囚われの探偵

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囚われの探偵

 寒い。それに、冷たい。手首と……それに足首も。  固い床。埃っぽくて、少し錆びた鉄の匂い。  ……ここはどこだろう。  確か私は、使用人の女性――そう、アイラさんと廊下で会って、彼女の持つ氷のヘリオトロープの甘い香りに眠気を誘われ眠りに落ちた。  (かす)む視界を鮮明にしようと目を擦ろうとするが、手は動いてくれない。いや、厳密には、動かすことができない。何かで固定されている。足もそうだ。  これは、枷。だから冷たい。  どうしてだろう。私は、この感覚を知っている。  いや……そうだ。私は幼いころ、しばらくの間、確かに今と同じ状況にあった。  ――あの日、王女が私を迎えに来てくれるまで、私はここに似た場所に囚われていた。 (だから、あんな夢を……)  不意に、首を誰かに掴まれる。その固い体毛が私の肌を刺す。  頭を持ち上げられて、何かを首に嵌められる。そして、錠がなされた。 「――これでいいんだな?」  ぼんやりとした視界が、ようやく鮮明さを取り戻した。 「そうです」  そこにいたのは、 「私も、そこのアイラも、力仕事には向いていないので。――あなたがいてくれて助かりました」  呪術師、アイラさん、そして―― 「どうして……あなたがここに……?」 「おっと、囚われのお姫様も丁度お目覚めだ」  そこは、小さな石造りの牢だった。  鉄格子を挟んで、呪術師がせむし気味に、枯れ木のように立っている。  その後ろには、アイラさんがいた。顔は床に向けられていて、表情は読めない。  さらにその後ろには上り階段。そうだ、一階を見て回った時、地下へと続く階段を確かに見た。ここは、館の地下牢なのだろう。  そして私の目の前には――、三メートルはあるだろう巨躯。全身が、固い毛に覆われている。その相貌は、人間のものではない。  そこには、狼男がいた。  額には、わずかに血が滲んでいる浅い裂傷。  ……つまり、その狼男はあの時の狼男であり、それは彼が、「王族殺し」の真犯人であることを意味していた。 「まあ、偶然だな。偶然、俺たちは同じ時期に、この宿に居合わせたってことだ」 「それは……最高に素敵な偶然ですね」  私は皮肉を込めてそう言ったけれど、呪術師は口元を不敵な笑みに歪ませる。 「本当に、色々な意味で素敵な偶然だ。そもそも、もし今日訪れたのがあなた方のうちどちらかだけだった場合、私はどちらも宿の中には入れなかったでしょうしね。――私とて、そう簡単に殺されるわけにはいかない」  どういうことだろう……。  先刻彼が言った通り、呪術師もアイラさんも、私を楽に運ぶことのできるような体格はしていない。私を運ぶには狼男の協力が必要だった。それはまあ、なんとなく理解できる。それだって幾らでもやりようはあると思うんだけど……。まあ、まだ説明もつく。  だが、どうして狼男だけだった場合も、彼は狼男を泊めることができないのだろう。  そもそも、私が彼を殺す? そんなことをして、呪いを解くことができなくなってはもともこもない。  長い歴史の中で、多くの人が、呪術師によって呪いをかけられてきた。当然、呪いにかけられた誰かを助けるため、その家族や親友たち、また彼らから依頼を受けた誰かが多くの呪術師を殺してもきた。  しかし、彼らはその後、皆一様に、後悔することになった。  なぜか。答えは単純だ。  呪いが、解けなかったから。  彼らは皆呪いを解こうと呪術師を殺したが、それは逆に、唯一解呪が可能な存在である呪術師が死んで、呪いを解くことが終ぞ叶わなくなるだけだった。  これは、この国に昔から語り継がれる教訓。  そして私も、それを目にしたことがある。かつて私が関わった事件。その被害者は、呪術師だった。犯人の動機は、呪いをかけられた娘を助けるため。しかし結局彼らに訪れたのは、教訓の通りの結末。呪いは、解けなかった。  ――そう。だから呪いは、呪術師を殺したって解けはしない。少なくとも一般的には、そう言われている。  だから、私には彼を殺す理由なんて――いや、理由はあっても、殺すことはできない、そのはずなのに……。 「おや……? あなたなら私の言葉の意味を理解できると思ったのですが……。いや、待て。まさか……」  私が考えを巡らせていると、呪術師は何やらぶつぶつと呟いたと思えば、狼男に命じた。 「その女の、胸元を見せてください」  ……今、なんと言った? 「……確認するが、殺すんでも拷問するんでもなく、こいつの服をひん剥いて、胸元を見せてやればいいのか?」 「そう言っています」 「なっ――!?」 