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事件の全容 犯人の指名
意識を巡らせる中、辺境伯が口を開く。
「……うむ。理解した。タグくんは犯人ではないようだ。となると……」
「犯人って……」
「あれ、結局そうなのか……?」
辺境伯とアイラ、そしてタグの視線が一点に注がれる。
そして、その人物が哄笑を上げる。
「なんだよ、結局俺に罪をかぶせる気なんじゃねえか! これだから王族に関わりのある人間はアテにならねえんだ! ったく馬鹿らしいったらねえ。一瞬でも評価を改めそうになった自分が馬鹿みてえだ!」
笑いが止まらないといった様子だ。
その目には、恐らくはこれまでも同じように不条理な扱いを受けてきたことから来る諦めと、怒り。そしてその更に奥には、深い悲しみの色が沈んでいるように見えた。
こうして自分はまた裏切られ、亜人であるというだけで罪人の印を捺されるのだと。
――だけど、そうではない。
「いえ、セニスさんは犯人ではありません」
「なっ!?」
セニスが目を見開く。
辺境伯は小さく頭を下げて詫びる。
「おっと失礼。はやとちりだったか」
「な、なんで俺に罪を着せない!? 俺は亜人なのに――」
「亜人だからですよ」
「……わけが分からねえ。……確かに俺はあの呪術師を殺しちゃいない。……けど、それを証明することができるのか!?」
「できます」即答してやる。
「――っ!」
「あなたをタグくんの後にしたのには、理由があります。それは、あなたの無実を証明するためには、タグくんが無実であることを先に証明しておく必要があったからです」
「オレの無実が関係ある? 身に覚えはないけどな?」
いや、彼の証言には、現時点で最も価値のある情報が眠っている。
「タグくんは、犯人をみた……そうですね?」
「ああ、そのことか。そうだナ。昨日の夜、犯人を見たよ」
その言葉に、辺境伯が亜人だったことがわかったときを超えるどよめきが走る。
アイラさんが息を荒げてテーブルに身を乗り出し、
「ほ、本当ですか!? 一体誰が――」
それを、辺境伯が制す。
「待ちたまえ。その目撃証言で犯人が特定できるなら、流石にわざわざこんな迂遠な説明は行わないはずだ。犯人の特定ができるほどの情報というわけではないんだろう?」
流石に冷静だ。
「タグくん」
「――ああ。フードをかぶってたから、顔は分からなかったんだ。俺が見たって言えるのは、昨日の夜、呪術師のおっさんの部屋から「さようなら」って言って出てきた人影。それだけだ」
「な、なるほど……」
アイラさんは力が抜けたようにしてすとんと椅子に腰を落とす。
そして、辺境伯が全員の意思を代弁したように問うてくる。
「ふむ。では、それでどうして、セニスくんが犯人ではないと言えるのかな?」
「タグくん、その人影の身長は、私よりも高いということはないかった。そして、それは間違いなく人影だった。そうですね?」
「ああ、そうだな。それで間違いない」
「だとするとやはり、セニスさんが犯人であるはずはない」
「……ああ、そういうことか……」
ようやく、セニスが腑に落ちたというように表情から険を消す。
「だから、『亜人だから』か――」
私はそんな彼を視界の端に捕らえながら、言う。
「先ほど申し上げたとおり、セニスさんは狼男です。昨夜は満月で、セニスさんは月が沈むまで、半人半狼の姿だった。確かに、そんな彼の力であれば、あのナイフでも呪術師を殺すことは容易かったでしょう。……でも、それはあり得ない。狼男は半人半狼の姿になると同時に、人の姿の時の倍ほどの体躯になります。そんな彼が――」
一呼吸おいて、続ける。
「 私 よ り も 小 さ な 人 影 と し て 目 撃 さ れ る は ず が な い 」
室内が、しんと静まり返る。
蝋燭がその身を溶かしながら炎を灯すように、この事件の全容もまた、少しずつその身を溶かしながらここまできた。
真実を、炙り出してきた。
しかし、その結果訪れたのは――
「じゃあ一体、誰が犯人なんだ――?」
真実とは言い難い、さらなる困惑。
セニスの呟きに、
「誰にも旦那様を殺すことはできなかったのでは?」
アイラさんもそれに同意する。
まあ、こうなるだろうことは予想していた。
私は静かに、それを確かめるように言う。
「いいえ。もう一人、忘れています」
誰もが、言葉を失う。
「しかし、君は真っ先に彼女を――いやまて、そういうこと……なのか」
さすがに辺境伯は、気づいたみたいだ。
「ん、どういうことダ? だってイレーナ姉ちゃんは、声が出せないんだろ?」
タグの言葉には、邪気の欠片もない。
しかしだからこそ、核心にほど近いその言葉を、すんなりと口にできる。
アイラさんが、隣の女性をちらと見ながら、小さく呟く。
