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始まりの事件
「リーリア様。これは……何ですか?」
夜半。可愛らしく包装された箱を手に思わず漏らした私の声が、部屋の隅に蔓延る闇に吸い込まれる。
今夜は満月のはずだけれど、私が今いるのは王城地下。当然、月の光など届かない。
壁掛けの燭台に灯されゆらゆらと頼りなく揺れる蝋燭の火だけが、辺りにぼんやりと赤く色を与えていた。
「何って、私からのプレゼントだけど?」
スツールに腰かけてこちらを見上げるのは、私の主。
王国の宝とも称される、聡明な頭脳と誰もがうらやむ美貌を持つ、この国の王女。
「突然ですね……?」
「あら、まさかとは思うけれど、今日が何の日か忘れてしまったの?」
今日が何の日か。それは当然覚えている。
「王女が私を救ってくださってから、ちょうど十年になります」
「なぁんだ。覚えているんじゃない。だったら、突然ということはないでしょう?」
「いえ……そうなのですが。なんというか、王女は『出会って何年記念日』だとかそういった俗っぽい慣習を気にされるイメージが無かったので」
王女が私に何かを授けることはこれまで幾度もあったが、それはいつも、私にその何かが必要になったときだった。
そして私は今、特に何かを欲しているわけではない。
「イマジカもなかなか言うようになったわね? 私だって、愛する側仕えとの記念日くらい大切にするわよ」
「愛する……」
私は王女にジト目を向ける。
「でしたら、もう少し『お願い』の頻度を減らして頂けると嬉しいんですがね?」
そう。彼女はいつも「お願い」と称して、私に無理難題を課してくる。
王女にこの身を捧げる覚悟はとうの昔にできているが、それでも彼女のお願いの頻度は鬼畜だと言わざるを得ない。
お願いが終わったと思えば次のお願い……。今はこうして王女と共にいるが、つい先日までも私は、王女の欲した珍しい花を持ち帰るためだけに、遥か西方の山まで都合一週間もかけて馬を往復させたのだ。そのついでに、山の麓の村で起きた神隠し事件を解決し、その過程で山に巣くう大蛇と戦って、愛用していた短剣を失うという悲しい出来事にまで見舞われた。
とはいえ、それ自体はどうだっていい。王女にとって必要なことなら、私は喜んでそれを引き受ける。ただ……
(本当はもっと、王女の側にいたいのに……)
なんて言ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
だが、そんな私の気持ちなど彼女は知る由もなく。
「あら、これでも我慢しているのよ?」
「えぇ……」
「あなたが本当に嫌なら、これからは控えるようにするけれど……」
言葉は殊勝だが、こちらを見上げる彼女はただいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「嫌では……ないですけど……」
訂正だ。彼女は私の気持ちを知る由もないわけじゃない。
彼女は私の気持ちなどとうに理解したうえで、私を弄んでいる。
そしてそんな彼女を、私はどうしようもなく憎からず思ってしまうのだ。
彼女はきっと、何をしてもすべてが許される魔性の魅力を持っている。
そんな能力は私の眼には映らないけれど、そうに違いない。だから私はいつまでも、彼女にこうして絆されているのだ!
私は「はぁ」とため息をついて脱力し、
「では、ありがたく頂戴いたします」
潔く負けを認める。すると王女は、
「うんうん。最初から素直に受け取っていればいいのよ」
と満足そうに微笑む。悔しいはずなのにその微笑みを見せられただけで全てがどうでもよくなるから、やはり彼女には私には推し量れない謎の力があるのだと思う。
私は努めて平静を装って尋ねる。
「今開けても?」
「ええ、もちろん。気に入ってくれるといいんだけど」
「では――」
リボン結びにされた可愛らしい紐をほどき、包装をはがす。
姿を現したのは、見るからに質のよさそうな長方形の木箱。
ちらりと王女に目をやると、彼女は笑みを浮かべながら静かに頷いた。
木箱の蓋を、ゆっくりと開ける。
中に入っていたのは――
「短剣……ですか」
藁や枝が詰められた箱の中。その中心には、一振りの短剣が収められていた。
そしてその刀身は、淡く発光している。
「これは……」
刀身には、赤黒い薔薇の文様が浮かび上がっていた。その文様が、淡く光を放っているのだ。
「あなたの眼で、効果を確認してみたら?」
そう言って王女は、一枚の羊皮紙を差し出してくる。
「……はい」
前髪をかき上げて、普段は隠している右目を露にする。
