006 404 Not Found

1/1
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

006 404 Not Found

/* SYSダ/ã‚/¤ã ƒŠ:ム*/  彼、は、名を失くした。名だけではなく、ありとあらゆる情報を失った。家、家族、友人。さらに、自分の年齢、顔、体格。実際"彼"であるかすらも、彼には判らなくなっていた。  だが恐慌状態に陥ったのはほんの僅かな期間だけだった。思い出そうとしても手は空を掻き、指先に触れるものは何も無い。情報の砂漠は広大で、虚数の海は深遠だった。事象は全て観測される事によって揺らぎ、存在は見極められず、位置は振れ幅を広くし、そして不等式の彼方へと崩壊し消えて行く。  果てのないように思える世界。自分が足掻いたところでどうにもならない事を、彼はじきに悟った。それなら、如何程あるか判らない人生、楽しんだ方が良い。そうして、誰にも観測されないそのバグは、世界をからかうように時折現れる。 –*–*–*– /* SYSヒ/ã‚/«ã ƒ«:ム*/ 「"Who killed Cock Robin? ‘I,’ said the Sparrow,"」  月が細い夜、路地に密やかな声が響く。 「" ‘With my bow and arrow, I killed Cock Robin.’ "」  特徴的なマフラーを揺らし、楽しそうに道を行くその影。 「"Who saw him die? ‘I,’ said the Fly, ‘With my little eye, I saw him die.’ "」  そしてその影を見詰める、別の影。揃いの制服に身を包み、左腕の腕章にはスートが刻まれ、各々の手には本を持ち、身を潜めた彼ら。殆ど物音をたてる事なく移動し、道行くその人影を取り囲む。そして、 「"Who caught his blood? ‘I,’ said the Fish, ‘With my little dish, I ca…うわっ!」  歌は途中で中断され、魔導書(コンソール)を手にする補正者(エクセプション)の姿が月夜に浮かび上がった。 「ハイゼンバグだな」  補正者(エクセプション)の一人が口を開く。 「これ違うって言ったらどうなるんだろうね?」 「否、疑う余地はない」 「じゃあわざわざ聞かなくてもいいんじゃない?」  ねぇ、と呼び掛けた声に応えるそれがあるはずもなく、打たれた呪文(コード)が周囲に展開される。チェシャ猫の足元から突如有刺鉄線が生え、それは茨のように絡みあい複雑な檻を形作る。  やれやれ、と肩をすくめるその姿が消えるとほぼ同時。 「"Who’ll make the shroud? ‘I,’ said the Beetle,"」  それは、塵芥の如くぼろぼろと先端から崩れていく。 「" ‘With my thread and needle, I’ll make the shroud.’ "」  崩れたその土は次第に色と形状を変え、現れるのは銀の針。 「あんな細かい演算を一人で……!」  補正者(エクセプション)たちの間に動揺が走る。無理からぬ事だ。複数人で漸く造り上げた金属の檻を、物質組成を変え塵にし、更に組成を変えて銀の針を作る。物質の変成はバグの十八番だが、それをこの数、この速度で実行するとは。 「狼狽えるな! 拡張開放(プロジェクトオープン)!」  掛け声と共に展開されるのは膨大な量の呪文(コード)。その場に居る全員が同時に詠唱(コーディング)するそれは、一時的にチェシャ猫の速度を凌駕した。針を払い飛来するのは短剣。スペードのマークにも似たその短剣は次々と石畳を穿ち爆発する。 「――!!」  声なき悲鳴を挙げてチェシャ猫は粉塵に飲まれそして、 「やった、か……?」  煙の向こうに見える人影は倒れ伏し、動かない。今まで散々手を焼いてきた対象のあまりにもあっけない末路に、一抹の不安と疑念が広がる。  故に一人、恐る恐る影へと歩み寄る。近くで見るハイゼンバグの姿は爆発に巻き込まれ至る所が煤けてぼろぼろだった。トレードマークのマフラーも、爆風によってどこかへ飛ばされてしまったのだろうか、そこには無い。 「ふん、ハイゼンバグといえど所詮はこの程度だったということか」  そいつを蔑むように、或いは己を奮い立たせるように言葉を発し、俯せたまま動かぬその体をつま先で蹴りつける。ごろりと転がり、見えた瞳は最早何も映してはいなかった。  今度こそ安堵と歓喜がわき起こる。 「やっとあの化物を削除(デリート)できる!」 