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探偵は王女と踊る
虚空を見つめてそう話す彼女にかける言葉を、私はなにも持っていなかった。
中途半端な同情も、慰めの言葉も、今の彼女には空しく響くだけだろう。
だからといって、私には彼女の行いを非難する資格もないし、そんな気持ちにも到底なれない。
……私だってあの時、妹が殺され、感情の赴くままに領主を殺そうとしたのだから。
ただ、私にはそれを止めてくれる言葉があった。
私と彼女には、それだけの違いしかないのだから。
それに――
「いえ、あなたは決して、復讐のことだけに心を支配されていたわけではないはずです」
「……どうしてそんなことが言えるんです?」
彼女はテーブルに拳をたたきつけて身を乗り出す。
彼女の目がはじめて、私を向く。
その目には、静かな怒りと、憂いがあった。
中途半端な同情はいらない。そういうことなのだろう。
でも、私には確信がある。だったら、それを伝えなければ。
「だったらどうしてあなたは、ナイフの血を拭わなかったんですか?」
その問いに、その場の誰もが、はっと息を飲む。
「どうしてあなたは、死体をそのまま放置したんですか?」
私は彼女の答えを待たない。
「どうしてわざわざ、 利 き 手 で な い 右 手 で 呪 術 師 を 刺 し た のですか?」
……彼女は楽器を演奏しているときも、食事のときも、左手を利き手として使っていた。
「確かにそうだね。それらは別に、難しいことじゃなかったはずだ。ナイフに至っては、利き手で扱った方がいいにきまっている。……でも、君はそれをしなかった」
辺境迫が、優しい口調で言い添える。
そうだ。この事件にはもともと、本来は潰せるはずのヒントが多すぎた。
「少なくとも、呪術師を右手で刺したというヒントがなければ、この事件の容疑者からタグくんが除外されることはなかったかもしれない。つまり、あなたは意図的に、まだ子供であるタグ君を容疑者からはずすため、あえてヒントを残したんです」
私の言葉に、彼女は大きく目を見開いて、ため息をついた。
「……そんなことまで、お見通しですか」
彼女はタグに目をやって、小さくつぶやいた。
「タグ君の姿がね――小さい頃の弟に、重なるんですよ」
こうして、雪と氷の町で起きたこの事件――呪術師殺人事件は、幕を閉じた。
辺境迫の呼んだ兵士に連れられていくイレーナさんを見送りに宿の外に出れば、朝の底冷えするほどの寒さは既に失せ、優しく暖かな日差しが、前庭に降り注いでいた。
***
「旦那。旦那ってば、起きてくださいよ」
「んあ」
野太いおっさんの声で目が覚める。素敵な目覚めだ。
「もうすぐ着きますぜ」
王都までの道のりを、私はまたおっさんの馬車に同乗させてもらうことで辿っていた。
「相変わらず速いですね」
「奮発して買った魔法の蹄鉄ですからねぇ……。ところで、今回もお見事だったそうで。流石です」
クランブルクで起きた呪術師殺人事件。その事件は、王女の探偵により解決された。
……そのことを知っている人はあの時宿にいた人たちを除けば、兵士くらいしかいないはずなんだけど……。
「さすがに、商人の耳ははやいってことですか」
「そりゃもちろん。少なくない金を払って、兵士さんから全部聞かせてもらいましたよ。王都への土産話には丁度いいですし、その旦那があっしを頼ったってことと合わせて触れ込めば、あっしの商売もちっとはやり易くなるってもんですからね!」
がははと笑ってみせるおっさん。
悪い人ではないが、やはり根は商人なのだということだろう。商魂たくましいことこの上ない。
まあ、本人を目の前にしてそこまであけすけに語ってみせるところが、なんとも憎めないところでもあるんだけど……。
「それはいいんですが……今回の事件は、できればその内容についてはあまり触れ込まないでもらえると有難いですかね」
「……ほう。そりゃまたどうして」
ここで下手なことを言えば、「王女の探偵が事件の内容を隠したがっている」という情報として商人たちをはじめとするゴシップ好きの者たちの会話に上ることになる。かもしれない。
このおっさんに限ってそんなことは無いかもしれないけれど、酔いの流れでということもある。注意するに越したことはない。
——商人が欲しがるのは、情報。
