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知っていた?
「智也君のお母さんから連絡があってね、九月から福岡の学校に行くんだって聞いていたわ。六年生の二学期で転校はかわいそうだけど、中学に上がる前にその土地で慣れるほうがいいと思われたんですって」
「……この大会が終わったら引っ越すことも知ってたの?」
「ええ」
母さんは冷静に答えた。その落ち着いた様子が、なぜか僕を苛立たせた。
「なんで教えてくれなかったんだよ!」
リビング中に響くような声で僕は叫んだ。
そんな僕の声に母さんは驚いた様子はなかった。
「別に好きで隠していたわけじゃないの」
「え?
「本当は、陽に言うべきなのか何度も何度も悩んだことなの。言っておいたほうがいいのかもしれないって」
「じゃあ、なんで!」
「智也君の望みだからよ」
「智也の……?」
智也の名前が出て、僕の背中が少し涼しくなる。
「智也君のお母さんが言ってたの。『智也は自分で陽くんに話すから、できれば黙っていてほしい』って。そう言われたら、私から言うわけにはいかないと思ったの。貴方と智也君の仲の良さを知っていれば尚更ね」
「でも……」
「もし、貴方が智也君の立場だったら、どうしてた?」
もし、僕が智也の立場だったら――?
もし、僕が転校することを事前に知っていたらなら、それを智也のお母さんから伝えてほしいと思うだろうか。いや、違う。
事前に智也に伝えることができていただろうか。いや、違う。
僕も智也と同じように大会が終わるまで黙っていたかもしれない。そう考えたときに、僕は智也が抱えてきたものが、とてつもなく重いものだったのだとわかった。
黙り続けることは本当につらいことだったはずだ。僕に気づかれないように、ずっといつものように振舞っていたのか。大人の世界にも根回しして、僕が母さんから転校のことを知ってしまわないようにしていた。
僕は、智也のことなら何でもわかると思っていた。でも智也がいつからか隠していたことに気づいていなかった。
今まで僕はどんな顔で智也と話してきたんだろう。
「母さん」
「んー?」
「ちょっと外に出てくる。夜ゴハンまでには帰るから」
「わかった」
母さんは何も理由を聞かなかった。
「あと」
「んー?」
「さっき、怒鳴ってごめん」
そう言うと、母さんは何も言わずに微笑んでくれた。僕はテーブルの上に置いたままだった携帯電話をズボンのポケットに入れて玄関へと向かった。
僕の背後から「ゴハン、七時にはできてるからね」という声が聞こえた。
僕は「わかったー」と返事をして、靴を履いた。
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