参考文献

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書籍 齋藤直子『結婚差別の社会学』 月刊「部落解放」2019年1月号・2019年3月号 オンライン記事 米光一成  日曜劇場「グッドワイフ」日本版とアメリカ版とで印象が大きく違った理由を第1回で検証してみた https://www.excite.co.jp/news/article/E1547432321030/ それから横溝正史「鴉」。  ある日、古本屋で横溝正史「鴉」の解説を読んで驚きのあまり本を落としそうになった。〈三年前に戻ってくるという血文字の書置きを残して〉衆人環視の中でこつぜんと人が消えた事件だと短い文章で説明してあった。もちろん即購入した。しかし、読み始めるとどうもおかしい。  「三年前に戻ってくる」という書置きが残っていたにしては、事件関係者の驚きがどうも少ない。変だな、変だなと思いながら読み進めて、自分の勘違いに気づく。残されていたのは「三年後に戻ってくる」だった。作品は面白かったんだけども、ぼくは「三年前に戻ってくる」が読みたかった。  彼女にそう話したら、「じゃあ、あなたが書けばいいじゃん」と言われ書くことにした。ただ、じゃあ、どうやったら三年前に戻れるのか。SFならば一人称で三年前に戻ればいいわけだけど、ぼくが読みたかったのは、「三年前に戻る」という書置きが残されて人が消えるミステリだった。  一時は創元SF短編賞に、「宮内悠介殺人事件」というタイトルで送ってみようかと思ったこともあった。  そのころ宮内はイサム・ノグチの父親、野口米次郎についての小説を書こうとしていた。詩人の米次郎は十八歳で北米に渡り、十三年後日本に帰国した。彼は日本語にあまり自信がもてなかった。かといって、英語に自信が持てるわけでもない。芭蕉の俳句などを英語で紹介し、その評価を高めた米次郎だったが、帰国後に書いた日本語の詩はコスモポリタンとしてのみ評価された。萩原朔太郎は「野口の詩はあまりに西洋臭い」といっている。もっとも朔太郎はその部分を評価もしていて、野口を先生と呼びたいといって他の詩人と乱闘騒ぎをしている。宮内の小説は朔太郎と米次郎、米次郎と息子のイサム・ノグチを軸として描かれるはずだったが、蔵にこもった彼は「三年前に戻る」という書置きを残して消えてしまった……というところまで考えボツに。  理由は殺人事件になりそうもないから。もっと大きな理由は、どうしてまた密室から消えた人は「三年前に戻る」なんて書置きを残したのかわからなかったから。  それに、いくら書置きが残っていたからって、密室から人が消えて「タイムスリップした」とは思わないだろう。普通はどうやって密室から脱出したのかという話になってしまう。それだと書置きの意味がなくなる。つまり書置きに意味を与えるような何かが必要だ。  そんなことを考えて書いた作品です。  あの日、あんな読み違いをしなければ、こんな話思いつかなかった。ということで、横溝正史「鴉」に感謝を。
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