「へえ、アンタも意外と好きなんだねェ」  狼男が、私の外套の首元に爪を立てた。厚手の外套だし、中にだって相当着込んでいる。だが、それらはいずれも寒さを凌ぐためのものであり、それ以外を防ぐものではない。狼男の屈強で鋭い爪の前には、あまりに心もとない。 「まあお前も、拷問よりはいいだろ?」  狼男の爪が、外套を切り裂く。 「――っ」  声を上げそうになるが、堪えろ。堪えて、考えろ。   私の身を包むものが、外套から下着まで全て、胸元まで引き裂かれる。  狼男が小さく口笛を吹いて、 「まぁ、なくはないってところか」  などという。  そうだ。外側からは無いように見えるだけで、私にだって決してその女性の証がないわけではない。じゃなくて、考えろ。  だが、これを望んだ呪術師は、 「ない……」  と、悲痛な響きをもって小さくつぶやく。……もしかしてこれは、一種の精神的拷問の類なのか?  いや、流されるな。たぶん、彼が言っているのは胸の話ではない。胸が期待したよりもないというだけであそこまでの悲しみを感じることのできる特殊な人間である可能性だってなくはないが、きっと違う。  呪術師がまたなにやら呟いている。 「あの時、確かにこの顔を……私は確かに、お前に〈叛逆(はんぎゃく)の呪い〉を……。しかし呪いの印が……であれば、私が呪いをかけたのは一体……そもそも、だとするとどうして王女はこの(むすめ)をここに……」  呪術師はしばらく考え込んで、 「まあ、今は考えても仕方ないでしょうね……。むしろ私としては、王族から更に金を巻き上げるいい交渉のカードを手に入れた、とでも考えておけばいい。……アイラ、お前は朝日が昇るまで、そこの王族の狗がここから逃げないよう、見張っていなさい。……くれぐれも、逃がさないように」  そう言って、階段に向かって身をひるがえした。 「承知……しました」  アイラさんが、小さく首肯する。 「おい、俺は」  狼男が短く訊ねると、 「ああ、あなたは、もう部屋に戻っていいです。短剣に付与した〈裂傷の呪い〉は、約束通り明日解いて差し上げましょう。そうすれば、その額の傷も、普通の傷と同じく癒えるようになる」  呪術師はそう言い残して、その場を去っていった。  しかし、なるほど。狼男はここに、〈裂傷の呪い〉を解呪しに来た。だがその呪いは、私の持つ短剣に付与された呪いを解かなければ、解呪できない呪いだった。だから、今日この場に私が居合わせたことは確かに、彼らにとって幸運なことだったかもしれない。  しかし結局、それは彼が狼男を一人で泊めることができない理由にはなっていない。  ……狼男に殺されることを恐れている?  いや、彼だって間接的にではあるが額に呪いを受けている。そもそも彼の目的はどうやら、呪いを解くことらしい。そんな彼が、呪術師を殺せるはずがない。  いくら考えても答えは出ず、謎は深まっていくばかり。  であれば、一旦それは後回しだ。 「呪術師ってのは本当に勝手な奴ばっかりだ……」とぼやきながら、狼男もまたこの場から去ろうとしている。彼には一つ、確認しておきたいことがある。私は、去り際の彼の背中に声をかける。 「あなたはどうして、国王派に加担したんですか? あの夜のことは、あなたなりに国王派と王女派の正義を秤にかけた末の選択だったんですか?」  彼ほどの力があれば、国王派の依頼を撥ね付けることだってできたはずだ。だが、彼はあの夜、国王派の差し金で王女派の王族を殺して回った。そこには、彼なりの正義があったのだろうか。  私は、どうしてもそれを知りたかった。  もしあの夜の出来事が、国王派と王女派の正義、その二つを天秤にかけて下した決断だったのだとしたら、私に彼を咎める権利はない。  そこにあるのは、認識の相違。それだけだ。  私には国王派に正義があるとはとても思えないけれど、それは見方次第だ。国王派の行動だってもしかしたら、誰かにとっての正義となり得るのかもしれない。  だけど、もし、あの夜の彼の行動原理が、もっと浅い部分にあったとしたら……。  私は、彼を許すわけにはいかない。  どちらにしろ彼を捕らえることは必要だが、それに臨む際の、心の在り方が違ってくる。  そして、彼の答えは、私の望むものではなかった。 「いいや、俺にとっての正義は、どっちの方が金払いがいいか。それだけだよ。そもそもお前こそ、あんな王族たちに正義があると本気で思ってるのか?」  狼男は悪びれもせずそう言って、その巨体にはさぞ窮屈だったであろう地下牢を、ゆっくりと去っていった。
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