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002 彼方に見えし秋嵐の
/* SYS522/09/27 11:30 */
何度目か知らない引っ越し先は、結局今まで住んでいた所よりもっと中枢から離れた第三都市のはずれに落ち着いた。同じ第三都市なのは第二都市との障壁呪文を通常では越えられない事と、三都市の中で人口が最も多い事による。らしい。
ヒカルにとっては特に興味のあることでは無かった。不定期な引っ越しは物心ついた頃からの習慣で、何処に越そうがそこで暮らせれば万々歳なのをよく知っている。
「んにゃー…」
ここ連日空気は乾燥し天は高い。冬の気配は遠いが、秋も徐々に深まってきた日中。相も変わらず世界樹もよく見える。散歩がてらに足を運んだ公園には、子供連れの姿もちらほら。全体的にあまり治安の良くない第三都市の中でもここは比較的平和な区画だ。
「そろそろ仕度しなきゃな……」
「あー!!」
ぽつりと呟いたその言葉の後、いきなりの叫び声にヒカルは溜め息をついた。知った声だ。なんというか、流れる雲をぼんやり眺めていたら、なんの前触れもなく雷鳴が轟いた気分だ。全くもって勘弁して頂きたい。
とにかく何かが微妙に台無しにされた気分でヒカルは声の主を見る。小柄な体躯(本人は成長途中だと言い張る)に、鮮やかな赤い髪。
「おう、リグ」
見事な仁王立ちでねめつけられては、なんともはや。
「おうじゃねーよお前なぁ、一人でふらつくなよ。あと今その名前で呼ぶのやめろ」
その言葉に、若干ヒカルの目が何かを探すようにさ迷う。
「悪いなえーと、エリック」
ヒカルが改めて呼んだ"エリック"という名は、現在リグが設定している偽名だ。バグは、世界からすればテロリストだというその性質上、個人情報を偽る必要がある。例外を除き通常では秘匿されるその個人情報を、バグは特殊な呪文を用いて互いの設定内容を確認し、親しい間柄でも自己紹介をするという不自然を避ける。
とは言うものの。
「今日は一斉走査確率低いんだしリグで良くねぇ?」
「良くねーだろ。低くったって補正者がどこにいるのか判らねーんだし、用心は必要だってオルサが言ってたぞ」
「んにゃー」
「つーかさ、一人でどっか行くの止めろよなすぐ迷子になる癖に」
「おいおい俺だって好きで迷子になってんじゃねーよ」
「毎回探すの俺なんだぞ」
「何だよ寂しいのか?」
「んなっ訳あるかっ!」
むきになって声を荒げるリグ。斜に構えているように見せてまだ子供、とヒカルは笑う。周りからすれば彼女もまだ子供なのだが、どんぐりとは得てしてそういうものだ。
「大体な、おっさんたちは仕方ねーとか言うけど、俺は信じねーからな"更新が見えない"とか」
「はぁ? お前が何知ってるってんだよ俺の視界でも見えてんのか?」
「見える訳ねーだろ馬鹿か」
「じゃあ俺が更新見えねーの否定できる訳もねーだろが馬鹿はお前だ」
「んだと!」
「お、やんのか? どうせ負けるくせに?」
「だぁれが負けるか!」
両者が睨みあったところで
『頑張ってー』
声が響いた。右から、左から。あるいは、上から、下から。開放された空間であるにも関わらず反響したように響くその妙に明るい声。
近くにいるのは、こちらを見て微笑む一人の少女だけ。
「なっ!?」
狼狽えるリグを余所にヒカルは顔をしかめる。
「なんだよハイゼン邪魔すんなよな」
「ハイゼン? ハイゼンバグ?」
どこに、とリグが辺りを見、少し視線を外したその時、少女の姿にノイズが混じり始める。一瞬の後にそこに立っていたのは、一人の青年だった。ピンクと紫の縞模様のマフラーが揺れる。
「ヒカルには判っちゃうんだよねー。あ、ごめん今ヴェルナーだっけ?」
先程響いたものと同じ声が彼から発せられる。"ハイゼンバグ"あるいは【チェシャ猫】と呼ばれる特異なバグの一人。
「お前なんでここにいるんだよ」
「ヒカルがいるなーと思ってにゃー」
「折角良いところだったのに邪魔すんなよな」
「だって危ないよ?」
「だから面白いんだろ?」
世間話のように続く会話に少年は痛む頭を押さえた。一人いるだけで強力な戦力になると言われる特異なバグは、この世界の中でもたった四人しか観測されていない。その四人のうち、最も自由で、かつ最も危険だと言われるのがハイゼンバグ。何処にも所属せず、揺れる幻の様に気まぐれに現れては場を引っ掻き回していく。
「また【帽子屋】に怒られんじゃねーの」
「その時はその時」
捉えようが無いのは立ち位置だけでない。その存在さえも、不安定に揺らぐ。ある時は柔和な青年であり、またある時は妖艶な女性であり。可愛らしい少女の姿になることもあるという。姿形が実際に変わってしまっている以上判別はつかず、辛うじてトレードマークの縞模様マフラーが目印となる程度。
「まぁヒカルは見分けてくれるんだけどね!」
「うわっ」
いきなりこちらを向いてそう宣言されても、困る。大人しく談笑してたんじゃないのか。俺を巻き込むな。
というような表情を返すリグにチェシャ猫はにまりとする。
「何? 嫉妬?」
「違うに決まってんだろが! もう知らん勝手にしろ! あと外じゃ本名で呼ぶなつってんのにお前らは全く」
「悪い悪い。夕飯までには帰るわ」
怒ったままの表情でリグが離れる。その背を眺めていた、ヒカルの視線が固まる。
「リグ!!」
