事件の全容 容疑者の除外

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事件の全容 容疑者の除外

 クリスタ王国の北方。  グーダルク辺境伯領に属し、英雄譚の舞台ともなった街——、クランブルク。  その街には、一人の呪術師が営む宿があった。  その宿には窓が無く、ひとたび足を踏み入れれば、まるで外界から隔絶されたかのような錯覚にすら陥る。  ——そんな宿である日、呪術師が無残な姿で発見された。  呪術師は、殺されたのだ。  そこには一人の探偵がいて、彼女によって公平な捜査が行われる。  その結果、事件の容疑者が絞り込まれ、彼らは彼らが初めて顔を合わせた場所。食堂に集められた。  そして今、その事件に終止符が打たれようとしている。  ——呪術師グラムルを殺害したのは、誰だったのか?  その答えにたどり着くための材料は、全て出揃った。  探偵はその答えを、既に知っている。  ***  壁掛けの燭台に刺された蝋燭の炎が各々の陰をテーブルに落とし、それらが(あや)しく揺らめいている。  私は一同の顔を見渡して、宣言した。 「呪術師を殺害した犯人が、分かりました」  刹那、食堂内の空気が一変する。にわかに緊張が走って、不安や焦りといった様々な感情が入り混じった視線が私に向く。  しかし辺境伯だけは余裕そうに、「ふむ」と喜色の笑みすら浮かべている。 「つまり、やはりこの中に犯人がいた、と。そういうことでいいのかな?」 「はい。犯人は、この中にいます」  誰もが口を(つぐ)んで、自分以外の面々の表情を窺っている。  まるでその場の空気を反映するかのように、蝋燭の炎が勢いを弱めたようにさえ感じられた。  ――そこで、セニスが大きなため息をつく。 「外に何を調べに行ったのかは知らないが、アンタはこういいたいんだろ? 『王族殺しの犯人である俺がこの場にいる以上、この事件も俺の仕業に違いない』ってな。……それが、この国のルールなんだから」  この国の犯罪捜査では古くから、「疑わしきを罰せよ」の考え方が基本だった。  誰が犯人ではなく、誰が犯人だったのか……。魔法や呪い、特異体質といった理外の力の存在によってその証明が不可能である以上、それは仕方のないことだったのかもしれない。誰かが殺され、しかし論理的な証明が不可能だからという理由で容疑者全員を無罪放免とし続けていたら、到底秩序なんて保てない。  そんな国ではそこかしこで犯罪が横行し、内部から崩壊してしまうだろう。  ――だけど、私は探偵だ。  確かに、この場で最も怪しいのは、彼セニスかもしれない。  しかしだからといって、捜査をないがしろにはしない。  探偵はいつでも、理性と論理にのみ従う。  私は笑顔と共に返した。 「仮にあなたがこの場以外でどんな犯罪を犯していても、もしくは犯していなくても、わたしのやることは変わりません。この事件の犯人が誰だったのか……、それを明らかにするだけですよ」 「――っ。そうかよ」  彼は私が戻ってくるまでの間に、問答無用で犯人として指名され、そしてどんな弁明の言葉も聞き入れられないことを覚悟していたのだろう。驚きに目を丸くして、そっぽを向いてしまう。 「では、さっそくその犯人を教えてもらいたい。たとえ呪術師グラムルの過去の所業がどれだけ度し難いものだったとしても、殺人を認めることはできない。犯人の身柄は、早々に確保しなければならない」  辺境伯の言葉に、しかし私は毅然(きぜん)として返す。 「私は現時点で、この事件の犯人が分かっています。――ですが、その犯人の名をいきなり指名することはできません」 「それはなぜかな?」  ……そんなこと、彼は当然わかって聞いているに違いない。  発言の行き先を彼に先導して貰ってばかりだが、ここまできたら素直に甘えるとしよう。 「可能な限り正当な手順を踏む。それが、王女の探偵としての義務だからです。探偵は、この世界から冤罪をなくすために設けられた官職です。であれば、私が調査の結果何を知りえ、どんな情報から犯人を告発するのか。その過程を含めて、可能な範囲で説明しなければならない。それが、探偵に課せられた使命なのです」  辺脅迫は私の答えに満足したように、「わかった。