食い逃げ犯の正体

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食い逃げ犯の正体

「明文化の結果、あなたが〈変相〉の持ち主であったなら。容疑者として身辺の調査を行わせて頂きます。逆に、そうでなければ、私の思い違いとして謝礼と共に謝罪させて頂きましょう。……さあ、明文化を」  そう赤髪の男に迫ると――。  男は突然、出口へ向かって駆け出した。だが、 「おっと」  私は横を駆け抜けようとする彼の右腕をしっかりと掴んだ。 「ここで逃げれば、罪を認めることになりますよ?」 「よ、用事を思い出したんだ。急いで帰らないと……」  苦笑いを浮かべてそう弁明する男に、私は淡々と告げる。 「あなたには、昨夜この店が被害に遭った食い逃げの容疑、そして宝石商たちが被害に遭った盗難の容疑がかかっています。私には、事件の容疑者から理外の力を明文化する権限が与えられている。これは任意ではありません。法により定められた義務です。それを放棄することはつまり、法を犯すということ。……要するに、ここで明文化に応じなかった場合も、あなたの身辺調査は行われることになりますね?」 「……」  沈黙。男は二の句を継げずに立ち尽くし―― 「クソッ——!」  左手に隠し持っていたナイフをひらりと(ひらめ)かせた。その切っ先が私の顔を目掛けて突き上げられる。  後方で、「あっ」と店主の声がする。  ……ふいを突かれたなら、完璧に避けきることは難しかったかもしれない。だが、 「おっと」  私は上半身を軽く逸らすことで、それを難なく(かわ)してみせる。彼がこういった手段に訴える可能性があることは、最初から織り込み済みだ。 「なっ!?」  男は驚愕に目を見開くが、私は事も無げに告げる。 「これはれっきとした傷害未遂ですよ?」 「——ッ! 知ったことか!!」  男はもう一度、今度は私の腹部に向けてナイフを突き出した。だが、遅い。  私はナイフを突き出す男の左手に掌底を叩き入れる。 「ぐっ!?」  男はたまらずナイフを取り落として、そのナイフがくるくると回って地面に落ちる。  私はそれを足で蹴り上げ、顔の前で受け止め回収した。  ナイフの刃を二本の指で挟んで言った。 「まだ、お相手しましょうか?」  男は暫くの沈黙の後、 「くそ……王族の狗なんかがなんでこんなところに……」  そう小さく呟いて、体から力を抜いた。  その後私は赤髪の男の身に宿る理外の力を明文化し、私の推測通り、男が特異体質〈変相〉の持ち主であることが明らかになった。  そして騒ぎを聞きつけてやってきた兵士に事情を説明し、彼を引き渡した。  罪状はあくまでも傷害未遂の現行犯。  そこに食い逃げの容疑と宝石の盗難容疑を加えて、その証拠となるものがないか、身辺の調査がなされるだろう。  前者の証拠は出てきようもないが、恐らく後者は見つかるはずだ。  盗みを働いた街でその品を売り捌くことはリスキーだし、そもそもこの街には今商人がほとんど寄り付かなくなっている。つまり、彼が盗んだ宝石は、まだ誰にも売られていない可能性が高い。  そんなことを店主とイレーナに説明し終えたところで、 「先ほどはとんだ失礼を……申し訳ありませんでした……!」  店主がものすごい勢いで頭を下げてきた。そして流れるように、イレーナにも頭を下げる。 「嬢ちゃんも、本当に申し訳なかった……!」  するとイレーナは首を振り、木板に石灰石で書き込んだ内容を見せ、 『騙されていたわけですし、過ぎたことですから。それよりも、犯人が見つかってよかったです』  店主ににこりと笑いかける。  それを見て店主は「あぁ……」と涙ぐんだ。 「お、俺はなんていい子を疑っちまったんだ……」 「まあ、反省はすべきでしょうね」 「はい……おっしゃる通りで……。探偵様も、止めてくれてありがとうございました。もう少しで俺ぁ、何の罪もない子を兵士に突き出しちまうところだった」  商人が再度頭を下げると、イレーナもまたこちらに向かって深々と頭を下げた。  店主は店と家族を守るために食い逃げ犯を逃がすわけにはいかなかったようだし、その気持ちは理解できる。  常人には到底伺い知れない手段によって嵌められていた以上、私は彼を必要以上に責めるつもりはないし、彼女がいいと言うならそれ以上とやかく言うこともないだろう。 「いえ。私は王女の探偵として、為すべきことを為しただけですから」  店主は「はぁ〜……」とひとしきり感嘆のため息を漏らした後、「それにしても」と言って私の身体をまじまじと見つめ出した。なんだなんだ。 「……なんです?」  返答によっては店主の処遇についていろいろと考え直さなければならなかったが、「いえね」と言って彼が続けた言葉は――それはそれで若干悔しいけれど――私の疑ったようなものではなく。 「探偵様は頭がいいだけでなく、武術にも通じておられるんだなぁ……と。確かに背は高い方ですが線は細目に見えるんで、まさかあれだけの動きができるとは思いませんで」  ああ、なるほど。彼の指摘は、良いところをついている。  