彼が振り返るのと、その姿が横に飛ばされるのはほぼ同時だった様に見える。耳に刺さる爆発音と視界が遮られる程の土埃。
「くそっ!」
こんな目立つ所でまさか、と思っていたのが仇になったか。慌てて駆け出すヒカルを笑う様にもう一発。
「こんなところでバグ取りに遭うとはねぇ」
のんきなチェシャ猫の声も耳に入らない。
「展開!」
その言葉と共に光の帯のようなものがヒカルの腕の近くに浮かび出る。そのまま走りながら落ちていた枝を数本拾う。
「変換!」
コードが走り、まばたきの間に彼女の手には一丁のナイフが握られていた。その勢いのまま魔導書を持った補正者に飛び掛かる。
「接続、開放。随分なご挨拶ですねバグ風情が」
しかし向けた刃は直前で止められ、弾かれる。
「うっせぇふざけんなよ!」
手から放物線を描き離れたナイフには目もくれず、直ぐ様もう一本の枝を再びナイフの形に変換する。
「ご安心ください。住民の避難は済んでおります」
「んな事ぁ聞いてねぇよくもリグを!」
「なんの事でしょうか?」
いくらナイフを振るっても見えない壁に阻まれる。舌打ちと共にさらに呪文を走らせ性能を付加。突き立てた瞬間に小さな爆発を起こす。
「なっ!?」
空間に亀裂が入り、割れた。にやりと笑ったヒカルは補正者が下がった隙に追撃で蹴りを入れる。飛ばされたその先で生える草を呪文変換する。一連の流れは淀みなく、作られた檻には乱数を流し簡単には壊せないように細工をするのも忘れない。補正者を閉じ込めたのを確認しリグの元へ走り寄った。
「良かったね。彼生きてるよ。気失ってるだけで」
ヒカルは安堵の息をつく。世界から嫌われたバグとして、その仲間は家族のようなものだ。色々な考え方の奴がいるが、少なくとも、ヒカルの周りはそうだ。彼に怪我がない事を認めほっとしたその時、背後で一陣の風が吹いた。
「ねぇ、ちょっと何してんの」
「ハイゼン?」
先ほどまでヒカルの目の前にいた筈のチェシャ猫は、いつの間にか背後に移動していた。そしてその前に立ちはだかるもう一人の補正者。手に収まるのはヒカルが手を離した筈のナイフだ。しかし振り上げられたそれは、前に立つチェシャ猫に阻まれ動きを止めている。
「一般の方は避難命令が出ている筈だが? アラン・スミシー」
ナイフを下ろし、魔導書を開いた補正者が問う。チェシャ猫の設定した名前、個人情報を読み取っているのだ。勿論、それは補正者だからこそ可能な事。こういう事があるから、バグは自衛の為に偽の情報を設定する。
「邪魔をしないで貰おう。お前に用はない」
冷ややかな視線を受けても、チェシャ猫が動じる様子は無い。
「何故、彼らをバグだと?」
「実際に呪文を使っていただろう」
「それでもそれがわかる前にいきなり仕掛けるのはどうかと思うけど」
「臨時一斉走査の結果、彼らが個人情報を偽るバグだと判明したからだ……これでいいか? これ以上我々の邪魔をすると世界系条約違反とするぞ」
『補正者はバグ捕獲に係る作業に関係する質問を受けた時、それに答えなければならない』。そして『補正者のバグ捕獲に係る作業は、如何なる理由があれ、これを邪魔してはならない』。世界系条約はその内部で生活する最低限のルールを定める。
「でもその一斉走査子、壊れてない?」
「……何?」
「だって、"俺を見付けられてない"」
チェシャ猫がにまりと笑う。身体の端々にノイズが入り、情報が書き換わっていく。空気が重く、首筋をざわつかせるような刺々しいものに変わっていく。
「俺とヒカルの邪魔してきて、ただで帰れると思う?」
チェシャ猫が指を鳴らすと、補正者が手にしていたナイフがぼろぼろと崩れ始める。
「……!」
補正者は思わず目を見開き、ナイフを離し咄嗟に間を取った。これは確かにあの少女が造ったものの筈。呪文を上書きするなんて通常は出来ない。
「貴様……特異なバグか……!」
「よろしくにゃー」
この青年が、世界に四人しか観測されていない、特異なバグであるからこそ許される呪文技術。
「というか。大体さぁ、ねぇ。【クラブの3】程度のキミたちが俺に敵うと思ってんの?」
「……」
「今なら見逃してあげるよ? これ出血大サービスだよね」
チェシャ猫は両手を挙げてひらひらとおどけたように振る。
「……ここはお言葉に甘えて一旦退いた方が得策なようですね」
「んにゃ! お前!」
ヒカルが閉じ込めた補正者がいつの間にか抜けだしており、魔導書を開く。
「ではまた」
何重にもネストされた呪文が走るのが判った。そのまま二人の補正者の姿が薄れていく。空間転移か、屈折を利用したただの幻か。消えるその瞬間、チェシャ猫は再び指を鳴らした。その顔には仕掛けた悪戯が上首尾に終わった時のような笑みが浮かんでいる。
「出血大サービスだよほんと」
「ハイゼン?」
「これでもう大丈夫だねヒカル」
「あ、あぁ、なんか、悪かったな」
「ヒカルに手出すの本当やめてほしい」
ヒカルは補正者が消えた空間を見詰める。いずれにしろ追い掛ける手は無かったしその気もない。まずはリグの方が先だ。それにしても、最近どうにも補正者の動きが活発な気がする。
「なんかあんのか……?」
「うん? なんか言った?」
「なんでもね。病院行こうぜ」
嫌な予感が、当たらなければ良いが。
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