では説明を頼むとしようか」と大きく頷く。  その他の面々も、私が犯人だと目している人物も含めて、一様に納得した様子だ。  私はもう一度全体を見回して、宣言した。 「では、呪術師グラムル氏殺害の全容を、ご説明させて頂きます」  静まり返る室内で、誰かの喉がなる音がした。 「ではまず、容疑者の確認から。――この事件に用いられた凶器が、昨晩食堂で用いられた銀のナイフだったことから、グラムル氏を殺害した犯人は、『グラムル氏がこの宿の外から持ち込まれたものは全て見通すことができること、逆に、この宿にもともとあったものであれば見通すことができないことを知っていた人物』……つまり、昨晩晩餐会に参加していた人物に絞られました。要するに、この場にいる六名です。……今から、この六名の中で、犯行が不可能だった人物を除外していきます。そしてその結果、最後に一人だけ、犯行が可能だった人物が残ったとしたら……」 「そいつが、犯人だ。分かり易いな」  タグが、得意そうに頷く。 「その通りです。――他の誰にも不可能だったなら、残ったその人が犯人ということになる」  アイラが心配そうな声音でつぶやく。 「理屈は分かりますが……そんなことが、本当に可能なのでしょうか」 「もちろん容易なことではありませんが……可能です。魔法や呪い、特異体質には、必ずルールがありますから」 「そう、ですか」 「まあ、ここは探偵殿の手腕を信じようじゃないか」  辺境伯が椅子に深く腰を埋うずめながら、楽しそうにそのやり取りを締めくくる。  私は小さく頷いて、容疑者の絞込みを開始する。  ……この瞬間が、探偵をやっていて最も緊張する場面だ。  自身の言葉に穴が無いか、何度も何度も自答して、整理したはずの言葉。  それでもやはり、不安を無にすることはできない。  だから私は、そんな不安を忘れられるように、努めて平静を装い、そして力強く言葉を発する。 「まず、私とアイラさんから」 「ふん、最初に自分か」  セニスが鋭い視線を向けてくる。 「はい。私が犯人ではないことを先に説明申し上げておかなければ、安心して私の推理をお聞き頂けないでしょうから」 「まあ、それは違いないけどな」 「では続けます。……まずアイラさんですが、もしアイラさんが犯人であったなら、グラムル氏は『昨晩の晩餐会は楽しんで頂けましたか?』などと言うはずがない。そもそも私は作夜、グラムル氏とグラムル氏に指示されたアイラさん、そして狼男――セニスさんによって、地下牢に囚われました。そして、地下牢からグラムル氏とセニスさんが去った後、夜が明けてからグーダルク様が来るまで、ずっと二人で話し続けていました。私たちは互いに、互いが無実だと証明し合うことができます」 「あのあと寝てないのかよ。……殊勝なことだな」 「誰かが服の胸元を引き裂いたせいで寒かったですし」 「そうかよ」  ふん、と顔を逸らすセニス。  美少女然とした容貌と格好のせいで可愛く見えちゃうんだよなぁ……。  しかし彼は、的確に私の説明の穴を指摘する。 「まあでもそれは、お前らが共犯じゃなければ、の話しだろ?」  それは、確かにその通りだ。  そしてそれを私は今から、どのみち否定するつもりでいた。 「いいえ、それもあり得ません。何故ならアイラさんには、呪術師グラムル氏によって〈従順の呪い〉がかけられていたからです」 「なっ……」 「従順の呪いは、術者の命令に逆らうことができなくなる呪い。……昨夜、他ならぬあなた自身がきいたはずです。グラムル氏はアイラさんに、私を『見張って、そこから逃がすな』と命じました。つまり……」  セニスの目を見る。 「私があの場から逃げることをアイラさんは見逃すことができなかった。そしてアイラさん自身も、あの場から立ち去ることはできなかった。私たちに、犯行は不可能だったのです」 「……そうかよ」  それ以上、セニスの追及はなかった。  本当のところで言えば、アイラさんの呪いは既に解けている。  ――しかし、彼女が昨夜呪いを受けていたことは地下牢の壁に出力した情報で証明可能だ。 「では、気を取り直して。――次に除外されるのは、グーダルク様です」 「ふむ。私か」 「はい。