「さぁ早く病院(デバッガ)へ持って帰ろう」  同僚達の言葉に頷き足元に転がる頭に向かって手を伸ばし、  ――不意に、その虚ろな瞳がこちらを見た気がした。 「……!」  背筋に走る悪寒と、再び頭を過ぎる疑念。  自分たちが今まで苦しめられたハイゼンバグという存在は、はたしてこんなにもあっけなく死んでしまうようなモノであったか……?  自分たちは何か、大きな勘違いをしているのでは無いか。  例えばそう、この男は決して死んでなどいなくて―― 「Who killed Cock Robin?」  声が聞こえた。  続いて歌が。  細く、泣くように、笑うように。 「"Who’ll dig his grave? ‘I,’ said the Owl,"」  目の前から死体が消えた。否、チェシャ猫が転移したのだ。 「" ‘with my pick and shovel,I’ll dig his grave.’ "」  誰かの悲鳴が挙がる。  チェシャ猫は倒れる補正者(エクセプション)を前に、手に持つピッケルをマフラーに変えて纏う。  始まるのは、いとも容易く行われる純粋な暴力。まるで猫が獲物をいたぶるように、そしていずれ飽きて殺してしまうように。 「"Who’ll be the parson? ‘I,’ said the Rook, ‘with my little book,I’ll be the parson.’ "」  一人、手に持つ魔導書(コンソール)と共に自身を真っ二つに引き裂かれ。 「"Who’ll be the clerk? ‘I,’ said the Lark, ‘if it’s not in the dark,I’ll be the clerk.’ "」  一人、両目に突き刺さった針がそのまま頭を貫通した。 「"Who’ll carry the link? ‘I,’ said the Linnet, ‘I’ll fetch it in a minute,I’ll carry the link.’ "」  一人、不意に足元から広がる炎に飲まれ、 「"Who’ll be chief mourner? ‘I,’ said the Dove, ‘I mourn for my love,I’ll be chief mourner.’ "」  一人、広がる惨状に我を失い泣きながら自刃する。 「"Who’ll carry the coffin? ‘I,’ said the Kite, ‘if it’s not through the night,I’ll carry the coffin.’ "」  一人、棺にも似た巨大な鉄塊に押しつぶされ、 「"Who’ll bear the pall? ‘We,’ said the Wren, ‘both the cock and the hen,We’ll bear the pall.’ "」  二人、手と手を取り立ち向かおうとするも吹き飛ばされてバラバラになる。 「"Who’ll sing a psalm? ‘I,’ said the Thrush, ‘as she sat on a bush,I’ll sing a psalm.’ "」  一人、呆然とただ立ち尽くすその足に茨が絡みつく。  そして、気づけば補正者(エクセプション)はその人ただ一人だけになっていた。  絶望を浮かべるその顔に、そっとチェシャ猫は囁いた。 「補正者(エクセプション)といえど、所詮はこの程度かな?」  眼前に広がるのは、チェシャ猫の楽しそうな、心の底から楽しそうな笑み。 「"Who’ll toll the bell? ‘I,’ said the bull, ‘because I can pull,I’ll toll the bell.’ "」  どこかで、  鐘の音と、誰かが遠く走り去る音が聞こえた気がした。仲間か、せめて遠くへーー、 「"All the birds of the air"」  再び静寂の訪れた路地を、チェシャ猫は軽快に歩み始める。 「"fell a-sighing and a-sobbing,"」  彼にとってこの殺戮も、人生を楽しむための行為にすぎない。 「"when they heard the bell toll"」  だがどこか哀しげに響くその歌を聴く者はもう居らず。 「"for poor Cock Robin."」  誰にも観測されない葬送の歌がただ響いていた。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!