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「兄貴」
肩がビクリと震えて、兄貴がこちらを振り向く。目が合うと、ふわっと穏やかに笑った。
「よかった。気付いてくれて。けっこう広いから見つけられないかと思って、目印になるように弾いてたんだ」
「同じところでとちってるからすぐわかった」
「ああ……久しぶりだったから忘れちゃってて……」
そう言うと、困ったように笑いながら人差し指で鍵盤に控えめに触れた。その指が音を出さずに音階をなぞる。ソソファファ。また例のところで指が硬直する。ワンテンポ遅れてミを触ると、また一回目のソからやり直していた。
兄貴がまだ施設に通い出したばかりの頃、幼い子たちを宥められないことがあった。いきなり大勢の子どもをなだめすかすのなんて余程慣れていなければできなくて当然だ。だがその翌日、兄貴はあっさり改善策を用意してきた。子どもたちが泣き出すと、ぴしっと背筋を伸ばして兄貴はキーボードを弾き出した。すると、子どもたちはその音に反応して一緒に歌い出し、あっという間に機嫌が良くなった。なんでも昨晩、徹夜で教本を読んで覚えてきたという。やけに姿勢がいいのもその教本の受け売りらしかった。その時弾いた曲の一つが、きらきら星だった。絶対一緒に覚えてきたアンパンマンマーチの方が難しいはずなのにそっちの方は完璧で、その頃から兄貴はいつもきらきら星ばかり間違えていた。だが、そのとちり方がツボにはまったのか、子どもたちはよくきらきら星を兄貴に弾かせた。あの頃の兄貴は、毎日楽しそうだったな。心の中でつぶやいて、ため息だけを小さく漏らす。
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