アメリカのドラマが好きな理由

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アメリカのドラマが好きな理由

 翌日、私は午前十時きっかりに庄野家へ到着した。  加藤に案内され応接間に入ると、すでに浩太郎と莉緒が座っていた。心臓の鼓動がいつもより早い。私は乾いた唇を舐めた。 「報告はお二人だけに願います」  私が言うと、加藤はうなずいて部屋を出た。 「それで、どういう話を聞かせてくれるんだ」  浩太郎が言った。 「昨日の調査でわかったのは蔵の頑丈さです」私は言った。「あの蔵に入ったのなら、出口はない。隠れるような場所はほとんどありませんし、抜け道もない」 「そうだな」 「莉緒さん、詩郎さんは蔵に隠れていませんでしたね」 「はい」莉緒がうなずいた。「どこにもいませんでした」 「結構です。すると、考えられる可能性は二つです。詩郎さんは蔵に入ってなかったか、あるいは、誰かが――この場合だと目撃者のお二人である、莉緒さんと加藤さんですが――嘘をついているか」私は言った。「蔵に入ったのは莉緒さんと加藤さんのお二人が証言しています」 「そんな当たり前のことを」 「では」私は浩太郎の抗議を無視した。「どちらかは詩郎さんが出て行くのを見ていたのに、ずっと蔵にいたと嘘をついたのか」 「私は」 「わかってます。莉緒さんが蔵を見張っていたとき、常に加藤さんが一緒にいました。しかし加藤さんならどうでしょう。莉緒さんが退出して二十分いなかったときに、詩郎さんが出て行ったのかもしれません。それを黙っていた」 「馬鹿馬鹿しい」浩太郎が鼻で笑った。「そんなことはありえんよ」 「そうですね」私は答えた。「もしそうだったなら、加藤さんがあなたに報告しないはずがない」 「加藤が報告して、父が嘘をついていたら?」 「わしは嘘などついてない」 「仮に浩太郎さんが失踪計画に一枚噛んでいるとしたら、三年前に戻るなどという案は採用しなかったでしょう。もっと現実的な話にしたはずです」 「他にも仮説があるんだろうな」 「もちろん。加藤さんはあなたを裏切らない。それは確かなようです。お二人は固い絆で結ばれている。普通であれば、どんな隠し事もないでしょう。もっとも、報告してしまえば浩太郎さんが不利になるようなことを除けばですが」 「なんだと」眉をひそめた。「どういう意味だ」 「例えば、加藤さんが詩郎さんを殺してしまったとすれば、あなたには報告しないでしょうという意味です」 「何を馬鹿な」 「ずっと不思議だったんですよ。あなたがどうして子飼いの探偵に調査を命じないのか。莉緒さんが反対するから? だったら莉緒さんには内密に調査を依頼すればいい。しかしあなたはそうしなかった。でなければ、調査結果を自分にだけ報告しろと言ったりはしないでしょうから」 「何が言いたい」 「あなたは心配していたんじゃないですか。加藤さんが詩郎さんを殺したのではないかと」 「どうして加藤があいつを殺すんだ。理由は? 理由もなく殺したというつもりか」 「理由はもちろん結婚を阻止するためです。娘同然の莉緒さんが親の不興を買うような相手と結婚しようとしている。それが許せなかったのでしょう」 「くだらん。そもそも殺したとして、どこに隠すんだ? いいか探偵、莉緒が中座していたのは二十分ばかりだ。わかってるのか」 「当然、死体は蔵に隠したんです。時間的に考えてそれしか方法はない」 「気は確かか。蔵の中は、加藤と莉緒で探したんだぞ。隅から隅まで」 「それは大の大人が隠れるようなスペースを探しただけです。でも、成人男性が隠れられないような、段ボールや大小の長押などは探さなかった。生きている人間なら隠れられるはずもないからです。しかし、死体であったなら、もっと言えば、切断された手足や頭、胴体などであれば」 「やめろ」 「加藤さんは居合をやるとおっしゃった。居間には真剣が飾ってありました。血はビニールシートがあれば隠せたでしょう」 「やめろ」 「とにかく一時しのぎでよかったんですから。二人で探したあとでなら、こっそり山奥にでも捨てに行けばいい」 「やめろと言っておるだろうが」 「おまけに」私は浩太郎を見ながら言った。「三年前に戻る、なんていかにもSF好きが思いつきそうなアイディアだ」 「お前は、どんな証拠があって、そんな話をしているんだ」 「ですから事前に調査した結果の方向性を話しているんです。