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001 ウサギ穴、落っこちて
/* SYS522/09/07 15:09 */
残暑は厳しいものの穏やかな秋晴れの日だった。空は澄みきり、風もない。
『いつでもどこでも誰にでも、貴方の生活に寄り添います。変わらぬ品質、安心保証の【Hatter’s Chain】』
通りに面したディスプレイに流れるCMはのんびりとした田園風景を映し、行き交う車、道を行く人々のざわめきもいつもと変わらない。遠くには大きな白い樹が揺らめき、街は正常に稼働している。何ごともない、そんな昼下がり。
「待て!!」
「待てって言われて誰が待つかちったぁ考えて物言えクソが!」
とある一角で〝異常〟が街を駆け抜けていた。逃げる一人と、それを追い掛ける数名が雑踏をかき分け終わりのない鬼ごっこを演じている。つられるようにあちこちであがる悲鳴、怒号。日常を隅に追いやり吐き出されたエラーは、止まる気配を見せない。
それは確かに異様な光景だった。前を行く逃走者はフードを目深に被り、表情は伺えない。声からすると年の頃、およそ十代後半。追い掛ける側は揃いの服を着、また同様にそれぞれが一冊の本を持っている。大きさは片手に収まるほどには小さくないが、持てない訳ではないと言ったところ。
普通の生活をしていて、本を持った人物に追い掛けられるなど通常はあり得ない。あり得ないが、あり得るとしたらその理由はただ一つ。
「バグ風情がちょこまかと……! 接続!」
追い掛ける一人が手にしていた本を開いた。薄く青の燐光を放つそれはひとりでにページが捲れ、ある場所で止まる。
「開放!」
言い放つとほぼ同時にその開いたページから大量の水が溢れ出し、蛇のような形を取る。そのまま、襲い掛かる。
「くそっ展開!」
逃走者が叫んだ。
「過熱!」
その言葉が発せられた途端、すぐ後ろまで迫ってきていた蛇の周りに円陣となった光片が展開され、弾けた。頭が水蒸気に変わった蛇は、そのまま溶けるように消失する。だがすべてを潰すことは出来ず、残ったものが未だ前を行く人物を追う。
「障壁!」
今度は蛇のすぐ前に光片が大きく円陣を作った。その次の瞬間には何か、見えない壁に衝突したように全ての蛇が潰れ、崩れ落ちていく。
「逃げても無駄だぞ! 開放!」
時おり迫り来る牙を避け、あるいはアスファルトから隆起してくる棘を飛び越え、ひた走る。ビルの隙間を通り、住宅地の入り組んだ道を抜け、追っ手を撒こうと試みる。
「アカウント捕捉しやがったなアイツら……っ!」
吐き捨てるように呟いたその言葉の通りか、距離は一向に変わらない。姿が見えなくなっても、また彼らはどこからか現れる。
「障壁!」
何度目かしれない攻撃を再び防ぐ。後方に光円が現れ、飛んできていた礫が何かに当たりバラバラと落ちていった。
「バグが逃れられると思うな!」
後ろから追い掛けてくる声は先ほどと声が違う。都市区が変わったからか、と頭の片隅でそんなことを思う。周囲の景色はいつの間にか古く暗い、見慣れた雑居ビルが立ち並ぶようになっていた。
「ウサギ穴遠すぎんだろバカ野郎……」
そうやって一体どれほど走ったろうか。壁に貼られた『それ』を見て、ようやく、逃走者は安堵した。建物の壁面に身を隠す。パーカーのポケットをごそごそと探り、取り出したのは一葉の折紙。紙鉄砲の形に折られたそれを思いきり振るう。その路地に響く乾いた破裂音に満足そうに笑い、そのまま道の奥に進んだ。
しばらくして追っ手がそこにたどり着いた時、既に人影はなく、辺りは異臭と煙に包まれていた。居場所は、把握していたはずだった。確かにこの路地に入ったことも多点カメラで記録されている。しかし、その先が行き止まりであるにも関わらず、それこそ煙のように逃走者は消えてしまった。悪戯描きやウサギのステッカーが壁に残る路地。追跡者は呆然と立ち尽くすばかり。
–*–*–*–
/* SYS522/09/07 17:32 */
「……っつーわけでさぁ。街歩いてたらいきなりドカンだぜ? マジで勘弁して欲しいよなぁアイツら」
「へぇ、それは災難だったなヒカル」
「んにゃ! 笑ってんじゃねーよカイト大変だったんだかんな!」
笑いを堪える茶髪の青年、カイトから渡されたグラスを受け取り、先ほど追い掛けられていた、ヒカルは仰々しく溜め息をついた。西日が差し込むアパートの一室。まったくやんなるぜとグラスを煽る。
「それで? どうしたんだその補正者たちは」
「どうするもこうするもねーよ。走って走ってめっちゃ走って撒けなくて仕方ねーからウサギ穴飛び込んできた。ちょうどジジイの〝えんまく〟の譜があったからそいつもオマケにな」
早々に空になったグラスを振り、やれやれと言わんばかりに窓に目をやった。遠く夕景に霞む大きな樹は、白いその幹を紅く染め、枝葉を広げている。そこに並び立つ、ここでは小さく見える高層ビル群も沈み行く陽に照らされて時折きらきらと反射する。
「よく迷子にならなかったな」
「出来るだけ初めて通る道選んだしな」
カイトから麦茶のおかわりを受け取りながら応えると、そりゃ良かったなと揶揄する声が別の方向から飛んできた。
