薔薇の紋様

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薔薇の紋様

「えぇ!? こんなにですか!?」  門を(くぐ)って街の中。私は馬車から降りて、おっさんに到着後の運賃を手渡した。そして彼は手渡された包みを開いて、声を上げて瞠目(どうもく)していた。  確かに運賃としては破格だが、いくらおっさんが目を皿にして数えても、数え間違いではない。 「貴重な話をたくさん聞かせて頂きましたし」 「そ、そうでしたかねぇ……?」 「それと、」  ここからが本題だ。 「私がこの街に来たことは、なるべく他言無用でお願いしたいなと思いまして」 「……あぁ、なるほど」  私の頼みで、彼は全てを察したようだった。要するに、運賃に上乗せした分の金額は口止め料だ。  私がこの街に来ていることが漏れることは、探偵と言う私の立場上あまり好ましいものではない。  探偵がいることが広く知られてしまえば、それを知った誰かが何かを隠してしまうかもしれないから。  それに――。万が一にも、王女が呪いにかけられていることが知られないように。  おっさんは小さく頷いた。 「わかりました。旦那がこの国に来たことは、交渉のカードには使いません」  商人たちは互いの持つ情報を交換し合う。それは逆に言えば、情報を持たない者は情報交換の輪に入ることが難しいということだ。  おっさんがこの約束を反故(ほご)にしないという保証はないが、私は彼のことを信じていた。  だが、私の彼に対する評価は、それでもまだ低かったのかもしれない。  彼は更に言葉を続けた。 「でも、それにしたってこれは貰いすぎだ。だから、何か困ったことがあったら、いつでもあっしを頼ってください。力になれるかは分かりませんが、あっしにできることならなんだって協力させて頂きます」  にかっと人好きにする笑みを浮かべて、彼は胸を張った。  中肉中背、というにはやや小太りだが、彼の姿は実際の大きさよりも遥かに頼もしく映った。 「ええ。その時は是非、よろしくお願いしますね」  彼は商人であり、基本的には損得勘定で動いている。だが、彼の損得の勘定にはきちんと相手の損得も計上されている。  自身が一方的に得することをよしとせず、受け取りすぎた分の補填(ほてん)(いと)わない。商人向きの性格とは言えないが、私にはそれが好ましく映った。  やはり彼は、私が思った通り。――いや、きっとそれ以上に、誠実な人物なのだろう。  クランブルクには北門と南門を繋ぐ小川に沿った目抜き通りと、それにほぼ垂直に伸びる東門と西門を繋ぐ目抜き通りがある。  そしてその二つの目抜き通りによって、北東区、北西区、南東区、南西区の4つの区画に分けられている。  私たちはクランブルクへ、南門から入った。  私が目指すのは旅人向けの宿屋が集まる北東区で、おっさんが目指すのは商人たちが集う南西区。  つまり、ここでおっさんとはお別れだ。 「じゃあ、また」  手を上げて、私は歩き出す。すると彼も手振って言った。 「はい。旦那もお元気で!」  ……。そうだ、彼にはこの勘違いが残っていた。  どうせ最後だし、一応訂正しておくのも悪くないだろう。  少し離れたところで振り返ると、彼はまだ手を振っていた。  そして私はそんなおっさんに向かって、ハッキリと宣言した。 「一応言っておきますけど、私、女ですからね!」  私は彼の反応を見ることなく進行方向に向き直り、石畳を鳴らして足を踏み出す。  きっと今頃彼は、あんぐりと口を開けて茫然(ぼうぜん)としているに違いない。  ***  流れる小川に沿って歩くこと約十五分。  西門と東門を繋ぐ目抜き通りを渡った先に立っていた雪だるまをモチーフにした看板には、小さなベッドの絵と共にこう書かれていた。 「『旅人たちの宿場』、北西区……」  私は、目的の区画へと到着していた。  