【24歳 初夏】

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 翔の傍らに、明が立っていた。  顔から感情というものが抜け落ちて、瞳の暗さだけが意思を持って響を見据えている。冷めた瞳に吸い込まれるように体温が静かに下がっていき、身体が硬直していく。 「どうした?」  翔の声でふと我に返った。表情筋が上手く動かなくて、顔を隠すようにして手のひらを光に向ける。 「いや、ちょっと眩しくて」  苦し紛れの言い訳がバレてしまうのが怖くて、早口に言葉を続ける。 「ケーキ食べようか。切るもの取ってくるな」  足早に台所へ行き、屈んでシンクの下の抽斗を開ける。薄暗い抽斗の奥で包丁の刃が鈍く輝いていた。明の瞳とリンクして思わず背筋が凍る。  落ち着け、大丈夫。翔に心配かけさせちゃいけない。  自分を叱咤するように心の中で唱える。音を出さないように深呼吸してから、響は包丁を手に取って立ち上がった。  覚悟はしていたものの、明の姿が目の端に捉えられると胸が重くなり、口角が引き攣った。テーブルに近寄る度にどくん、どくんと心臓の音が全身に伝わる。翔はすでに蝋燭とプレート、側面のフィルムを剥がして、すぐに切り分けられるよう準備を整えていた。 「美紀姉も食べるだろ? 三等分じゃさすがに量多いから六等分でいいんじゃない? 明日一緒に食べればいいし」  皿を並べつつ、翔が語り掛けてくる。明の視線から逃れるようにケーキを見ることに意識を集中させていた響には、うん、と返事をするのが精一杯だった。  ケーキを切り分けようと手を伸ばした時、響は包丁を持つその手が震えているのに気付いた。急いで反対の手で震えを抑えようとするが、余計に震えは増す。  翔がこちらを向く気配がしたので、急いでケーキに包丁を差し込んだ。そのまま真っ二つに切っていく。手から伝わる振動のせいか、ケーキの側面はがたがたになってスポンジが少し傾いてしまった。それを見た翔が呆れたようにため息をついた。 「俺がやるよ。見てらんない」  そう言うと翔は響の手から包丁を取り上げて、ぼろぼろになったケーキの側面を軽く整え始めた。今度は慎重に角度を微調整しながら六等分に切り分けていく。  ごめん、と口に出そうとした時、ふわりと肌にあたたかさがもたらされた。
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