「俺が迎えに行くことになんなくて助かったぜ、ヒカル」
声の主、部屋に入ってきた赤毛の少年がにやにやと笑う。
「うるせーよリグ! それよりお前準備終わったのか?」
「俺ほら、お前と違って真面目だからさ」
「おーいー、馬鹿言ってんじゃねぇよリグ。バグに真面目なんかいねぇさ。精々【帽子屋】くらいだ。そうだろ?」
「うおっ! ウィンストン重い。あと煙草くせぇ」
リグの背後に立った男が上からのし掛かる。
「それにしてもヒカルよく体力保つな。ずっと走ってたんだろ?」
「ウィンストンと違って鍛えてっからな」
「うっせ!」
「というか〝えんまく〟とか、それじゃむしその補正者の方が災難だったなぁ」
「そうなのか?」
「うん? リグは知らないか? あれ臭いきっついんだよ」
「どーいう詠唱してるんだ……」
「まぁそれ目当てで買ってるんだけどな」
「違ぇねぇ!」
一人が応えると誰かがまた応じる。わいわいと談笑していたところで、
「おいお前らくっちゃべってねーで手ェ動かせ!」
ウィンストンたちの背後から、さらに男の顔が覗いた。
「さっさと引っ越しすんぞ」
「なぁまたかよオルサ。この間来たばっかじゃねーか。普段だったらもうちょいいるだろ? なんでこんな急なんだよ」
ぶーぶーとソファでだれるヒカルにオルサと呼ばれた男は顔をしかめる。
「ガムテ買いにいって、補正者引っ掛けてる奴が何言ってんだ」
「俺だって好きで引っ掛かったんじゃねーよ」
「そういうことだヒカル。ただでさえこのあたり補正者が増えてきちまってんだ。予報士もこの辺は危ねぇっつってたしな。引っ越した場所が悪かったんだよ。お前だって病院送りは嫌だろ?」
「んにゃー…」
オルサが現れたことにより雑然とした雰囲気がいささか引き締まる。各自が中断していた作業に戻り、私物やら何やらを再び段ボールに詰め込み始めた。服、雑誌、食器、小物類。と言っても、全体的にその量は多くない。ちなみに成年誌はそこら辺に放置していくことが決まったそうだ。
「おいこのパンツ誰のだ?」
「あ、悪い俺んだ」
「うわっウィンストンのかよ。捨てよう」
「うるせぇ洗濯してあんだろ! 返せリグ!」
「黙ってやれないのかお前ら……」
カイトが溜息をつく傍ら、しかたねーかとヒカルも立ち上がる。無造作に伸ばしたままの金の髪が揺れた。
「なぁヒカルよ」
「あぁ? なんだよオルサ」
「お前その、もう少し、女子らしくしろよ。それ俺のTシャツじゃねぇか」
「うっせぇなそこら辺にほっぽっとくのが悪ぃんだろ」
相変わらずの少女のその言動に、その場にいた全員が手を止め溜息をついたのは言うまでもない。
–*–*–*–
/* ——/–/– –:– */
曰く、この世界は開発者によって創られた、という。その名を世界系。この世界系によって人々は個人として管理され、争いも何もない、平和な日々を送ることが出来る。
人々が住む都市は全部で三つ。それぞれの名を第一都市、第二都市、第三都市と言い、第一都市の中央にそびえる世界樹を中心に同心円状に広がる。世界系の稼働機である世界樹は白く大きな枝を張り巡らせ、その全てを支えていた。周囲を取り囲む青い炎も相まって人々から半ば神聖視されている。完璧な、この世界系こそ世界の全て。疑うことは万に一つもあり得ない、はずだった。
しかしいつからかこの世界系によって統括された世界に疑問を抱き、それを壊そうとする者が現れ始める。彼らは世界と人々から排除するべき者、《バグ》と呼ばれ、また自らも皮肉を込めてそう名乗る。
このバグには、一般のアカウントからすると少々困った特性があった。呪文と呼ばれる特殊な技術を使うことが出来たのだ。呪文は世界系の媒介である世界樹に直接働きかけ、通常では有り得ない現象を楽々と引き起こす。例えばそれは、炎を意のままに操ることや、胡椒を金に変化させること、あるいは水を特定の形にすることなどだ。
この呪文を使用する際には、必ず詠唱と呼ばれる動作が必要になる。そして世界系に割り込んで呪文を実行する際には、知覚できるエフェクト、干渉が引き起こされる。誰一人として同じものはなく、それぞれが、自分だけの詠唱方法を持ち、干渉を起こす。
そうやって打たれた呪文は一定時間をおいて世界樹側で削除されていくが、僅かながらそこに瑕疵を残すことが知られている。その小さな傷は積み重なり、いつしか大きな裂け目となって、世界の崩壊を招く。世界を壊すと嘯くバグは、それができる力を持っていた。
この世界の危機に対し、世界系は三つある全ての都市内から優秀な人物を集め、補正者とよばれる存在を組織した。魔導書を持つ彼ら補正者は特定範囲内で呪文を使うことが許可され、各地に紛れたバグを探しだし修正、あるいは、削除する役目を担う。その本拠地を病院といい、バグにとっては忌避する場所となっていた。入れば二度と、元の状態では戻れない。
バグはどこに潜伏しているのか、その総数、そしてどうして、バグが生じるのか。その一切は未だ不明のままである。
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