羊皮紙に手をかざし、右目に力を集中させた。
すると、右手から淡い金色の燐光が漂い出して、羊皮紙を包む。
それと同時に、羊皮紙にはまるであぶり出しのように様々な文字が浮かんで、そして消えていく。
その中には消えない文字もあって――、その文字たちはやがて、少しずつ意味を成してゆき――
最後には、短剣に宿る〈理外の力〉が明文化されていた。
++ ++ ++ ++ ++
【呪い】
〈裂傷の呪い〉
この呪いが付与された武器によってつけられた傷は、決して塞がることはない。
++ ++ ++ ++ ++
「呪具……」
それは、めったにお目にかかれず、出回ったとしてもかなり高額での取引きがなされる代物。
「戻ってきたとき、愛用の短剣をなくしたって言っていたでしょう?」
「こんなにも高価なものを、受け取るわけには……」
それに、呪具は基本的に、所持が禁じられているはず……。
「いいのよ。むしろ、あなたの働きに報いるにはそれでもまだまだ足りないわ。それに、呪具所持の届け出は既に受理済みよ」
王女が私を評価してくれることは素直に嬉しい。だが、これはあまりに過分な褒美だ。
「ですが――」
私がなおも言い募ろうとしたところで。
「あら?」
足音。地下へと続く階段を、誰かが駆け下りてくる。
姿を現したのは、血を流し、片腕を押さえて息も絶えだえな兵士だった。
「申し上げます!」
彼は乱れる呼吸を整える間すら惜しんで続けた。
「王城内に、賊の侵入を確認。現在、王城内にいる王族を殺して回っているとのこと!」
「なっ!?」
王城に、賊が――!
「人数と、賊の特徴は!?」
「確認できているのは一名」
(たった一人で王城に!?)
だが、私の疑問の答えはすぐに齎されることとなる。
「賊の特徴は――」
そしてそれは、彼の口からではなく――
「ぇぐ!?」
階段を信じられない速度で駆け下り、彼を薙ぎ払った巨躯の主。
「よお。探したぜ。あんたが王女様だろ?」
王城に単身で侵入した賊――、〈狼男〉本人の登場によって。
突然の闖入者を前に、背にかばう王女は静かに言った。
「あら。さっそく、使い時が来たわね?」
「……どうやら、そのようです」
何のことはない。
王女が私に何かを与えるときは、その何かが必要になる時。今回も、その例には漏れなかった。それだけの話だ。
「では存分に、使わせて頂きます――ッ!」
私が辛くも狼男を退けられたのは、やはり王女が与えてくれた短剣のおかげだった。
狼男のあまりの膂力に一度は完全に劣勢に立たされ、もう駄目かと思われたその時。私は一つの賭けに出た。
私は確かに劣勢だったが、狼男に一切傷を与えられなかったわけではない。彼の額には、横一閃の小さな裂傷が出来上がっていた。
『この短剣には、〈裂傷の呪い〉が付与されています。この呪いが付与された武器でつけられた傷は、決して塞がることはない。確かにこのまま戦い続ければ、私は遠からず殺されるでしょう。……ですが、ただではやられません。私は今から命を賭して、あなたに決して浅くはない傷を与えます。そうなればあなたも遠からず、血が足りなくなって死ぬことになる』
『……ハッタリだ』
『そう思うなら、自慢の治癒力でその額の傷を塞いでみるといい』
彼は全身に力を籠め、額の傷を塞ごうとした。
だが――、傷は塞がらない。
呪いは本当だ。
彼が呪いの力を認めてその場を退いてくれたのは、僥倖だったと言わざるを得ない。
呪いは本当だが、あのまま戦い続けて私が本当に、彼を失血死に至らしめるほどの傷を与えられたかはわからなかったから。
それほどまでに、狼男の力量は圧倒的だった。彼が狼男の姿ではなくとも、勝てるかどうかわからないほどに。
――だから翌日。狼男が城下で捕まったと聞いたときは耳を疑った。
たった一日で捕らえられるような相手ではないと考えていたからだ。
狼男とされた青年は国王の名のもとに即日処刑台へ送られ、斬首刑により処刑された。
首を切られた彼の顔はまるで女性のように美しく、そしてその額には――
私がつけたはずの裂傷は無かった。
その日のうちに、私は王女に進言した。
「先ほど処刑されたのは、狼男ではない可能性が高い。王女、どうか私に――」
彼女はその先の言葉を引き取った。
「ええ。私もまた、あなたにお願いしようと思っていたのよ」
ねぇイマジカ――、と私の名を優しく呼んで、彼女は続けた。
「処刑された彼のことを、調べて来てくれるわね?」
私は深く頷いて、王城を出た。
城下で聞き込みを行い有力な手掛かりを得て、翌日。
私はまた、王都を発った。
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