証拠はこれから探すことになるでしょう。血痕でも見つかれば、警察も動くはずです」 「では、もう詩郎さんは生きてないと言うんですか」  細い、消えてしまいそうな声がした。思いがけない話を聞いたかのように、莉緒の手は震えていた。 「写真はどうなんです。あのアルバムの写真は?」 「残念ながら偶然でしょう。それ以外に考えられない」 「そんな」  莉緒の顔色は真っ青だった。私は莉緒の目を見つめて言った。 「ですが、もしかしたら本当に、三年前に戻ったのかもしれません。おかしな話に聞こえるでしょうが、私は加藤さんが殺人犯だとはとても思えない。もっとも三年前に戻ったのなら、詩郎さんは三年分年齢を重ねた姿で莉緒さんに会うことになりますが。今までよりも三歳年上になった詩郎さんと莉緒さんが恋に落ちるのかどうか。もしも恋に落ちなかったのなら詩郎さんは失踪しないことになってしまう」 「どういう理屈だ」 「タイムパラドックスですよ。有名なのは、自分の親を殺す話ですね」  ある男が母を虐待する横暴な父親に腹を立て、タイムマシンで自分が生まれるよりも前に戻る。若い父と母が出会う前の時代に行くと、息子は父親を刺し殺してしまう。  すると、父と母が出会わないのだから、当然ながら息子は生れない。息子が生まれなければ、タイムマシンに乗って父親を殺すことはできず、すると父親と母親は出会ってしまう。二人の間には息子が生まれ、同じパターンがまた繰り返され、時はまったく前に進まない。 「これがタイムパラドックスです。詩郎さんの例に当てはめると……」 「下らない話はもうやめろ」浩太郎が抑えた、だが震える声で言った。「お前はクビだ」 「しかし、どちらかが真実なんですよ、浩太郎さん。加藤さんが殺人犯か、三年前に戻ったか」 「クビだと言っているのがわからんのか」 「私をクビにできるのは依頼者だけですよ。そうでしょう、莉緒さん」  莉緒がうなずくと、浩太郎は顔を真っ赤にした。 「莉緒」 「詩郎さんが三年前に戻っているなら、どうやって調査を続けるおつもりですか」 「おい、莉緒、お前、自分が何を言っているのかわかってるのか」 「詩郎さんのご自宅を調べてみましょう。具体的な方法を書いたノートなど、タイムトラベルの手がかりがあるかもしれません」 「どうかしてるぞ」  浩太郎が、立ち上がって、私と莉緒を見た。握り締めた拳が小刻みに震えている。 「本当にどうかしている」  冷たく吐き捨てると、浩太郎は部屋を出て行った。  彼の足音が遠ざかっていくのを聞いていた。階段を上り、おそらく二階にある自室についたのだろう、派手にドアを閉める音が響く。  私は莉緒を見た。白かった頬に、血の気が戻っていた。私を見るとゆっくりとほほ笑んだ。 「最初に事務所にうかがった日」莉緒は言った。「テレビで何か見てらっしゃったでしょう。何を見ていたんです」  懐かしき軍事法廷。私がタイトルを伝えると、莉緒は声をあげ、今度日本版が放送されますねと言った。 「しかし日本版は成功しませんよ」 「どうしてです。日本にだって優秀な役者やスタッフがいると思いますが」 「そういう問題ではないのです」 「では映像技術の問題?」 「いいえ」私は言った。「問題は法律です。アメリカには包括的な差別禁止法である公民権法があります。が、日本にはそういう法律がない。だからアメリカだと差別は違法ですが、日本では心の問題にされてしまう。オリジナルのドラマでは差別を扱って状況を逆転させたり、劣勢に立ったりするシーンがたくさんあります。けれど、そういう脚本は日本版では使えない。きっと」私はため息をついた。「日本のドラマはずいぶんと色あせた作品になるでしょう」 「あなたはアメリカ版が好きなんですね」 「そうです。差別は法で裁いたほうがいい。心の問題にするよりもね。ところで、そろそろ教えてもらえませんか」 「何をです」 「あなたが詩郎さんといつ会うのかを」  ずいぶん時間がすぎて、もう一押ししようかと思ったころになって、莉緒はため息をついた。 「今夜、深夜零時です」 「場所は」 「裏山にある神社の前で」 「二人で行ってしまう前に時間をとっていただけますね」  はい、と莉緒は小さな声で言った。二十三時三十分に会う約束をし、私は屋敷を出た。
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