼ごろしとは、ね。 その頃俺はまだまだ駆け出しで、一発でかい事件でも解決して名を挙げてやろうと張り切っていた。 退治屋。それは、その名の通り人に仇なす妖「異形」を退治するもの達だ。駆け出しとはいえ、俺はその緩いコミュニティに属している。適性を見てベテランが仕事を割り振ることもあるのだが、この件はまさにそんな件だった。 一週間に一度。タイミングはバラバラだが、同じ週のうちに二回来た事は無いという。そして現れた異形は、まるで誰か一人だけを探しているかのように彷徨い、鍵も扉も全て壊して、狙った家の全てを破壊する。それこそ、文机から住人、ペット、敷石に至るまで、ありとあらゆる全てを。 「…文字通り、全てなのか?」 「ええ。全てを。一つの家を破壊すれば帰って行きますし、それ以外は眼中にないようですけれど。」 だから私は、今でもこうやって生きているんです。 破壊された家から出てきた異形を見たという青年は、目を伏せて言う。 「どの家が襲われるかは、決まっていないのかもしれません。順番に、規則性なんてのは無くて___」 「少しでも無いのか?共通点は。」 「私の、知る限りは。…三週目に殺された家は、私の従兄弟の家でした。少し生意気なところもありましたけれど、でもそれも年相応で、両親だって、とても良い人だったんです。…殺されるべき人じゃなかった。あの子が殺されて良いはずがなかった。けど、あの子も、二人も、殺されたんです。 五週目に殺されたのは、私の親友でした。悪友、と言った方が良いのでしょうか。お世辞にも行儀が良いとはいえない奴でしたが、それでも、…それでも、悪い奴じゃ、なかった。雨に濡れた子犬がいたら、間違いなく傘を差し出してやるようなタイプの奴だったんです。…なのに。」 なのに殺された、と青年は呻くように言葉を絞り出す。見ていたのに、止められたかもしれなかったのに。貴方ならば、それが出来るのでしょう?わたしにはできなかった、わたしはただみていただけだった、 何十回も、何百回も胸の内で唱えただろう言葉が、堰を切って流れ出す。 「なぜ、わたしが、わたしが殺されれば、なんで、」 青年は涙を流してはいなかった。泣く資格も無い、と彼は後に語った。ただの人間に、何もできないということは、たとえそれが自分でも、責めるべきことでは無いというのに。どんな状況だったのか、彼とその周りの人々が語った以上の事を、自分は知らない。それでも、その状況で助ける事など___可能性は皆無に等しい。 「家族も何も無い俺に言えた義理じゃあないが、貴方はアレか?強欲だな?」 「え、」 戸惑ったようにこちらを見る青年に、続けて声を掛けた。そもそも、そんな事を期待する時点で無体なのだ。もちろん、彼自身から、彼への。 「異形は人間にとって天災に等しい。それを防ごうなんて、馬鹿な事を考えるんじゃない。」 天災を止められるのは、天災か、神だけだ。 そ の言葉に、青年は、少しだけ、ほんの少しだけ救われたような顔をした。 「…はい。」 「とまあ、初っ端から後悔に押し潰されそうになっている人間に話を聞きましてね、当たり障りの無いところから聞けばよかったなんて、後悔しましたよ。」 「違いないね。殆ど何も聞けてないじゃないか。」 「ええ、全く、クトゥルフだったらSANチェック入れされられるトラップでしたよ。俺はシティシナリオよりクローズドの方が好きなんですけどねぇ。」 「今の自分の台詞見てごらん、そこだけ片仮名でスッカスカだ。」 「あ、本当だ。」 はは、と二人して笑う。決して弱くはないはずなのだが、随分と酒精が回ってきたようだった。目の前の彼女も、いつもより二割り増しで笑っている。 「いやあ、でも本当に、あそこまで欲深い人間にはそう会いませんよ。俺が見てきた中で、三本の指には入る欲深さですかね。」 はは、とまた笑う。全く、本当に。あれほど欲深い人間も稀だ。不老不死、ぐらいならばまだ可愛げもあるが、助けたかった、とは。異形相手に。 「そういうものさ___人間っていうのは、そういうものだよ。ま、誰しも後悔はするものだ。身に過ぎた希望を持つのだって、悪い事じゃない。」 叶えられなかったから、絶対に叶えられない願いだから、嫌いなんだろう、お前様は、と。 全てを見透かしたような彼女の赤い瞳に、彼ははあ、と息を吐いた。 「なんだって貴方は、そんなに見透かすのが得意なんですかねぇ。」 どうやら、この少女は何かを知っているらしい。こっそりと後ろを付けてくる少女を見て、そう思う。人見知りなのか、話しかけようとしては物陰に隠れる。可愛らしいのだが、何か知っているのならば、聞いておきたい。 「そこの嬢さん、怖くないから出ておいで。」 声をかければ、少女は恐る恐る、と言った様子で木陰から姿を現した。思ったより小さな子だ。年の頃は…九つか十、と言ったところか。 