ですがこれについては、グーダルク様本人たっての願いによって、その理由をお話しすることはできません」 「な、なんだよそれは! 無実を証明できないからって、領主の力に物を言わせてそこの女を抱き込んだんだろうが!」  セニスが激昂する。それは、無理もない話だ。 「いいえ、私は辺境伯に宿る『理外の力』を明文化し、それを元にグーダルク卿が犯人ではないことを確信しています。証明もできますが……それはこの場では差し控えます。これ以上の問答は平行線ですので、どうかご理解ください」  そこに、辺境伯が予想だにしない言葉を発する。 「……いや、やはりこの場で、全てを明らかにしよう」  なっ……!? 「いずれは明らかになることだ。それならば、それを明らかにするのは君であってほしい」 「で、ですが……」 「いいんだ。言ってくれ」  彼は真っ直ぐに私の目を見てそう言った。 「……わかりました……」  彼は、覚悟を決めている。であれば、これ以上の気遣いは野暮というものだろう。 「では憚りながら……」  私は乾く唇をアイラさんが用意してくれていた紅茶で湿らせて、続ける。 「辺境伯には、ある特異体質が宿っています。その特異体質の持ち主は、銀に触れることができません。グラムル氏の殺害に用いられたナイフは、銀のナイフでした。――吸血鬼であるグーダルク卿は、この事件の犯人ではありません」 「ええっ!?」  アイラさんが驚きに声を上げ、 「なるほどな……辺境伯が……この国の英雄が、まさか俺と同じ『亜人』だったとは……。そりゃ確かに、隠して当然だな」  セニスが目を細くして辺境伯を見る。同じ亜人として、思うところがあるのだろう。  イレーナさんと、世情に疎いと見えるタグでさえ、驚きに目を丸くしている。 「まあ、驚くのも無理はない。私が亜人だったなどということが知れれば、『国境線の守護者』の英雄譚は地に落ちるだろう」 「じゃあどうして今、ここで明かすことにしたんだ」  セニスが試すような語調で問うと、辺境伯は事も無げに答えた。 「先に言ったとおり、どうせ明らかになる秘密なら、それを明らかにするのはイマジカちゃんであってほしい。美人だし……なにより彼女は、最後まで公平であろうとしてくれた。亜人である、私に対してもね」 「……っ」  セニスは表情を険しくして、口を噤む。  ――確かに私は王女の探偵で、王族は神話の崇拝を尊ぶ。  だが、王女は神話よりももっと多くのものを、より尊ぶべきものとしている。  それは、月夜の沐浴であり、庭に咲く花々であり……正当な手順を踏むこと、そして、「真実を明らかにする」ということでもある。  亜人に対する偏見や差別といった理由によって、それを蔑ろにすることは王女の意思に反する。  この国の犯罪捜査の改革を行うに伴って、王女はきっと、そういった理にそぐわない事柄をおしなべて正していくはずだ。  であれば私も、それに習わなければならない。  ――それにそもそも、そういった不条理を正すことこそが、私の目的でもあるのだから。 「辺境伯の検証は以上です」 「わかったよ。おっさんは犯人じゃない。だとすると……もう俺にはわかったぜ」  そこで、セニスが一度私に厳しい視線を向け、 「俺は、俺が犯人じゃないことを知ってる。だとすれば、残ったのは一人、そこのガキだ」 「えっ!? オレカ……?」  タグを指差す。確かに、私も彼の検証については手を焼いた。状況だけ見れば、彼は非常に怪しい。  だが―― 「いいえ、違います」  私はそれを、否定しなければならない。 「違うだと!? あの束縛の腕輪が外れてる時点で、どう考えても怪しいだろ!」 「私とアイラさんは地下牢で一夜を明かしましたが……その際、アイラさんは自身の過去をお話しくださったのです。そしてその中に、とても興味深い内容がありました。それは……、どんな呪いも等しく解いてしまう方法です」  イレーナとセニスが驚愕に身を震わせる。 「そ、そんな方法が……?」 「ええ。あったんです。そしてそれが――、タグくんの無実の証明に繋がるのです」 「ふむ。どういうことかな?」  辺境伯が小さく笑みを向けてくる。 「まず、グラムル氏と犯人との会話が記録された『賢者の手記』において、犯人が右手にナイフを持っていることを示唆する発言がありました。