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事情聴取 最後の確認
昨夜、彼が地下室を去る間際になされた問いかけ。
彼はその問いの答えを待たずに去っていったから、私の答えを聞かせることはできていなかった。
「もちろん、王族の行うことが全て正しいと思っているわけではありません。でも、少なくとも今宰相が行おうとしていることは――、奴隷制度の復活は、間違っている」
彼はそこで初めて、表情を険しくさせる。
「王族だって、同じようなことをしているのに?」
——私はようやく、彼の行動原理の一端に触れた気がした。
彼は昨夜、王族殺しの動機を、単に金払いのよかった方についただけだと言っていた。
だが、やはりそれだけではなかったのだ。彼の真の動機はきっと……
「亜人、ですか」
「……この国の王族は、自身の血統をこの土地に光臨した女神アリューレによって祝福を受けた『選ばれた存在』だと謳って君臨し、アリューレ教を国境に定めて、神話崇拝を掲げてるよな? ……その結果、亜人が不当に貶められることになったとしても、だ」
確かに、彼の言っていることは概ね間違ってはいない。
王族はこの国に封建的政治体制を築いており、彼らは自らの血筋を、千年戦争の末期にこの地に光臨したとされる女神アリューレに祝福を受けた「選ばれし血統」として神格化し、君臨している。
そしてその立場を守り続けるため、女神アリューレに纏わる神話の崇拝を推奨・推進し、刷り込み教育を行ってもいる。
アリューレ教は亜人を、邪神ダルディアによる呪いの顕れだとしている。結果として亜人はこの国で、不当な差別を受けているのだ。
そして王族がそれをほとんど黙認している状態にあるのは、紛れもない事実でもある。だが、彼女は——王女はあの時、確かに言ったのだ。
「――ですが、王女はそれも含めて、改善に乗り出すはずです」
「本当にそうか? あの女が、本当にそんなことをするとでも? ――あいつら王女派の王族は寧ろ、お前たち探偵を使って、自分たちの都合のいい結末を用意するだけのクズの集まりだろ?」
「――っ」
反駁したいが、しかしその指摘も、全てが間違いであるとは言えない。私はいつも、それに気付かないふりをしているけれど。
……だけどそれでも、私は王女についていくと決めている。
「どうやら、あなたとはやはり分かり合うことはできないようだ。このまま互いの主張をぶつけ合っても、そのレベルでの認識に溝があったのでは、平行線でしょう」
彼女は確かに、ただ清廉潔白な人物とは言えないかもしれない。必要であれば邪魔な相手を間接的に排除することも、もちろん有り得る。だが、この国に蔓延する不条理を正すためには、生ぬるい方法を採るだけでは効果がないこともまた事実なのだ。
誰についていったとしても、その誰かがこの国のあり方に大鉈を振るおうとすればきっと、同じような不信感には悩まされることになる。
……だったら私は、どんな時でも正しい手順を踏むことを厭わず、決して嘘だけはつかない、彼女の言葉を信じて共に進みたい。
――あの日、あの暗い地下室から私を救ってくれた、彼女の言葉を。
あの日約束してくれた『あなたの目的も、きっと達成できるはず』という、あの力強い言葉を信じて。
「私はこれからも、王女に従い続けます」
「――ま、そうだろうな。もとより分かり合おうなんて思っちゃいないさ」
あっけらかんと言い捨てて、セニスは大勢を落とす。
「では……、そろそろ決着を」
「いいけど、俺に本気で勝てると思ってるのか? さっきので分かっただろ。油断さえしてなけりゃ、俺はたとえ半人半狼の状態じゃなくても、お前より遥かに強い」
「それは、やってみないと――分かりませんッ!」
私は先ほどの動きを再生するように、彼の元に再び疾駆する。
「おいおい、そういう割にはワンパターンかよっ!」
彼は既に、確実に私の動きを見切って迎撃する構えだ。今回は、不意をつく事すらできていない。だが、そんなことはこっちだって承知のうち。私は彼のもとに駆けながら、腰に提げていた紙包みを投げつける。
「おいおい、それで牽制のつもりか!?」
彼はそれを、顔を少し横にずらすだけで難なく避けてみせる。