「そう。だって、旦那様と犯人は、会話していた……」
それは、何かを願っているような、そんな呟き。
でも、私はそれを、正確な情報に正さなくてはならい。
「……いえ、正確には、呪術師が死んだあとに『さようなら』と言ったんです」
――そう。呪術師は、即死だった。
犯人が声を発した時点で、呪術師は死んでいた。
タグにここに来た理由を聞いたとき、タグは『呪いを解いてもらいに来た』と言った。呪いを解くには呪術師に解呪してもらうしかないと思っていたのだから、当然そういう言い回しになる。
……でも、思えば彼女は最初から、ここに来た理由をこう言っていた。
「彼女は書いて《言って》いました。『呪いを解きに来た』と。――恐らく彼女は、呪いの解き方を知っていた」
私は、唇を噛む。
「私はこの宿に来る途中、彼女に、私の過去の話をした」
これは決して、私の望まない結末。
「その時私は、身体強化の魔法、『血縁の加護』の習得方法を伝えていた。彼女も私に自身の話しをして、双子の弟がいることを教えてくれた」
あまりに、滑稽な結末。
「でも、どうして一人でここに来たのかという問いに対しての答えは、多分、嘘だった。ところで彼女は昨日、宿に来る前、私に曲を演奏してくれた。それと同じ曲を、中庭でも演奏していた。しかし、最初は骨のようなものを用いて、そして中庭では素手で弦を弾いていた。この辺りではその寒さから、素手で演奏する人は珍しい」
でも、言わなければならない。
「……どうして彼女は中庭では、素手で演奏したのか。……例えばあの骨が双子の弟のもので、それをしたたみ、『血縁の加護』を習得していたとしたら……」
王女の言葉の意味を、私は今になってようやく理解していた。
「あのナイフだって、十分凶器として扱える」
例えこれが偶然の結末ではないとしても……、私は彼女を、告発しなければならない。
「呪術師が死んだ時点で、呪いは解けています。――例え『失声の呪い』を受けていたとしても、呪術師が死んだ時点で声は出すことができた。であれば、彼女のアリバイは崩れ去る。この中で、唯一犯行が可能だった人物。それは――」
あの人が、王女が、『王女の探偵として為すべきことを為せ』と言って私を送り出した以上、……私は、その言葉に従わなければならない。
例えそれが――
「イレーナさん。あなたです」
どんな不条理であっても。
目を向けた先で、彼女は静かに瞑目していた。
しばらくの沈黙ののち、彼女はゆっくりと目を開け……そして、口を開く。
「流石です。……とはいえ正直、こうなるだろうとは思っていたので、あまり驚きはないのですがね」
そう言って、彼女は小さく笑って見せる。
その声は、驚くほどに清らかで美しかった。
「どうして、と訊くのはやはり野暮ですか?」
「いえ、そんなことはないですよ。ただ……大体は察しがついておられるのでは?」
逆に問われてしまった。
実際、根拠もほとんどないけれど、大筋の予想はできている。
「……亡くなった弟さんのための復讐……といったところでしょうか」
「さすが、やはりお見通しですかぁ」
「あなたは姉弟で活動する吟遊詩人だった。あなたが呪いを受けたのは、王都でのこと。……偶然、私の主人である王女もお二人のことを見に行っていました。そしてその時に――、呪いを受けた」
「へえ、王女様が。でも、そんな方が来ていたら、騒ぎになっていたのでは……? あの方の人気はすごいですし、知らない人の方が少ないと思いますが」
「……そうですね。まあ、偶然気付かれなかったのでしょう」
これは、嘘だ。
王女が素顔のまま城下に降りて、気付かれないなんてことはほとんどない。
あの日王女は、「理外の力」を使っていた。
イレーナさんは、それに恐らく気付いたらしい。
「――ああ、なるほど。あの時の『知り合いに同じ特異体質の者がいる』というのは、王女のことでしたか。どうりで、お詳しいはずです」
「そうかもしれません」
あまり吹聴するような内容でもないが……不可抗力だし、仕方がないだろう。
彼女が察したとおり、王女は、顔の造形を自由に変えることのできる特異体質、「変相」の持ち主だ。
だから私はあの時、食い逃げ犯の特異体質を、あれほど事細かに言い当てられた。
「……話が逸れましたね。王女がイレーナさんたちを見に城下へ降りた日、グラムル氏は王女に呪いをかけ、恐らくはそのついでに、イレーナさんにも呪いをかけたのでしょう」
「全くもって迷惑なはなしですね」
「であれば、その時点で、弟さんは生きていたはず。しかし、あなたは昨夜、弟さんの骨を食べ、血縁の加護を習得した。つまり、イレーナさんが呪いを受けた後、何らかの理由から、弟さんは命を失ったものと考えられる。……そして恐らくそれは、グラムル氏がイレーナさんに呪いをかけたことに起因する死だった。……だからあなたは、弟さんの死の復讐のため、グラムル氏を殺した」
