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現場検証 葡萄酒の記憶
私の宣言に、全員の視線がイレーナさんの方を向く。
部屋の四隅に備え付けられた燭台の上で、蝋燭の炎が小さく揺らめいている。
セニスとアイラが、それぞれ小さく呟いた。
「失声の呪い、ね。……確かに、その呪いがあったんじゃあ少なくとも、この発言の主はイレーナちゃんじゃないってことになりそうね」
「……声が出せない……。それは、さぞ辛いことでしょうね……」
内容だけ見ればどちらも私の宣言を受け入れているようにも受け取れるが、セニスは「この発言の主は」にアクセントをつけていた。
――彼女は、こう言いたいのだろう。
確かにこの発言の主はイレーナではないかもしれない。だが、この発言の主が本当に犯人なのかどうかは、まだ確定していないのでは、と。
それは、極めて冷静な分析だ。しかし、正しくはない。
今ここで、その疑問は解消しておいた方がいいだろう。
「先に申し上げておくと、この発言の主は、間違いなくグラムル氏を殺害した犯人です」
予想通り、セニスさんの反駁がある。
「どうしてそんなことが言えるの? そこにあるやり取りの間に彼が殺されたなんて」
私は、〈賢者の手記〉を広げて見せる。
「ここをよく見てください。最後の『やめてくれ』と『さようなら』の部分に、何かが滲んでいませんか?」
セニスがそれを覗き込む。
「……そうね。筆の色とは違う。これは……血だわ」
そう、その文字には、筆で書かれた文字に重なるように、血が伸びていた。
「でも、だからなんだっていうの?」
「先ほども申し上げた通り、この賢者の手記には、賢者の羽ペンが自動で文字を記入するとき以外は決して何かを入力することはできない」
「あっ……」
「ふむ。なるほど」
セニスさんが見落としに気づいた拍子に声を上げ。辺境伯が小さく唸る。
「つまりこの血は、この会話中にこのノートに飛散し、その上を魔法の羽ペンが動いたことによって残った血の痕ということになります。グラムル氏が刺されたのは、この会話中であったということになります」
少しの沈黙。しかしすぐに、セニスが口を開いた。
「ふうん。……これで、イレーナちゃんの無実は証明されたってわけね」
私の視線に頷いて見せてから覚悟はしていただろうが、突然自身が関心の的となったイレーナは所在無げに肩を窄めてしまっている。
そんなイレーナの様子を見かねてというわけではないだろうが、辺境伯が口を開いた。
「さて、一人の無実が証明されたのは素晴らしいことだが——、残りはどうする? 恐らく今ある情報だけでは、絞り切ることは難しいのではないかな?」
手厳しい指摘だ。だが私には同時に、彼はこうして自然と、次に行うべきことの話を切り出しやすくしてくれている。そんな風にも思えた。
「私はこのあと、さらに現場検証を行います。その間、皆さんにはこの部屋で待機して頂きたい。その後別室にて、イレーナさんを除く皆さんから、私の〈真実の眼〉によって能力の明文化を行い、その時点で犯人がわからない場合は、状況を可能な範囲でお伝えした上で、その後の対応をあらためて決めさせて頂きたいと考えています」
「うむ、いいだろう。――皆、聞いての通りだ。私が、この捜査を許可した。いち宿泊客としての扱いを求めた昨日の言から転じてしまってすまないが、君たちには彼女の捜査に協力してもらう」
やんわりとではあるが、私の提案に対し拒否は認められないと念を押してくれる。
「……まあ、領主様がそう仰るなら、従わないわけには、ね」
私の説明時点でははっきりと表情で嫌悪感を露にしていたセニスも、辺境伯の念押しによって不承不承とだが受け入れてくれたようだ。
辺境伯という力強い後ろ盾を得られたことには感謝すべきだが、だからといって彼を容疑者から外すことはできない。
つまり私は、辺境伯の能力についても、他ならぬ私自身の眼で知ることになる。
彼はそのことを既に了承しているような状況ではあるが、彼がどのような存在であるのか、私は現時点で、ある程度推測できていた。
あとはそれを第三者にも証明できるように明文化するだけなのだが――、つまりそれは、彼に宿る「理外の力」を公式に明らかにするということに他ならない。
それは果たして彼にとって、本当に度し得ることなのだろうか……。
探偵はいつも誰かの秘密を明らかにするが、犯罪捜査のためとはいえ、道徳にもとる行為であっては意味がない。
行き過ぎた不道徳は、場合によっては法を犯すよりも罪深い。
――だから私は、この能力を用いるにあたって、ひとつの条件を自身に課している。