ある情報を隠すには、別のインパクトある情報で、その情報を塗り替えてしまうのが手っ取り早い。
「私、犯人だったイレーナさんのこと、好きなんですよ」
「……ええっ!?」
「好きな人の起こした事件を吹聴して欲しい人なんて、いるはずがないでしょう?」
「は、はぁ……」
これで、もし仮におっさんが酔いに任せて口をすべらせるとしても、それは事件の内容ではなく、王女の探偵の恋愛事情に関するゴシップだろう。
そんな毒にも薬にもならない情報であれば、仮に漏れたとしても問題はない。
別に誰からどう思われようと、私は一向にかまわないし。それに、好きか嫌いかで言えば好きだから嘘というわけでもない。
「旦那、そっちの趣味があったんですね……確かに、かっこいいからなぁ……」
「はいはい、ありがとうございます」
「いや、ほんとに褒めてますからね!」
未だに旦那呼びなところには目を瞑って、私は馬車の中に寝転ぶ。
……そうだ。あの事件の詳細をあまり広めることはできない。
あの事件の犯人は確かにイレーナさんだった。
呪術師グラムルにナイフを突き立て殺したのは、イレーナさんだ。
……彼女が呪いの解き方を知っていたのは、きっと偶然だ。
それ以上考えることをやめようとしても、頭のどこかでは、まだ仮説を組み立てている自分がいる。私はその仮説を全て否定し、それ以上そのことを考えないようにする。
本当に、全部偶然なのか?
――そうだ。
あの時、解呪方法を唯一見出した私の母が死んだとき、王女があんな辺境の村に来ていたのも?
――偶然だ。決して、その解呪方法を暴きに来たわけじゃない。
王女から手渡された短剣の裂傷の呪いがグラムルによるものだったのは? 彼女は最初から、自分に呪いをかけたのはグラムルだと知っていたのでは?
――偶然だ。きっと王女も誰かから貰い受けたんだ。
イレーナに呪術師の場所を教えたのは誰だ?
――そんなことはどうだっていい。
そのとき、呪術師の場所を教えた人物は同時に、呪いの解き方を教えたのでは? そして王女なら、顔を変えて接触することも容易だったのでは?
――だとしても、それは王女とは関係ない。
この事件でグラムルが死んで、一番得をしたのは?
――彼に呪いをかけられていた人なんてたくさんいるはず。得をしたのは、王女だけじゃない。
だったらなぜ、王女は私を、『王女の探偵として為すべきことを為せ』なんて迂遠な言葉で送り出した――?
……。
私はもう、否定することをやめた。
否定すればするだけ、私の中には澱のように、それらの問いが溜まっていくだけだから。
……そうだ。そもそも王女のあの言葉があったから、私は、この事件の詳細を多くの人に知られないようにしていた。
王女のあの言葉があったから、例えこの事件が、どこかの誰かがイレーナさんを誘導したものだったとしても、その誰かを突き止めることはやめて、イレーナさんだけを犯人として告発した。
グラムルが私に呪いをかけたと勘違いしていたのは、恐らく、王女が「変相」を用いて私の顔に化けて城下へ降りていたからだ。
思えばあの時——。
領主によって捕らえられた私のもとに王女が現れたこと自体が、すでにおかしかったのだ。
確かに私の持つ特異体質は希少なものではあるが、かといって私以外にいないというわけでもない。
彼女がわざわざ幼い私を選ぶ理由などないはずだったのだ。
ではなぜ彼女があの日、あの場所にいたのか。
答えは明白だ。彼女の真の目的もまた、領主と同じように、母の研究成果だったのだ——。
母の研究資料は領主が持ち去り、その後行方が分からなくなったと聞かされている。
きっとそれは本当だ。母の研究資料は今、すでにこの世には存在してはいないだろう。
だが、それは真の意味で正しくはない。母の研究成果は、今もなお生き続けているはずだ。他ならない、王女の頭の中に。
彼女はその聡明な頭脳を以て、めぼしい母の研究成果を記憶したのち、その全てを闇に葬ったのだろう。
母が国を去った理由と同じように、どこかの誰かにその内容を悪用されないように。
つまり王女は、呪いの解き方を知っていたのだ。
だが、王女は私に解呪方法を伝えることなく呪術師のもとへと向かわせた。
私にそれを直接伝えるということは、彼女があの時あの場にいたのは、私ではなく母の研究成果を求めてのことだったと認めるようなものだから。
一方で、イレーナには解呪の方法と呪術師の居場所を伝えた。