私が彼のもとに到達したのと、その包みが彼の背後の尽きかけの蝋燭の火元に落ちて燃え始めたのは、ほとんど同時だった。勢いよく燃え始めたその包みの炎が一瞬、強く辺りを照らす。
払いに行った彼の脚が一瞬宙に浮き、私の脚を避ける。返すの脚で放った回し蹴りは、先ほどとは違って避けられるのではなくいなされ、体勢を崩される。私のみぞおちに彼の左の拳が迫り、私はそれを両手で受け止める。だが、
「ぐっ——!?」
華奢な体のどこにそんな力があるのかと思うほどの衝撃――。
私の体は半分中に浮いて、両腕の防御は解かれてしまう。
私は息を吸う暇もなくそのまま腕を掴まれて、両腕を後ろ手に羽交い絞めにされながら、床に叩きつけられる。
「ったく、ちょっとは楽しめるかと思ったけど、馬鹿みたいにあっさりだな?」
「……」
「おい、なんとか言ったらどうだ? まさかこんなのでトんじまってるわけじゃないだろ?」
「……」
「なんだよ、つまらないな。じゃあ、お望みどおりさっさと楽に……」
彼はそこで言葉を切って、
「なんだこの、甘い臭いは?」
そう呟く。
「……」
「ああ、さっきの包みが燃えてるのか。……こんなもん、当たってたってなんの意味もなかっただろ。……ただの牽制にしても、お粗末すぎ……る……」
「……やっと、効いてきましたか」
私は、決して息を吸うことの無いように、短くそう呟く。
「……なん、だ……。どういう……ことだ……?」
彼は徐々に呂律が回らなくなり、そして、
「……意識が……」
どさりとその場に倒れ――、意識を失った。
私はすぐに部屋を出て扉を閉め、必死に耐えていた床に叩きつけられた際の痛みに呻きながら、限界まで呼吸を止めていた事による意識の混濁を、一度大きく深呼吸をして整える。
そして、閉めた扉に背中を預けながら、その場にへたり込む。
「……まったく。……結局、油断してたじゃないですか……」
――扉を閉める前。
倒れるセニスの後ろで燃えていたのは、包みの中から現れた、氷のヘリオトロープだった。
その後暫くして、ヘリオトロープの匂いもほぼ霧散したことを確かめてから、私は部屋の中に倒れるセニスをその場で拘束した。
ちなみに拘束具はいつも持ち歩いている。
それがクリスタ王国における淑女の嗜み……というわけではなく、探偵にとって必要なものだからだ。
そして、そのまま彼の能力を明文化する。
意識を失った相手であれば、明文化に相手の合意を得る必要はなくなる。
一方的な能力の盗み見はポリシーに反するが、相手が相手だ。罪人に人権が無いと言うわけではないが、この程度のことには目を瞑っても罰は当たらないだろう。
その結果、彼の身には身体能力を底上げする類の魔法と、自身でも認めていたとおり、狼男の特異体質が宿っていることが分かった。
……これで、容疑者全員から理外の力の明文化が済んだ。私は拘束した彼を担いで、呪術師の部屋へと戻った。
「な、なにがあったんです……!?」
ぼろぼろになった私が拘束されたセニスを運んで入ってきたのを見て、アイラが心配そうに駆け寄ってくる。
「セニスさんは半年前に王都で起きた『王族殺し』の犯人だったことが分かったので、眠って頂きました」
「ええっ!?」
アイラが叫び、その場の誰もが同様に、驚きに言葉を失っている。
「すまない。あのまま残って、加勢すべきだったね」
辺境伯が私をそう気遣い、
「……いえ、なんとかなりましたから」
「ボロボロだが……」
『大丈夫ですか?』
ウッドボードをこちらに向けて、イレーナが心配そうにこちらを見つめる。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ。……それで、」
私は全員を見渡して続ける。
「最後に一つだけ確かめたいことがあるんですが……、それは、この宿の外に行かなければわからないことでして……。そんなにはかからないと思うのですが」
そう。私は最後に一つ、主にタグに纏わることで、屋敷の外に出て確認して来なければならないことがある。
私の相談に、辺境伯が頷いて答える。
「ああ、ここは大丈夫だ。私に任せて、行ってきてくれていい」
「――すみません。すぐに戻ります。皆さんは食堂でお待ちください」
私はすぐに、屋敷を出た。
***
「旦那――じゃなかった、イマジカ様!? どうしてそんなにボロボロなんです!?」
