不運な男

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不運な男

不運な男 彼は運のない男である。 近頃は前にも増して不運になったようにさえ感じられる。パンを落とせば必ずバターを塗った面が下になる。飼い猫に逃げられる。終いには空き巣に入られ、卒業祝いにもらった大事な時計まで失ってしまった。 今日も職場近くの居酒屋で上司の武勇伝に付き合わされ、ほとほと疲れ果てて家路へ向かうところだった。 「疲れ顔のお兄さん、最近いいことはありましたか?」 人気のない道を急いでいると不意に声をかけられ振り向くと、見るからに高額そうなスーツを着こなせていない小柄な男が立っていた。男はにこやかな表情のまま、こう続けた。 「私こう見えて見習いの神様でして、ただいま研修期間みたいなものなんです。折角なのでなんでも一つ願い事を叶えて差し上げますよ」 彼が足早に過ぎ去ろうとしたので、神と名乗った男は慌ててこう加えた。 「神様として認められて、初めて下界に来たんです。あなたが二人目です。今ならなんでも叶えられます」 彼は訝しんで言った。 「そんな上手い話あるわけないだろう。俺は疲れているんだ。他を当たってくれ」 「まぁそうおっしゃらずに。言うのはタダじゃないですか。それにもし私の言うことが本当だったら儲けものでしょう?」 自称神も易々と引き下がるつもりは無さそうに見える。 そこまで言うのなら、と彼は男に向き直った。 「本当になんでもいいんだな。聞いて後悔はするなよ」 酒が入っていたこともあり、彼は少し乱暴に言った。 「後悔なんていたしません。どうぞお聞かせください」 少し考えた後、彼は不敵な笑みを浮かべてこう言った。 「俺の周りの誰でもいい、とりあえず誰か俺より不運にしてやってくれ」 すると見習いの神は急に顔を曇らせた。 「大変申し上げにくいのですが、その願いだけは聞き届けられません。他のお願いはありませんか?」 彼はカッとなって声を荒げた。 「真っ当な願いでなければいけないっていうのか?なんでもと言ったのはそちらの方じゃないか」 「申し訳ありません。本当にその願いだけがいけないんです。他の願いでしたらどんなものでも結構です。考え直してはいただけませんか」 「いざ話に乗ってみればこのザマか。神だなんだと言っていたが人を馬鹿にするのがそんなにも楽しいのか」 「すみません、同じ願いは一度までなんです」
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