「確かにこの捜査は必要なことです。ただし、それによって私は、皆さんの秘密を白日の下に晒すことになる。ですから、それが了承できないという方がもしいたなら、別室で二人になった際に仰って下さい。その場合はまず、私はこの眼の力に頼ることなく皆さんの身に宿る理外の力を推測し、指摘します。その推測が正しかった場合は、申し訳ありませんがそれは秘密に通じるヒントを与えた当人の責任ということになる。そのことを二人だけの間の秘密にし、外部に漏らさないことを約束した上で、その他に今回の犯罪に関わる能力が無いことを確認する目的のためだけに、理外の力の明文化を行わせていただきます」
そもそもこの能力は、意識のある相手に対しては一方的な使用が不可能なのだ。意識のある相手に対しては、相手が明文化を了承した場合にのみ使用できる。
だからこそ、王女は探偵制度の草案を提出した時点で、探偵による理外の力の明文化を任意ではなく義務として定めることを推し、それを実現させたのだ。
だが、法を盾にした明文化の無理強いは、ときに不要な争いを招き、そして場合によっては、私自身の不道徳につながる可能性だってある。
誠実さを欠くことは王女に仕える者としてあってはならない振る舞いだし、そもそも私自身、他人の秘密を無条件に暴くことに何の感情も抱かないわけではない。
……だから私は、この能力を使うにあたって、まずその了承を得る。
そして了承が得られない場合、私はこの能力に頼ることなく、相手の身に宿る理外の力を推測する。
結果として推測が当たっていたなら、それは能力による不当な情報の覗き見ではなく、その人の行動の結果、私がそれを見破ったというだけに過ぎない。
そうなれば少なくとも、私が能力を用いて明文化を行い、相手と私との間でその情報を共有するだけであれば、相手にとっては同じことと言える。
――〈真実の眼〉を、可能な限り一方的な理外の力の覗き見には使わない――。
私は私自身に、自身の矜持と誇りを守るため、そんな制限を課している。
辺境伯は、私の言葉の意図するところを汲んでくれたのだろう。
「力持つ者にも、その使い方には相応の責任が伴うということだね。正当性を尊ぶ王女らしい考え方だ」
嫌悪感を露にしていたセニスも、「まあ、そういうことなら」と小さくつぶやいて部屋の端にある椅子に腰掛けた。
その他の誰も、異を唱えることはなかった。
私は全員の前で一つ頷いて、了承の意を受け取った。
「ありがとうございます。では、まずは現場検証の続きを行わせていただきます。部屋のものにはなるべく触らないよう、暫くお待ちください」
ここからが、探偵としての能力を真に問われる局面。私は静かに唾を呑んで、調査を再開した。
***
——とはいえ、部屋の中はほとんど見た。残るは死体の見分のみだ。
グラムルは革製の椅子に深く腰掛けた体制で息絶えている。やはり、即死だったのだろう。
死因は、頭蓋を砕くほどの力で深々と刺さったナイフ。その他に外傷はないようだった。
ナイフの持ち手には、血でべったりと手の痕がついていた。
「このナイフは、この宿のもので間違いないですか?」
私の問いに、横合いから返事がある。アイラだ。
「そうですね。このナイフは特注したもので、持ち手の部分にあしらわれた装飾からして同じもので間違いないかと」
彼女には、この宿のことを最もよく知る人物として共に現場検証を手伝ってもらい、助言を仰いでいる。
「わかりました。ありがとうございます」
礼を述べて更に見分を進めていると、アイラさんが小さくつぶやく。
「……この血痕は、犯人のものなのでしょうか」
「今の時点ではなんともいえませんが、それはこれから明らかにします」
「どうやって……ですか?」
「もちろん、魔法で、です」
「――魔法、ですか」
「ええ」
私は一つ頷いて、脳内で魔法名をイメージした。〈葡萄酒の記憶〉——。
ナイフに手を翳す。すると——
アイラが「えっ」と声を漏らした。
ナイフの血の模様。それが、淡い光を帯びて、少しずつ動き出していたのだ。
血痕が、どんどん小さくなっていく。
血痕は消えてなくなり、それ以上何も現れることはない。
しばらくして、もとの血痕が現れる。
「……なるほど」
私が手を離すと、血の発光は止まった。
――〈葡萄酒の記憶〉は、対象に付着した赤い液体の元の姿を幻視する魔法だ。
これはもともと、腐った葡萄を用いた粗悪な葡萄酒を乱造する者が後を絶たなかった時代に作り出された、葡萄酒の粗悪品を炙り出すための魔法だったとされている。
かつては、葡萄酒をグラスに注いでこの魔法をかけ、グラスの中に幻視される葡萄が腐っているかどうかでその葡萄酒が粗悪品かどうかを見定めていたらしい。