見渡せば、外観から質を追求していることが分かるものから低価格を売りにしていることが分かるもの。あるいは酒場や食堂、土産物(みやげもの)屋を併設したりして差別化を図っているもの。さらには娼館を兼ねるものなど、多種多様な宿が所狭しと軒を連ねている。  ……とはいえ、私が目指すのは北西区の外れ。まだ暫くは歩かなければならない。私は小さく身震いしつつ、土産物屋に入った。 「はいよ、まいどあり」  私は宿屋兼土産物屋に売られていた、この土地の伝統的外套らしい「英雄の外套(がいとう)」を受け取っていた。 「この街にいる間はそいつを着ておいた方がいい。今のあんたの格好はちっと寒そうだ」  急いで身支度を整えてきたせいで寒さの見積が甘く、クランブルクの気候に対して厚さの足りない外套を持ってきてしまったことも購入理由の一つだが、それ以上に、街行く人々のほとんどが揃いの外套を着ているので、それを着ていないと物凄く浮いてしまうのだ。  禿頭(とくとう)の店主に「ありがとうございます」と礼を言って、英雄の外套を羽織って外へ出る。  すると確かにその外套はそれまでに着ていたものよりも暖かく、いくらか寒さが(やわ)らいだ。 (さて、と……)  再び歩みを進めつつ、私は王女から伝えられた呪術師に関する情報を思い返した。  それによると、なんと呪術師はこの街で堂々と宿屋を営んでいるらしい。過去に辺境伯が住んでいた邸宅(ていたく)を買い取って、半月ほど前から。そしてその宿があるのが、北西区の外れだ。  なんでも、宿に泊まる者に呪いをかけ、宿代と称して解呪金を請求(せいきゅう)するという相当にあこぎな商売をしているとのことだった。  宿代云々に関しては経営者である呪術師と客との間の宿泊時の契約内容にもよるため何とも言えないが、少なくとも他者に呪いをかける行為は明らかに違法だ。 (私はその宿に泊まって、誰かに呪いをかけたことが分かれば、その時は呪術師を拘束して王女の呪いへの関与も含めて洗いざらい吐かせる……)  本当にその呪術師が王女に呪いをかけた人物だった場合、王女の探偵である私の前で誰かに呪いをかけるかどうかは分からないが……、もし誰にも呪いをかけなかった場合は、 (また別のアプローチを考えるしかないだろうなぁ……)  別の観点からその呪術師が王女に呪いをかけた呪術師であることが分かれば、それを理由に捕らえることだってできる。 (まぁ、どちらにせよ、大人しく捕まってくれるとは思えないけど)  と、そんなことを考えながら目抜き通りを歩いていると。  通り過ぎようとした宿兼食堂の前で突然、店主らしき風貌(ふうぼう)の男が怒声を上げた。 「お前、昨日うちの店に来た食い逃げ犯だろう!」  やはり店主だったようだ。店主は女性の腕を掴んでいて、怒り心頭といった様子でまくし立てた。 「わざわざフードを脱いで顔まで見せて『また食いに来てやる』なんてほざいてたから警戒してりゃ、なんだ、髪の色を変えればバレないとでも思ったのか!? 馬鹿にしやがって!!」  女性は必死に店主の手を振りほどこうとするが、確りと握られた腕は自由にならない。  次いで、腕を掴まれた時に取り落としたのだろう。地面に落ちた木板(もくばん)に手を伸ばすが、あと少しのところで届かない。  店の中からは、その様子を珍しい赤髪の客がテーブルから身を乗り出して伺っている。  それだけのことであれば、間抜けな食い逃げ犯がお縄についた場面として結論付け、関わることは無かっただろう。  ……だが。  女性はその間、一切声をあげることも、弁明することもなかった。  厳密には、口を動かしてはいるのだが、声が出ていない。  そして、腕を掴まれたことで羽織(はお)っている外套のフードが脱げ、白い首筋が(あらわ)になっていた。そこには――、  淡く赤黒い光を放つ、黒薔薇の文様(もんよう)が浮かび上がっていた。
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