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疑わしきを罰せよ
「その手、放してあげてください」
気付けば私はそう声をかけて近づき、店主の腕に手を置いていた。
店主は怒らせた目をぎろりとこちらに向ける。
「……なんだ兄ちゃん、こいつの知り合いか?」
兄ちゃんと呼ばれて少し表情が引きつるが、今はいちいちそこにつっこみを入れるような場面ではない。ぐっと堪えて、
「いえ、初対面です」
「じゃあなんだってこいつの肩を持つ? 俺は昨日、こいつの顔をみたんだぞ!?」
「首も見ましたか?」
店主は自身の剣幕にも一切動じない私の問いに、調子を削がれつつも言った。
「あ、あぁ。顔から首元まで、ハッキリと見た」
「ではその時、今彼女の首元に浮かび上がっている黒薔薇の紋様はありましたか?」
「ん……?」
店主は女の首元を見る。そして件の紋様を認め、「いや……」と口をすぼめた。
やはり。であれば、彼女は食い逃げ犯ではない。
「これは、呪いの紋様です」
私がそう告げると、腕を掴まれたままの女性も何度も頷いた。
「だが……、そうだ。こんなもんは一晩のうちにどうとでもできるだろう。食い逃げした後に呪いを受けたのかもしれない!」
「確かに、呪いの紋様の有無だけでは確証足り得ない」
私はそれを認める。
「じゃあやっぱり……!」
「ですが、」
しかし、私は何も紋様の有無だけを根拠にしているわけではない。
いや、紋様の有無も重要ではあるが、それと同じくらい重要なのが、彼女の受けた呪いの内容だ。
「彼女は先ほどから、抵抗はするものの、一言も弁明してはいない」
店主がはっと息をのむ。
「それどころか、彼女は先ほどから、一言も声を発していないのです」
店主の手から力が抜けて、女性の腕の拘束が解かれる。
すると女性は落ちていた木板を拾って、そこにチョークで文字を書き込んで店主に突きつけた。
(やっぱり……)
その内容は、こうだ。
『私、一月ほど前に王都で呪いを受けました。それから、声を出すことが出来ません。そのことは、昨夜この街に来るまでにお世話になった方々に聞けば確認できると思います』
「なっ!?」
店主は驚愕に身をたじろがせる。私は彼に、言い聞かせるように言った。
「彼女は呪いにより、声を出すことができない。しかし昨日現れたという食い逃げ犯に呪いの紋様はなく、そして『また食いに来てやる』と言った。つまり声を出すことが出来た。彼女は、食い逃げ犯ではありません」
「だが……」
しかし、店主は尚も言い募る。
「確かに俺は、この女の顔を見たんだ」
「そもそもそれがおかしい。食い逃げ犯が逃げ際にわざわざフードを脱いで顔を見せていく? そんなことをする必要がありますか?」
「っ……! だが、じゃあ誰が犯人だって言うんだ!? 俺には守らなきゃいけねぇ嫁と子供がいる。嫁の腹には、もう一人いるんだ。食い逃げ犯のカモにされた店なんて言われて、この先客の入りが少なくなったらどうする! それに、声を出せない演技なんて誰にだってできるはずだ。呪いの紋様だって、本当に声を出せなくなる呪いなのかどうかはわからないだろう!!」
するとそこで店内から、赤髪の客が野次を入れてくる。
「そうだ! この国では、『疑わしきを罰せよ』がルールだ!」
その言葉に、声の出せない女性が身を固くするのが分かった。
そうだ。クリスタでは、「疑わしきを罰せよ」の理念のもと、ある条件下において最も怪しい人物がいれば、その人物が犯人として捕らえられ、罰せられる。
それは、魔法や呪い、特異体質といった理外の力で溢れるこの国において、犯罪捜査の価値が軽視されてきた結果だ。
理外の力を他者が推し量る、あるいは自身が証明することが不可能であるこの世界で、正しい結論を見出すことは極めて難しい。不可能とさえ言えるかもしれない。
だからといって、全ての犯罪を無罪放免とするわけにもいかない。そんな国では瞬く間に犯罪が横行し、到底秩序など保てない。
そう。だから、犯罪捜査が軽視されることも、馬鹿げた理念が掲げられることも、ある意味では仕方の無いことだったのかもしれない。
とはいえ、だ。