私は数軒の酒場を巡って、目的の人物を見つけ出した。
「気にしないで下さい、ちょっと大きめの犬にじゃれつかれただけです」
「いや、そういう次元じゃないような……?」
「そんなことよりも、あなたに一つ頼みたいことがあるんです」
私のその言葉に、彼の目が真剣みを帯びる。
「……わかりました。困ったことがあれば頼ってくれと言いましたからね。あっしにできることなら」
「すみません、恩に着ます」
「それで、頼みというのはなんなんです?」
私は彼の目を見て、鞄からある物を取り出す。それをみて、おっさんの目が大きく見開かれた。
「これは――! しかし、どうしてこれが外れて――?」
私が取り出したのは、タグの腕に嵌められていた、束縛の腕輪だった。
「私を、あなたが王都で呪術師の話をきいたという奴隷商の元へ連れて行って欲しいんです」
奴隷商の屋敷は、呪術師の宿のすぐ近くにあった。
その応接間に、肥えた商人の野太い叫びが響き渡る。
「ひいいぃ――! か、勘弁してくれ! 今朝この屋敷についてみたら奴隷たちの腕輪が全部外れてて、もう奴隷商からは足を洗うって決めたところだったんだ!」
「いや、今まさに売ろうとしてましたからね。ダメです」
私は商人のおっさんの友人だということにして奴隷商の屋敷に上がり、奴隷商が自分の奴隷たちを安値で買わないかと相談を持ちかけてきたところで、自身の身分を明かした。
すると、一転してこの態度である。クズもここまで極まると、ため息しか出てこない。
「ひとまず、今この屋敷にいる奴隷は全て解放してください。そのうえで、私の質問に答えてくれれば、多少は罪が軽くなるように便宜をはかります」
「……ほ、本当ですか……? その保証は……?」
(保障、ね)
いかにも商人が好きそうな言葉だ。
「まあ、別に私はどっちでもいいんですがね……でも、逆に答えて頂けない場合は、罪が思ったより重くなるということも……」
「わかりましたっ! なんでもきいてくださいっ!」
くい気味に答える奴隷商。
……こういった強かさが、商人の世界ではものを言うのかもしれない。
「では、あなたに聞きたいのは一つだけです。あなたはここに、今朝到着した。間違いないですか?」
奴隷商は困惑気に答えた。
「……ええ、はい。そのとおりです。何人かで商隊を組んできたので、彼らに聞いてもらえれば裏も取れるかと……」
「そうですか……。わかりました」
――これで、全ての情報が出揃った。
とすると、やはり……。
しかし、だとしたら王女はどうしてあんなことを……。
……いや、そうか。
『王女の探偵として、為すべきことを為せ』
私は、王女が私を送り出す時に言ったこの言葉の本当の意味を、ようやく理解した。
(……だとしたら、王女。あなたは本当に、ひどい人です)
誰にも悟られない程度に小さくため息を吐いて、
「ではあなたは、このまま奴隷を解放してください。……ちなみに、もし逃げても分かるように、あなたには魔法をかけておきました。逃げれば、より罪が重くなるだけだということは忘れないように」
「はい……」
私はそう言い残して、奴隷商の屋敷を去った。
——もちろん、奴隷商には魔法をかけてなどいない。
だが、彼には私の言ったことが嘘だと判断する材料も、手段もない。この国における魔法や呪いとは、そういうものだ。
そう。唯一、
探偵という存在を除けば。
***
「ただいま戻りました。お待たせしてすみません」
私が呪術師の宿、その食堂へと入ると、全員の視線がこちらへ向いた。
アイラは奥の調理室の扉の前に立っていて、それ以外の人は昨晩と同じ配置で椅子に座っている。
「いや、思ったよりも早かったよ」
と辺境伯。その隣には、もう目が覚めているようで、セニスが私に鬼のような形相で鋭い視線を向けていた。
それは華麗にスルーして、「アイラさんは、こちらの席に」とアイラさんに昨晩私が座っていた席を勧める。
「承知しました」
アイラさんが座ったのを見て、私は呪術師が座っていた、一番奥の席へ。
そしてその椅子に座ることなく、静かにこう宣言した。
「呪術師を殺害した犯人が、分かりました」
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