「……っ、…」 口をはくはくと動かし、何か言おうとしているようだった。だが、本来ならば聞こえるであろう少女らしい声は、聞こえなかった。 「どうしたんだ、嬢さん?」 「………!」 喉に手を当てて口を動かす動作。ああそうか、喋ることが出来ないのか。 「文字は書けるか?」 こくこく、と彼女は頷き、斜めがけにした鞄からスケッチブックを取り出した。可愛らしい苺柄のバッグ。それに似合わぬ機能的なボールペンに、何か悲しいものが見えた気がした。 “お兄さん、私は見ました。” 年に似合わぬ美しい字。真新しいのにもう殆どページの残っていないスケッチブックから察するに、ずっと筆談で会話しているのだろう。 “あの化け物は、森に住んでいるんです。壊れた神社で、見たんです。” 「壊れた神社?そんなのがあるのか?」 “はい。ママに聞いたら、ママが生まれた時からあったよ、って言ってました。” ぺらり、とページが捲られる。 “肝試しに、夏、みんなで行くところです。こないだの夏は何もありませんでした。けど、この間、通りかかった時、見たんです。” 力強い瞳が、こちらを見つめる。 “真っ黒で、犬みたいな形をした、何か、とても怖いものが。” 「ほう、七つまでは神のうち、とはよく言ったものだがな。」 「子供の頃には見えていたし、分かっていたはずの事何ですけどね。大人になれば、こういう事は忘れてしまうものです。…俺はそのあとあの子とは会っていませんが、忘れられていれば良い。」 思い出してカタカタと震える少女。彼女の手を握りながらそっと背中をさすってやれば、震える文字で書かれた“ありがとうございます”という紙が差し出される。 「大丈夫か?」 震えながら頷く少女。まさか、大丈夫に見えるものか。 「ちょっと休め。」 少女は首を振るが、放っておくわけにもいくまい。これ以上聞く気は無くなったけれど、落ち着くまで、一緒にいてやる事にした。 「ほい、やるよ。」 ポケットに入っていた苺の飴玉を渡すと、震えながらも嬉しそうに笑う。もう一つ入っていたメロンの飴玉を口に放り込むと、あの独特で懐かしい味がした。 “美味しいです。駄菓子屋さんで売ってるのより、甘い。” 「飴屋をやってる知り合いがいてな、そいつがくれたんだ。特製らしいぞ。」 友達って呼んでくれないのかよぉ!とジタバタと暴れる知り合いが頭の中にふと浮かんだが、無視する。確かに作るものは美味いが、あいつと友達なんてごめんだ。 “ありがとうございます、もう大丈夫です。” 「そうか…なら良かった。」 震えも収まったようだった。ほっと息を吐いて、最後に一回だけ頭を撫でてやった。 「なあお前様、飴屋というのは誰なのだ?」 「ああ…古い知り合いですよ。旅好きの変人です。悪い奴じゃない。」 「…ふむ、妬けるなあ。」 「やめてくださいよ、あいつ男ですよ?」 「おや。」 「行かない方が良い。あそこは異界と繋がっている。」 壊れた神社とやらが何処か聞いたところ、和服を着た男に、行くな、と言われた。 「はあぁ…あのなあおっさん、知らんかもしれないが、俺は退治屋だ。異界だろうが何だろうが、関係な、」 「おっさんじゃない、が…前に来た奴もそこで消えた。」 「え、」 神主の格好をした男は、手に持った木の杖を左手に持ち替えた。 「ま、止めはしない。私も行ったことはないが、…特に、今の時間帯は駄目だ。」 時刻は午後四時。夕暮れには若干早い時間帯ではあるが、秋の陽は傾きかけて___ 「ああそうか、くそ、そうだな…」 夕暮れ時はあわいの時だ。彼方とこちらの境界線が緩くなる。異界とつながっているというのが本当ならば、一番渡りやすい時だ。そして、夕暮れ時には、彼岸と此岸も近くなる。ただでさえ彼岸に近い身だ。そちらに吸い寄せられてしまうやもしれなかった。 「なあおっさん、いや兄ちゃん、ちょっとその話、詳しく教えてくれねえか?」 「おっさんじゃ…うん、兄ちゃんか。良い響きだ。」 「いいから教えろと」 「ああもう、若者は落ち着きがなくていいいけねえや。」 「間違いなくそういうところがおっさんだと思うんだが?」 そのおっさ…兄ちゃんが語ったところによると、この村には、一ヶ月前、事件が始まってすぐにひとりの退治屋が来たらしい。 そして、消えた。 「何処に行ったのか、後味が悪いから村人総出で探したんだがな。見つからんかったよ。そんで最後に見たやつは、神社に入って行くところを見た、ってね。若いモンを遣って探させたんだが、そいつまで消えやがった。」 男は目を閉じて、まるで何かに怯えるように、早口で続きをまくし立てた。 「___帰ってきたのは三日後だ。譫言みてぇに、『あの人はもう駄目だ』『異界の化物が』『帰れない』ってずっと言っててな。医者が一旦眠らせたんだが、起きた時には、何にも、覚えてなかった。」 これまではただの神社だったはずなのにな、と男は目を伏せた。 