――もちろん、動揺したグラムル氏の見間違えである可能性も否定はできない。しかし、私は凶器のナイフに、『葡萄酒の記憶』の魔法を用いました。その結果、犯人は右手でナイフを扱い、頭蓋(ずがい)を貫くほどの力を以ってグラムル氏を刺殺したことがわかった。……しっかりとナイフを握ることさえできれば、それも不可能ではないかもしれない。しかし……タグくんは、束縛の腕輪により右手の機能がほぼ失われていた。よって、彼は犯人ではない」 「だが現に今、タグくんの腕輪は外れている。どういうわけか呪いが解けているんだ」  辺境伯の疑問に、タグ本人すら頷いてしまっている。 「そうですね、彼の束縛の腕輪の呪いは解けている。そして、その呪いを解く方法は、三つあった」 「……二つではなく、三つかい」 「ええ。一つは、呪術師による解呪。しかし、『賢者の手記』にそんなやりとりは記録されていない。二つ目は、その腕輪を嵌めた奴隷商による腕輪への口付け。しかし、これも不可能でした。先ほど確認したところ、その奴隷商は今朝この町についたばかりでしたから。となると、残るは最後の一つ……」 「それが、先に言っていた全ての呪いを等しく解く方法か」 「はい。それは――、『呪いを受けた者が、その呪いをかけた者を殺した場合』です」  ……これは、この国の呪術に対する認識を根底から覆す事実。当然、 「なっ……!? そんなことで……!?」 「……なるほど……」  アイラが瞠目し、辺境伯は静かに眉間に手をやった。そして、独り言のように呟いた。 「確かに、この国では呪いについての研究がそれほど進んでいないにも関わらず、『呪術師を殺しても呪いは解けない』という教訓だけはしっかりと残っている。少し不自然だとは思っていたが……。あれはもしかすると、解呪の秘密に気付かれないようにするため、呪術師たちが意図的に広めた教訓だったのかもしれないな……」  確かに、そうかもしれない。 「私が見てきた事例だけ挙げても、彼ら呪術師は決して、反逆の可能性が限りなく低い奴隷を除けば、身寄りのない人間に呪いをかけることはありませんでした。それは、呪いを受けた者自身が自身を害しに来ることを避けるためだったのかもしれません」 「……そうだね。それで、タグくんの件だが……」 「ええ。もうお分かりのこととは思いますが、タグくんの呪いが解ける条件は、三つ目の条件でしかあり得なかった。確かに、タグくんに腕輪がなければ、犯行は可能だったかもしれない。でも、 タ グ く ん の 腕 輪 の 呪 い が 解 け る に は 、 そ の 時 点 で 、 グ ラ ム ル 氏 は 死 ん で い る 必 要 が あ っ た 。タグくんは犯人ではありません」  私が奴隷商に接触したのは、このことを確認するためだった。  もし昨夜のうちに奴隷商がこの町に帰ってきてしまっていたら、宿から抜け出し、奴隷商に腕輪にくちづけを行ってもらった可能性も否定はできなかった。  ――まあ、昨夜のうちにかえってきていたとしても、奴隷商がみすみす奴隷の腕輪の呪いを解除するなんて、万が一にもないはずだけれど。  そしてこの解呪の秘密は、私の無実をさらに裏付ける証拠ともなる。  ……私は、セニスとアイラがいる目の前で呪術師の命によって胸元を開かれ、呪いがかけられていないことを確かめられた。  しかし、現時点で呪いが解けている以上、呪術師を殺したのは逆説的に、呪いにかけられていた人物に限られる。  つまり、呪いがかけられていない私が犯人ではないことを、さらに裏付ける証拠となるのだ。  ……ただ、私はそれをある理由からここで話すことはできない。それを話すことは、王女のある秘密に繋がりかねない情報を与えることになるから。  恐らくグラムルが王都で本当に呪いをかけたかったのは私で、私に呪いをかけたと思い込んでいたのは、王女が能力を使って私に化けていたせいなのだから……。  アイラにかけられていた呪いのお陰で私の無実も間接的に証明されたため、このことを話す必要がないのは、ある種の僥倖(ぎょうこう)だったと言えるだろう。
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