イレーナは解呪方法と自身にかけられた呪いを逆手に取った――私にあらかじめ呪いを明文化させた上で呪術師を殺害し、呪いが解けたあとで声を発することによって容疑者から除外されるという――アリバイ工作を思いつき、実行した。
そして私はそのアリバイ工作を見抜き、イレーナを捕らえた。
たとえそれが、王女がイレーナを誘導した結果によるものだとしても。
結果として、王女自身が手を汚すことなく王女の呪いは解けた。その上、王女は呪いの解き方を、私に直接伝えることなく教えることができた。……たしかに結果だけ見れば、彼女にとってはこれ以上なく好都合な結末だろう。
――だが、一度その過程に目を向ければ、それはあまりに王女らしくない手法であると言わざるを得ない。
そもそも本来王女は、こんな不確定要素の多い迂遠な方法を用いなくてもよかったはずなのだ。
私に解呪方法を教えて、その上でイレーナが呪術師を殺害するように仕向けさせることだってできた。
私がそれを断らないことを、彼女は知っている。
確かに、あの日の彼女の真の目的が私ではなく母の研究成果だったことを知り、そして全てを知った上でイレーナに殺人を犯させることを命じられれば、少なからず私の中で王女への不信感が募ることにはなっただろう。
だが今だって結局、私はこうして王女のやり方に不満と不信感を抱いている。
『王女の探偵として、為すべきことを為しなさい』
彼女はこう言って私を送り出したのだ。だからこそ私は、 王 女 の 探 偵 と し て 、事件への王女の関与を悟られないようにしつつイレーナを犯人として指摘した。
つまり、私が王女の思惑を理解することを前提として、王女は私に王女の探偵としての振る舞いを命じたのだ。
その結果として、私の中に王女への不満や不信感が募ることを、聡明な彼女が予期できないはずがない。
むしろこのやり方は、予め覚悟ができていなかった分、私にイレーナへの罪悪感をより強く感じさせる結果になっているとさえ言える。
要するに王女は今回、不確定要素が多くなる代わりに、私の心により大きな傷を残す方法を選んだのだ。
(どうしてわざわざそんなことを……)
ここまで意識を巡らせて、私は不意に、王女にかけられていた呪いの内容を思い出した。
〈叛逆の呪い〉――。
それは、自身の最も敬愛する相手への敬いと愛情が、憎しみに翻る呪い。
彼女の私への態度があまりにいつもどおりに見えたから、私は王女にとって最も敬愛する相手ではなかったのだと、そう思っていた。
だけど、もしかしたら――。
彼女は今回、彼女らしからぬ方法で私を傷つけた。
これが本当に、偶然ではなく故意だったとしたら――
「……まったく、なんて分かりにくい人なんですか」
思わず苦笑して、声に出てしまった。
すると御者台で手綱を握っていたおっさんが、首をかしげてこちらを振り向く。
「何かいいましたか?」
「なんでもありませんよ」
「おや、空耳でしたか。まだしばらくはかかると思いますが、お土産は大丈夫そうですかね?」
私が手に持つ箱の中には、氷のヘリオトロープが入れられている。
ヘリオトロープの花言葉は、「献身的な愛」或いは「忠誠心」――。
つまり私は王女に、全てを知ってなお忠誠を捧げることができるかどうかを問われている。
……本当に、どこまでもひどい人だ。
氷の魔法がかけられた箱なのでまだまだ溶けることはないはずだが、私はこの花を、一秒でもはやく彼女に届けたかった。
「代わってもらえますか?」
「ええ、いいですが――って、うおっ!?」
私はおっさんから手綱を譲ってもらうと、馬の腹に、おっさんがやるよりも優しく鞭を入れた。すると馬は、さらに加速する。
めまぐるしく流れていく景色は、まるで舞踏会で踊ってでもいるかのようで――
「そっか……」
私は、ようやく覚悟を決めた。
私はずっと、彼女の手のひらの上で踊らされてきた。
本当はそのことに気づいていながらも、気づかないふりをして。
私はこれからもずっと、王女のために踊り続けることになるだろう。でも。これからは、今までとは違う。これからは、王女に操られ、踊らされるのではなく、私自身の意思で――
「私は、王女と踊ろう」
――探偵は王女と踊る。
それがこの国。
クリスタ王国の、探偵事情だ。
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