「何にも、って、全てか?」 「自分の名前から何から、全部だ。記憶だけが真っさらになっちまってな。…可哀想に。」 それだけ言い置くと、男はスタスタと歩き出した。秋の日は釣瓶落とし。随分と傾いた夕陽が、長い影を作り出す。 「待て、」 「親切にも教えてやったんだ、死なれると目覚めが悪い。死ぬなよ退治屋。」 黒い影が、ひらひらと手を振った。 「ツンデレよな。」 「ええ、ツンデレです。しかも格好いい奴。」 「お前様、愛しているぞ…な、なんて、思ってないんじゃからな!」 「ずっと笑ったままじゃあ可愛くないです。もっと赤面して、ほら。」 「お、お前様…愛して欲しいなんて、お、思ってないんじゃからな!」 「言われなくても、愛してますよ。」 ふふ、と彼女は笑い、いつの間にやら持ってきた焼酎を一気に煽る。こんな戯れで爆笑しているのだから、多分自分達は思うよりも酔っているのだろう。空になった酒瓶が、一本、二本、三本、四本。鬼ごろしが二本あるように見えるのは気のせいか?彼女が持ってきたのは一本なのだけれど。 「いやあしかし、こ奴は本当はおっさんだったのか?それとも兄ちゃんだったのかの?」 「…さあ。今となっては覚えていませんよ。ただ…ただ、無精髭だけが、ひどく印象に残っています。」 翌朝。遅い夜明けと共に起き出し、森へと向かった。鬱蒼とした森を抜けた先にあったのは、古び、荒れ果てた神社。 「…こりゃ酷い。」 元は神域を囲んでいたのだろう、結界の残滓。その上に、前に来たという退治屋のものだろうか、強固な結界が張られている。 神社ならば、祀られていた神がいるはずだった。忘れ去られても、ここが神社という形式を保っている限り、祀られている対象はいるはず、或いは、あるはずなのだが。 結局あの神主は捕まらなかった。貴方、NPCじゃないだろ、貴方人間だろ。イベント以外でも出てこいよ。そんな事をぼやきながら向かったのは、村長のところだった。 あの神社は何を祀っているのか、と尋ねると、白い髭を蓄えた村長は首を傾げた。 「何せ、あそこは儂が子供の時にああなったからの…何じゃ、確か民俗学者とやらが来て資料を置いていったが…ううん、何処にやったか。」 「しっかりしてよお爺ちゃん、全部纏めて蔵の中に入れたでしょ。」 「おお、そうじゃそうじゃ。客人殿、少々待たれよ。」 孫らしき少年は、申し訳なさそうに目を伏せた。 「少々お待ちください、祖父はあの歳なので、少しばかり…その…あの、」 「…ああうん、言わなくて大丈夫だ。」 気まずい空気が流れる。やがて耐えられなくなったのか、少年は、お茶を入れてきます、と立ち上がった。 「お待たせしました。」 数分後、戻ってきた少年は、唐菓子が載った皿を持っていた。 「丁度良いお茶菓子が有ったので。貰い物ですけど、どうぞ。」 その言葉に甘えて一口頂けば、口の中に桃の香りが広がる。 懐かしい味だった。 「一期屋か?それも上等のだな。」 「はい。祖父が貰ってきたもので.あ、お爺ちゃん。」 戻ってきた村長に、少年は声をかけた。分厚い紙束が、ドサドサと地面にぶちまけられる。老体には限界だったらしい。手伝ってやれば良かった、と思った。 「敬老精神大事。」 「俺の方が年上なんですが。」 「お前様は人間ではなかろう。」 それはそうですが、と男はぶつくさ呟く。人間とは違う身である事は分かっているつもりだ。だが、少しぐらい年齢に配慮してくれても良いではないか。 「それで、結局それは役に立ったのかの?」 「ああ…どうやら祀られていたのは龍神のようでしてね、枯れてしまいましたが、見事な川が昔はあったそうで。」 「あっ…それはそれは…」 「ええ、御察しの通りです。」 祀られぬ神が祟る。それは、至極当然の事だ。だが、祀られなかったからといって、神という、例え祟り神に堕ちたとしても高貴な存在が、異形になるだろうか。一軒ずつ人を喰い、物を破壊する必要などない。祟り神であるのなら、村を丸ごと祟れば良いだけの事なのだから。 信仰は力だ。荒れ果てたとはいえ祀られた社も、過去に受けた信仰も、力となりうる。 人の思いは力だ。ならば、人に神と呼ばれたものは、例えばそう、村を一つ壊すぐらいの力を持っている。 ならば、これは別のモノの仕業だ。 「しかし…」 とりあえずとやって来た神社の境内には、相変わらず瘴気が渦巻いていた。恐らくだが、こちらが、祟り神の仕業。だが、足元の黒く染まって枯れた雑草は、そう古いものとは思えない。それに、張られた結界も新しかった。それでも、長くは持たないだろうが。 「どういう事だ…?」 神社が放置されたのは、少なくとも五十年より前。一方、異形が現れ始めたのも、ここが異様な場所となったのは、一ヶ月前。 この時間の齟齬は、一体何なのだ?
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