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序章:総銀のフルート
私はジェームズ・アンダーソン。35歳の神父だ。今は米国の古都フィラデルフィアの教会に務めている。
若い頃、総銀のフルートは私の憧れだった。
総銀のフルートとは、全てが銀で出来ている。高価で、その分高音もよく伸びる。当時学生だった私は安価な、洋銀のフルートを持っており、いつかより良い銀の楽器が欲しいと思っていた。
「ジェームズ、お前はバッハの演奏に向いているね。ていねいで、正確で、生真面目だ」
音楽家だった祖父は私をこう評した。それは当たっていた。
彼は時間の余裕があると、私にフルートを教えてくれた。
彼はいつも総銀のフルートで演奏していた。祖父の出す音は、優しい高音の伸び。柔らかな指の動きに、ぬくもりのある音色。
同じ楽器があれば、同じような音色を出せるのだろうかと私は思った。
「私が死んだ後は、このフルートはお前にやろう。大事にしてくれ。いい音がするんだ」
そう言い残し、祖父はその数カ月後に病気で亡くなった。
祖父のフルートは私に残された。
ずっと憧れだった総銀のフルート。
喜びより、もう祖父に会えないという淋しい思いがこみあげた。
残されたフルートを手にとってよく見ると、それは細かな傷があり型は古くても、よく手入れがされていた。
今まで使っていた洋銀のものより、総銀はより重たさを感じる。
それは祖父からの自分への信頼の重みのように感じた。
祖父はこれを生涯に渡って大切にしていた。私もまた、これを大事に扱おうと心に決めた。
最初に演奏したのは、フォーレのシシリエンヌ。たゆたう波のような楽曲。哀愁を帯びたメロディー。
哀しげで澄んだ音は私の心にしみた。
悲しかったが、その気持ちもまた流れてゆくままにした。
吹きながら、私は気がついていた。
私が本当に望んでいたのは、祖父の出す柔らかな音色だった。
人の楽器を使っても、その人の演奏になるわけではない。
自分はどこまでも自分だった。
己、エゴ、自分の中の本当の自分。
生きる限り、どこまでも逃れられない自分というもの。
音楽は私に楽しみと、消えることのない自我を自覚させた。
成長してから私は、神父である伯父と同じ道を進むことに決めた。
カトリック神学への道へ。
神父になることに迷いはなかった。むしろ自分の願いが叶う喜びのほうが強かった。
たったひとつ、どこに赴任しても、私は祖父の残した総銀のフルートを持っていった。
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