それは、過去の話。……いや、まだ完全に過去にできてはいないが、これからきっと、過去にしていく。
そのために、私は王女に仕えているのだから。
「確かに、その指摘への反証材料は、現時点では存在しない。声を出せない演技というのもそう簡単なものではないとは思いますが……それが不可能であることは、現時点では証明できない。何かをできないことの証明は、何かをできることの証明の幾層倍もの困難を伴います」
私の言葉に、女性は小さく項垂れる。これまでにも、同じような目に遭ったのかもしれない。理不尽に罪を着せられ、反論することもできずただそれを受け入れるしかなくなる。……だが、今は違う。私はお腹に力を込めて言った。
「ですから、私の能力を使いましょう」
私は前髪を耳にかけて、隠れていた右目を露にした。
「兄ちゃん、いったい何を……」
店主の言葉が続くことはなかった。私の右目を見たのだろう。
「それは……」
私は胸を張って言った。
「私は『探偵』です。今から、彼女に宿る理外の力を明文化します」
私の右目は、普通の目と同じように物を見ることが出来る。その上で、普通の目にはない、ある力が宿ってもいた。よく見れば、黒い瞳がまるで鍵穴のような形をしているのが分かるだろう。
店主はそれを認め、言葉を失ったのだ。店主の目には、私の右目がよほど不気味に映っているのだろう。
(だからこそ、私は普段、それを髪で隠しているんだし)
私はその〈真実の眼〉で、女性の目を見た。
「今からあなたの身に宿る理外の力を明文化させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
確認を取ると、彼女は力強く頷いた。
「わかりました」
言いつつ、私は肩から提げた鞄から一枚の紙を取り出した。
「それは、王家の……」
その紙には、こう記されている。
「『〈真実の眼〉によって以下に明文化された内容は、全て真実として認める』。そして、王女のサインと捺印もなされています。つまり、〈真実の眼〉によってこの紙に明文化された内容へ異議を申し立てる場合、それはそっくりそのまま、王家への異議申し立てになるということです。程度にもよりますが……、恐らく食い逃げよりは重い罪に問われることになるでしょうね」
「……わかりました。〈真実の眼〉の力と探偵制度の存在は聞き及んでいます。王家への異議など滅相も無い」
店主は静かに頭を下げた。
「それはよかった。では、明文化の前に。あなたの名前を教えてくださいませんか?」
少女は頷いて、木板に石灰石を走らせた。
『イレーナ、です』
イレーナ……。いい名前だ。
「ありがとう。……では、始めます」
私はイレーナの目を真っすぐに見て、右目に力を込める。
そして、紙に手を翳す。
すると――
「おぉ……」
「……!」
その光景に、店主が感嘆の声を漏らし、女が瞠目した。
右手と紙を、淡い青色の燐光が包む。次に、紙に次々と文字が浮かび上がり始めた。炙り出しのように浮かんでは、泡沫のように消えていく。
それはまるで、紙という舞台の上で文字たちが躍ってでもいるかのよう。
不規則な文字の舞踏は徐々に規則性を持ち始め、消えずに残る文字が出てくる。残った文字たちは徐々に意味を為してゆき――
最後には、これらの内容が明文化された。
++ ++ ++ ++ ++
【呪い】
〈声失の呪い〉
この呪いを受けた者は、声が出せなくなる。
++ ++ ++ ++ ++
「なっ……!」
明文化された内容を見て、店主がたじろぐ。
「ほ、本当に……? でも、じゃあ、一体誰が……?」
私にはこの時点で、ある人物に疑念を抱いていた。
「あなたは、食い逃げ犯を追いかけなかったのですか?」
店主はかぶりを振った。
「もちろん、追いかけました。でも、食い逃げ犯を追って店の外に出ると、もうそこにあいつはいなかったんです」
「いなかった、というのは?」
「言葉の通りです。俺は昨日、確かに食い逃げ犯がこのお嬢さんと同じ顔だったのを見ました。でも、外に出て一番近くにいた人の顔を見ても、そのお嬢さんとは違う人だった。その時近くにいた何人かの顔を見ても、誰も食い逃げ犯の顔ではなかったんです!」
「犯人の身なりは……ああ、それは判断材料にはならないんですね」
