第一章:神父ジェームズ

3/3
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
 そこでケヴィンは一息ついでから、はっきりと言った。 「私は友としてのお別れに来たんだ、ジェームズ。私は修道院に入る。いつ帰るかは決めていない」 「何だって」  思わず私は息を呑み、突然のことに驚いた。  しかしケヴィンは嘘を言っているようには見えない。いつも茶目っ気と冗談たっぷりの彼が、私の反応を見ながら黙っている。本気のようだと悟った私は、真面目な声で聞いた。 「それは、一体どういうことだ」  ケヴィンはうなずき、手元にあったぬるくなったコーヒーを少し飲んだ。 「私の長年の夢が叶ったんだ。マサチューセッツ州のベネディクト派修道院に入る許可が下りた。修道院に入ったら、君とこんな風に会うことはないだろうな」  ベネディクト派修道院。古風で厳格なところだ。  人里離れた土地にあるベネディクト派修道士の修行は、街の司祭の任務よりずっと厳しい。  「清貧」「貞潔」「従順」をモットーに暮らし、朝の3時に起き、ミサや、仕事をして、夜の8時には眠る。  テレビ・ラジオなどもないし、新聞すら許可がない修道院では読むことがない。  外の人とほとんど触れ合わないし、外出許可もなかなか下りない。世俗を捨てるのだ。  私のような街の神父は主に教会で働くが、修道士は修道院から出ることは滅多にない。  ちょっと信じられない思いがした。  ケヴィンが修道司祭になる?今までのキャリアの全てを捨てて?    まだ私は驚いていた。  「まさか…。確かに君は前から行きたいとは言っていたけど、本当に行くとは思わなかった」  司祭の中でも人好きがし、寂しがりで華やかな世界を好むケヴィンが!  確かにときおり、彼は今の生活を嘆いていた。  テレビの撮影に追われて不眠気味で辛いとか、出版社から原稿を修正されて許せないとか、私に何度も長い電話を深夜にかけてきた。  ケヴィンはそのたびに最後に電話こう愚痴るのだ。 「ひとりになりたい。どこか遠くへ行って、ゆっくりと神に祈りたい。人里離れて信仰の暮らしをしたい」と。  思わず私はつぶやいた。 「あれ、本気だったのか。愚痴の繰り返しだと思っていた」  ではようやくケヴィンは真に望む暮らしが出来るのだ。  私は考え直した。これは友として喜ぶことだろう。  隣に座る彼に右手を差し出し、微笑んだ。 「おめでとう、ケヴィン。君がいなくなるのは淋しいよ。しかし、これで君の夢が叶うんだな。これからはマサチューセッツの修道院で頑張ってくれ」 「ああ」 私とケヴィンは、がっちりと握手をした。 「ジェームズ、私は聖クリストファーが羨ましい。彼はキリストの顕現(けんげん)を体験したのだからな。私はこの世に神がいるという確証がはっきりと欲しい。そのために修道院に行きたいんだ」 「神がいるというはっきりした証拠?」  その話に私は考え込んでしまった。  自分には神がいると確信するようなドラマチックな体験はない。聖人物語の中のような、稲妻に打たれるような劇的な回心など今まで起きなかった。  それでも別に困ったりしない。  私は少し考えなからこう言った。 「体験したことはないが、私はそれで悩んだことはない。私にとって神はいて当たり前のもので、求めて悩んだりはしなかった」 「ジェームズ、私は君のそういうところが羨ましいんだ。なぜ悩まずにいられるんだ。私はこの問いを解かないと我慢ができない。私は人生をかけてキリストを探すんだ」  それを聞いて私は苦笑した。きっとケヴィンは彼なりの神に触れないと、模索の旅は終わらないのだ。  それもまた彼らしい生き方だった。 「ケヴィン、君のその情熱こそが羨ましいよ。さて、私の他にも、君に会いたがってる人が沢山いるだろう。来週の夕方のミサのあと、君のための食事会を開こう。来れるかい?」 「もちろんだとも。いいか、タイトルはこうしてくれ。ケヴィン・ロドリゲス神父さよなら講演会!」  そのタイトルに私はちょっと沈黙したが、ああ、とうなずいた。  お喋りなケヴィンのことだ。食事会で長い独壇場になるよりは、いっそ講演の場を設けてしまったほうがいい。  そこで好きなだけ喋らせよう。そうしよう。  しかし、ケヴィンが修道司祭になるとは。  そのことに、本当のところまだ驚いていた。  このおしゃべりでそそっかしい男が、本当に沈黙を守って生活できるのか?  彼を預かる修道院長には、災難かもしれない…。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!