第二章 17歳のハリケーン

2/2
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
 寄宿舎に戻り自室に入って、荷物を下ろすと同時に、一連の出来事に気分がぐったりした。  奇しくも、その晩から3日間本当の嵐が吹いた。  ハリケーン。その名前もエミリーだ。    まさに彼女は、私の心の中の台風だ。進路の不確実性。巻き起こる風。揺らぐ日常に、痛々しいほど白いうなじ。  同じ年頃の女の子は近寄りがたくて恐ろしい。  報道によると、ハリケーン・エミリーはノースカロライナに洪水を起こして去った。  寄宿舎のベットで私は深夜まで眠れず、ただ去っていった少女のことを考えていた。ちくちくとした胸の痛みを抱えながら。  3日目、寄宿舎の食堂のテーブルで、私は空いた席に座って、夕食を一人遅めに食べていた。豆のシチューとパンは、やけに塩辛く感じた。  食堂には、他に誰もいなかった。ぼんやりとしたまま食事をとっている私のところに、ケヴィンがやってきた。近くの席に座るわけでもなく、私の隣に立つ。 「ジェームズ、本当にいいのか」  話しかけてくる友人から目をそらし、私は答えなかった。彼があの少女について話していることは分かっていた。  パンをちぎって自分の口に放り込み、無理やり喉に水で流し込む。  いいんだこれで、と小さく、少し投げやりに答えた。 「ケヴィン、神学校の生徒が女の子と付き合えるわけがないだろう」 「ここの規則を聞いてるんじゃない。君の心を聞いている!」  叱責されるように言われ、私はケヴィンをちょっと睨んだ。  理不尽だと思った。会ったことも話したこともない女生徒について、私が責められるとは。だいたい、なんでケヴィンがそんなに怒るのか。  私は目をそらしたまま、自分に言い聞かせるように言った。 「僕にどうしろと言うんだ。他に道なんかない。これでいいんだ」  どうしてだ?  少女のことで、どうしてケヴィンが傷ついているんだろう。  彼女を振り捨てたのに忘れられず、傷心になってるのは、こっちのほうだ。人にとがめられる筋合いはない。 「ケヴィン、僕は伯父のような神父になりたいんだ。そのためにここで勉強してる!」  話しながら私も泣きそうだったかもしれない。私はケヴィンに言った。 「これでいいんだ!もうこれ以上、彼女のことを言うな!」  自分でも驚くぐらい、感情的になった。神学校に入って、初めてこんなに泣きそうになり、同時に腹がたった。普段全く怒りを見せない私だったけど、このときだけは意外なくらい大きな声が出た。学生同士の喧嘩禁止の規則を思い出して、自分のこぶしを固く握った。 「余計なお世話だ、ケヴィン。君には関係ないことだ!」 「ああ、確かに俺には関係がないな」  ケヴィンは怒った様子のままそっぽを向き、素早く食堂を去っていった。がらんとした食堂には誰もいなくなった。  一人になってほっとすると同時に、火が消えたような孤独を感じる。  私は素早く食事の残りを食べると、食器を片付けた。  ハリケーン・エミリーはひどい被害だ。  ノースカロライナの水害。レポートの不出来。私とケヴィンの友情も壊れそうだ。  妻帯可能な宗派もある。プロテスタントに宗派替えして転校すれば、彼女と結婚出来るんだろうな、なんて今まで考えもしなかったことを、脳裏をよぎったことも…。  私は寄宿舎の自分の部屋に戻った。狭い階段を登り、扉を開けると、部屋の中で同室のケヴィンはふてくされたように、窓辺の椅子に座って外を眺めていた。なにやら考え込んでいる。こちらを見ない彼に、私は声をかけた。 「さっきはすまなかった…」  あやまる私の声に、やっと振り向いたケヴィンはじっとこちらを見た。まだ腹立たしげで、残念なものを見る目だった。 「ケヴィン、友達でいてくれ」 「どうだろうな?俺は勉強しかしない勉強バカとは友人にはならない。だが今日のことは、水に流してもいい」  ケヴィンはそう言うと、物いいたげにちらりと私を見た。 「もう食堂の食事以外なら何だって食べたい。チョコレートアイス。ホイップクリーム。チョコレートホットファッジ」  言われて私は少し考えた。  これは食堂の食事にはなかなか出てこない、甘いものをおごれという意味だろう。  自分のこずかいの財布の中身の残高を思い出しつつ、降参した。 「わかったよ。チョコレートサンデーでも、何でもおごるから」  苦笑して、まいったと両手を上げると、ケヴィンはニンマリとした笑みを浮かべた。 「決まりだ!」  手を打ち、椅子に座り直して、機嫌が良くなった友人を見ながら、私は心の中で小さくため息をついていた。    ハリケーン・エミリー。きっと彼女はもう二度と現れない。そのことは、ほっとするような、淋しいような気持ちになった。胸をぎゅっと捕まれたような、この切ない気持ちは一体何だろう…。    
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!