確かに私は上背(うわぜい)のある方だが、体は決して筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)という感じではない。  探偵はいつも、他人の秘密を暴く。そして秘密とは、誰にも知られたくないからこそ秘められ、(ひそ)かにされているのだ。  当然、秘密を暴かれることを、誰しもがすんなりと受け入れるわけではない。ちょうど、先の赤髪の男が私を害そうとしたように。  自身に凶刃が迫ることを分かっていながらそれに対し何の対策も備えもしないというのは怠慢だ。  そして私はその対策を、日々の修練(しゅうれん)と、もう一つ。身体強化系に分類される魔法〈血縁の加護〉に(たの)んでいる。  かつて、この魔法を使い始めた頃は使用後の反動である強烈な筋肉痛によって暫く満足に動くことすらできなくなったものだが、今はその反動も克服済みだ。  とはいえ自身の持つ力を必要以上にひけらかす必要もないので、 「まあ、あの程度のことができなければ探偵は務まらないということですね」  とだけ言っておく。すると店主が心底感心したように「はえぇ。なんというか、大変なお仕事だ」と後頭部をかき、イレーナが目を輝かせてうんうんと頷いている。  そしてイレーナは木板に石灰石を走らせて、私にそれを向けた。 『私からも、二つほどきいてもいいですか?』  なんだろうか。とりあえず、断る理由もない。 「もちろん」  そう返すと、イレーナは一度木板を拭いて綺麗にし、文字を刻んだ。 『どうして希少な特異体質である〈変相〉についてあれ程詳しかったのですか? 〈真実の眼〉によって、実は最初から彼の理外の力を知っていたとか……?』  ああ、なるほど。確かにそう思われても仕方ないだろう。だが、理由はもっと単純だ。 「知り合いに、偶然同じ特異体質を持つ人がいまして」  なるほど、というようにイレーナは頷く。 「それに〈真実の眼〉は、対象に意識がある場合、合意を得なければ効果を発揮しないのです。無機物か、あるいは意識を失っていれば合意が無くとも明文化は可能ですが」  確かに〈真実の眼〉は事件捜査にとって非常に便利な能力ではあるが、万能というわけではない。  だからこそ王女は、探偵制度の草案を提出する際、探偵を官職とし、平民よりも立場を上に位置付けることで、明文化の合意を半強制的にでも得られるようにしたのだ。 「それで、もう一つというのは?」  問いかけてみたが、この時点で私にはなんとなく、彼女の問いを予想できていた。  呪術師のいるこの街に、呪いを受けた女性が足を運ぶ理由はただ一つ――。  イレーナは木板をこちらに向ける。果たしてその内容は、私の予想通りの内容だった。 『あなたも、呪術師の宿に?』 「そうです。ではやはり、イレーナさん。あなたも」  確かめると、彼女は首肯してみせた。 「なるほど。では宜しければ、ご一緒しませんか? 場所が場所だけに、一人よりは二人の方が心強いかと」  私の提案に、イレーナは顔をぱぁっと輝かせて『よろしくお願いします!』と書いた木板を両手で突き出す。なんというか、小動物みたいでかわいい人だ。  そんな私たちのやりとりを見て、商人は唖然(あぜん)とした表情を浮かべる。 「ちょ、ちょっと待ってください、あの宿に行くんですか!?」 「ええ。そのつもりです」 「や、やめておいた方がいいですよ。流石の探偵様でも、呪いを受ければ呪術師には逆らえなくなる……」  どうやら私たちの身を案じてくれているらしい。とはいえ、それは当然、最初から分かっていたことだ。 「まあ、その時はその時です。私にはそこで、やらなければならないことがありますから」  店主は尚も引き留めようとして口を開こうとするが、私の表情を見て、それを飲み込んだ。そして小さくため息をつき、天を仰いで言った。 「あーあ。今日は二人に非礼を働いちまった謝礼として、うちの宿に格安で案内しようと思ってたんですがね? 見事に、呪術師に客を取られちまったってわけだ」  空気を弛緩させる店主の演技に、私もわざとらしく肩を落として見せる。 「平時であれば魅力的な提案ですが、まあ今日は、そうなりますね」 「まったく、やっぱり呪術師にはさっさとこの街から出ていって貰わらないといけねぇみたいだ。領主様もそろそろ動くかもしれないって話も出てるんですが……、よろしくお願いしますよ」 「ええ。ではタダで泊まらせてもらうのは、次来たときということで」  しれっと言った言葉に、店主は条件反射で答える。 「ええ、勿論です」 「では、また」  そう言って、私はそそくさと歩きだす。その後ろを、イレーナが付いてくる。  一瞬遅れて、 「はい、また……って、タダぁ!?」  店主がようやく私の罠に気づいたようだ。  そしてイレーナもにこりと笑って、店主に向かって木板を高く掲げた。 『もちろん、私もですよ!』  うららかな日差しの中、街の雑踏に店主の「そんなぁ~!?」という叫びが響き渡った。
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