だが、ある魔法使い――私の母だが――はこの魔法が葡萄酒だけでなく血液にも有効であることを発見した。
それだけでなく、魔法をかける対象を「葡萄酒」ではなく「グラス」にした場合、指定した期間内——もちろん上限はあるが——にグラスに注がれた葡萄酒が、時間を遡って幻視されることも。
探偵はその現象を活用し、凶器に〈葡萄酒の記憶〉をかけることで、一定期間内に凶器に付着した血液の記録を幻視するのだ。
私はナイフに、ここ一晩のうちにナイフに付着した血液を遡って幻視させた。
しかし結果は、今ある血痕が遡って一度消え、魔法の効果が切れて再度もとに戻っただけ。要するに――
「犯人のこの血痕の前に、別の血痕が拭われていたということはないようです。つまり犯人は右手でこのナイフを握り、グラムル氏を突き刺した。そして、流れ出た血で手の痕が残り――、よほど急いでたのかもしれません。それを拭うこともなくこの場を去った……ということになりますね」
やや不可解ではあるが、こういうことになる。
「では、この手の痕に照らし合わせれば、誰の手の痕なのか分かるのでは……!」
アイラが私にぱっと視線を向ける。が、残念ながらそれは叶わない。
「いいえ、それはできません。拭き取られてはいませんが、この手跡は突き刺した際の衝撃でぶれて、滲んでしまっています。大体の大きさくらいは判断できるかもしれませんが、誰のものかまでは判断できないでしょう」
「そう、ですか……」
そこに、辺境伯が後ろから声をかけてくる。
「大体の大きさが分かるなら、例えばその手形よりも明らかに小さな手の持ち主であれば、犯人からは除外できるのかな?」
相変わらずどこか試すような物言いだが、やはり返答しないわけにもいかない。
「この手形よりも明らかに大きな手の持ち主がいたなら一考の余地もありますが、少なくとも小さいという理由だけでは判断材料として弱いと言わざるを得ないでしょう。たとえば大人用の靴の足跡が現場に残されていたからといって、子供の犯行ではなかったとは言い切れない。子供が大人の靴を履いて足跡を付けるのは、大人が子供用の靴を履くのに比べれば比較的容易なことですから。……一見逆に思われがちですが、実は小さなものほど偽装は難しく、大きなものほど容易いのです。そしてこの手形は、決して大きいとは言えないものの極端に小さいわけでもない。少なくともこの手形の大きさによって、この場の誰かを容疑者から除外することはできません」
「ふむふむ。了解した」
私の説明に、やはり満足そうに頷く辺境伯。これももう見慣れてしまった。
ずっと答えを引き出され続けているようで釈然としないが、必要な説明ではあったため留飲を下げておく。
そこに、アイラが遠慮気味に尋ねてきた。
「私からも一つ疑問があるのですが、そもそもこのナイフには、人を刺殺できるような切れ味を持たせてはいなかったはずなんです。主人からはそのように注文を受けていて、少なくとも私はその注文通りに、食事には困らない程度に、しかし決して誰かを害することができるような鋭さは与えない、ギリギリの調整をしていたつもりです。ですから、相当な力がなければ、このナイフでの殺人はできなかったと思うんです。だから主人も、あのナイフを警戒することが無かったのだと思いますし……。しかも、傷の深さから見て頭蓋まで砕いて貫いているように見えます。そんなこと、少なくとも普通の人間の力ではとても無理だと思うんです」
それは私も、薄々感じていたことだった。あのナイフで頭蓋を砕くには、尋常ではない力が必要なのは間違いないだろう。
——だがそれも、先の手形の大きさの件と同じことだ。
「もちろん、尋常ではない力が必要だったことは確かでしょう。ですがそれは、先ほどの例と同じことです。少なくともナイフをしっかりと握ることさえできたなら、あとはいくらでもやりようはあります。それこそ、身体能力を強化する魔法だってありますから」
「……そう、ですね。横やりを入れてしまってすみません」
小さく頭を下げるアイラ。しかしこれも、指摘がなくとも説明が必要なことだった。
「とんでもない。ありがたい指摘です」
そんなやり取りの末、私は一通りの現場検証を終えた。
あとは、イレーナを除く4人に利害の力が宿っていないか。理外の力が宿っていたとして、それは今回の事件に関係があるものなのか。それを明らかにするだけだ。
「順番はお任せしますので、一人ずつ、私の部屋へ来てください」
そう言い残して、私は自室へと移った。
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