「ええ。この街ではほとんど皆同じ外套を羽織ってるんで。食い逃げ犯もその外套を羽織ってたせいで身なりでは判断できないし、体型も分からないんです」
「なるほど」
「多分、俺が店を出てから、犯人は魔法ですぐにその場を離れたんです。例えば、身体強化系の魔法なんかを使って」
「だとすると、より彼女には不可能ですね。彼女からは、〈失声の呪い〉しか出力されなかった。つまり、身体強化の魔法など習得していないのですから」
「あっ……」
自身の言により彼女の無実をさらに補強することになり、店主は言葉を失う。
まあ、身体強化の魔法も彼が思うほど便利な代物ではないんだけど……、まあ、それは今触れることではないだろう。本命は、次の質問だ。
「ところで、先ほどあなたは『髪の色を変えた程度で』と言っていましたね。食い逃げ犯の髪の色はどんな色でしたか?」
店主は店の中を振り返って、
「丁度、そこのお客さんみたいな髪の色でした。なあ、昨日最初に声をかけたのも、あんただったよな?」
素知らぬ顔で酒を飲んでいた赤髪の男が、「えぇ……と。そうだったかな」と曖昧に首を傾げる。
しらを切ろうとはしているが、これで状況証拠は大体揃った。
私は、努めて大きな声で言った。
「さて。では一体、誰が犯人だったのか――? ……例えば、です」
店内にも、その声が届くように。
「昨日、あなたが声をかけた中に、犯人と同じ髪の色をしており、なおかつ 自 身 の 顔 の 造 形 を 自 由 に 変 え る こ と の で き る 特 異 体 質 を 持 つ 人 が い た と し た ら ? 」
「なっ――!?」
店主は、何度目とも知れない驚きの声を上げる。
「そんなことがあったなら……」
「まあ、身辺の調査くらいはさせてもらうことになるでしょう。勿論、食い逃げの証拠なんかは出てこないでしょうが……、余罪はあるかもしれません。例えば――」
私は、店内で目を背け身を小さくしている赤髪の男に目を向けて言う。
「最近この街で多く被害があったという、宝石商が盗まれた宝石類とか」
赤髪の男の肩が、びくりと震える。
「『宝石商を狙い、わざと顔を見せていくのに、未だに捕まらない盗人』……そうか。確かに、同じ手口だ……」
最近この街に来たであろう女性はいまいちピンと来ていない様子だが、さすがにこの街に暮らしている店主は思い至ったようだ。
この街に来る道中、商人のおっさんが言っていたこの街を商人たちが避ける原因は、呪術師の他にもう一人いた。商人の語ったその盗人の手口と今回の食い逃げ犯の手口は、非常に酷似している。
同一犯か、それとも模倣犯か……。
盗人の手口が私の推測の通り特異体質〈変相〉を用いたものだとしたら。その特異体質は希少能力に分類され、そうそう発現するものではない。そんな希少能力持ちが同じ街に居合わせるなんて考えづらいし、そもそも模倣犯であれば、食い逃げなどという小犯罪ではなく、同じように宝石商を狙ったり、少なくとももっと金になる対象を狙ったはず。何故ならこの街では既に同様の手口を用いた犯罪が起きており、万が一犯行が露見した場合、その犯罪の大小を問わず、「疑わしきを罰せよ」の理念のもと、既に起きている犯罪の罪も被せられることになるのは明白だからだ。
つまり。今回の食い逃げは、これまで宝石商を狙った犯罪を何度も達成してきた盗人が、あまりに足がつかないことに慢心した結果実行したものである可能性が高いと言える。
私は店内へと歩みを進めた。
「私はこの事件を、特異体質〈変相〉を持つ人物による犯行だと考えています。〈変相〉は、顔の造形を自由に変えることのできる特異体質。ですが逆に言えば、それ以外を変えることはできない。そう。例えば——、髪の色とか」
赤髪の男が立つテーブルの前で足を止め、彼の目を見て続ける。
「さて……現時点で最も『疑わしい』人物は、あなたです。あなたは、自身の無実を証明しなければならない。その方法は、簡単です」
私は、努めてにこやかに言った。
「私に、あなたの身に宿る理外の力を明文化させて頂けませんか?」
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