間違っているかもしれないが、これが私の導き出した答えだ。
彼女は間違いなく、やさしい人だ。そんな人が、ただ自身の呪いを解きたいという理由だけで人を殺めるとは、どうしても考えられなかったから。
「……すごいですね。まるで心を読まれてしまったかのようです。イマジカさんの仰ったことは、ほとんど正解です」
「ほとんど、ですか」
まだ見逃している点があっただろうか。
「ああいえ、これは推測のしようもなかったことですよ」
その場の誰もが、彼女の言葉に耳を傾けた。
あのセニスですら、彼女の語る動機を、静かに聞いていた。
イレーナは、双子の弟と共に国を旅する吟遊詩人だった。
人の心を震わせる見事な演奏技術を持つ弟と、その演奏を清らかな美声でうたいあげる姉。
地道に活動を続けるうち、二人の名は静かに、しかし確実に、国中に轟いていった。
……ようやく活動が軌道に乗ってきて、王都での巡業も成功を収めた日。
広場の中心。噴水の縁に腰かけ、その日の成果を弟と二人で確かめ合っていたとき。
イレーナは突然、自身の喉に違和感を覚えた。そしてそのことを弟に伝えようとして口を開いたが——、彼女の喉は声を発することはなかった。
そこでイレーナはようやく気付いた。自身が、声を出せなくなっていることに。
隣を見ると、弟は白く濁った目を見開いたまま、虚空に手を伸ばしていた。そしてその手を耳に持っていくと、急にその場に膝を折って嗚咽を漏らし始めた。
——掻きむしられ、乱れた髪の奥。
垣間見える彼の耳の裏には、赤黒い薔薇の紋様が浮かび上がっていた。
イレーナはその瞬間、声が失われた自身の喉がいまさらになって干からびていくのを感じた。
弟の耳に浮かび上がるのは、呪いの紋様。そして今、自身は声を出せなくなっている。
つまりイレーナたちは、呪いにかけられたのだ。
呪術師はいつも、相手が最も奪われたくないものを呪いによって奪う。
だが決して、命までは奪わない。彼らの目的は往々にして、解呪金をせしめることだから。
だけど……。もし、弟が奪われたのが、 聴 覚 だとしたら——
弟はもはや言語にすらなっていない、まるで獣のような叫び声をあげ続ける。
イレーナは彼の腕に手をやった。しかし彼は、びくりと身体を震わせて彼女の手を振り払った。
彼に触れるときは、声をかける約束だ。
だが、イレーナは声を出せない。いや、仮に出せたとしても、彼にはもうその声が届くことは無いだろう。
「呪術師は、相手が最も奪われたくないものを呪いによって奪い、解呪金を要求します。
しかし、決して相手を殺すことはない。……死んでしまっては、解呪金は得られませんから。
そんな呪術師によって私は喉を奪われ、そして弟は、耳を奪われました。
確かに私にとっての喉は商売道具であり、最も奪われたくないものだった。
ですが、弟にとっての耳――聴覚とは、命そのものだったのです。
……恐らく、呪術師は知らなかったのでしょう。
弟が、生まれつき目の見えない――
全盲だったということを」
思えば、王女も言っていた。『全盲の奏者の演奏が圧巻だった』と。
イレーナの弟は、生れつき目が見えなかった。
そんな彼に音楽の才能があることがわかったのは、塞ぎこみがちな彼に、イレーナが手作りの弦楽器を自らの演奏によって音楽を聴かせたことがきっかけだったという。
その時彼は必死に練習して覚えたイレーナの演奏を、ほとんど感覚だけで再現して見せたらしい。
彼はそれから練習を積み、目が見えなくても弦の位置さえ体に染み込ませれば外でも演奏が可能な楽器——ハープを選んで、イレーナと共に吟遊詩人としての生活を送るようになった。
目の見えない彼が唯一生きる意味を見出した、音楽。
いや、きっと彼は、姉の言葉、あるいは歌にだって幾度も救われてきたはずだ。
そんな彼が、聴覚を奪われたのだ。
「目の見えない弟は、耳だけを頼りに音楽の道へと進みました。
彼にとって音とは、音楽とは、たった一つの心の拠りどころであり、道しるべだったんです。
そんな弟が、聴覚を突然奪われたんです。
弟はきっと、私が想像もできないほどの絶望を感じたことでしょう。
弟はほどなくして発狂し、走り出しました。
そして馬車の往来へと飛び出して轢かれ、死に絶えたのです」
馬の蹄に押し倒され、車輪に轢かれ、その衝撃で石畳に頭を強く打った。
イレーナの弟が再び息を吹き返すことはなかったそうだ。
彼女は弟の亡骸をその腕に抱いて泣き続けたが、一度も声は出なかった。
「私はその日から、復讐のことしか考えられなくなったんです」
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