探偵の誕生

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探偵の誕生

 イレーナは目を伏せて、力なく文字を(つづ)った。 『無神経なことを訊いてしまいました。ごめんなさい』 「いえいえ、私が自分で話し始めたことですし」  彼女の隠したことに再び間接的に触れてしまうことになりかねないので、こちらこそとは言わない。 「それにもうずいぶん昔のことですし、ここからは、なんというか、怒涛(どとう)の展開で……」  首を(かし)げるイレーナに、私は続きを語り始めた。  ***  大切で大好きな、私のたった一人の妹。  アリアは、死んだ。 「アリアぁ……」  私はアリアの身体に顔を埋め、名前を口にした。何度も、何度も。  すると、そのやわらなかお腹に口が当たる。 「私が、アリアを……」  妹が、死の間際(まぎわ)に言ったこと。彼女の、最後の願い。アリアはこれまで、一度も我儘(わがまま)を言わなかった。物分かりが良く、なんでも卒なくこなして、どんくさい私のことをいつも助けてくれた。そんな妹の、最初で最後の我儘(わがまま)。  ——私を、食べて。  私は小さく口を開けて、歯を立てた。舌に当たるアリアのお腹は、まだ温かい。 (私は……)  私は目を(つむ)り、 (ごめんなさい……。私に、力を貸して……)  涙とともに、妹のお腹を噛みちぎる。  口の中に、血と涙の味が広がった。 「あいつは、どこだ……」  遠くから、声が聴こえた。領主の声だ。 「あいつが……あいつらさえいなければ、こんなことには……」  外を見れば、領主がこちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。その腕は赤く焼けただれ、ひび割れた皮膚からはどろりとした血が流れている。  私は立ち上がり、外に出た。  領主と、目が合う。 「貴様だけは……殺す……」  純粋な殺意。初めて向けられるその感情にも、私は動じなかった。  大切な人二人の死。その原因となった相手に対して湧き上がるのは、恐怖ではなく、憎しみだった。 「奇遇ですね。私も、お前だけは許せない」  私は、地面を蹴った。体が軽い。力が沸いてくる。立ちはだかる兵士たちを突き飛ばし、蹴り払い、飛び越える。振るわれた剣を避け、体制を崩した兵士から奪い去る。領主と私との間に、もう兵士はいない。領主は焼けただれた右手をこちらに向けていた。そこには赤黒く燃え上がる矢が生成されていて―― 「——!」  もはや言葉とも知れない何かを叫び、死の炎を纏う矢が射出(しゃしゅつ)された。だが、 (見える……!! そして、ついていける!!)  軌道を予測し、回避するだけの力を、私は手に入れていた。  右斜め前方に上体を逸らす。  目の前を、暴風と熱波を作り出しながら炎の矢が通り過ぎていった。そしてそれは、私の後ろから追ってきていたリーダーらしき兵士の足を貫いた。 「ぐああぁ!?」  苦しみに悶える声を背に、私は疾駆(しっく)する。 「ひっ――」  領主の顔が、恐怖に歪んだ。剣を振り上げる。これを振り下ろせば、領主の首は宙を舞うだろう。  しかし、そこでアリアの声が脳内に響いた。 『お母さんや、私たちみたいな人を、助けてあげて――』  それは、彼女が死の間際に残した、最後の願い。  このまま領主を殺せば、私の気持ちは一時的に晴れるかしれない。  いや、もしかすると晴れることはないのかもしれないけれど、この憎しみを慰めることくらいはできるかもしれない。  だけど。そのあとはどうなる? 人を殺せば、私は殺人罪で捕らえられる。それが領主であれば、国家への反逆の罪にも問われるだろう。  そうなれば、死刑は免れ得ない。つまり、妹の願いを叶えることはできなくなる。  本当にそれでいいのだろうか。それが、私の選ぶべき道なのか――。 「——っ!!」  私は振り上げていた剣を、力を込めて振り下ろした。 「ぐっ!?」  鈍い音と共に、領主は倒れ伏せる。だが、首は繋がったまま。――私は、彼の顔に剣の()を叩きこんだのだ。  私はその後、兵士たちに拘束され、連行された。  ***  ひんやりと冷たい感覚が、両手首と両足首に常に張り付いている。  それは、私を逃がさないための(じょう)によるものだった。錠から伸びる鎖は石壁(せきへき)に繋がれ、私の自由を制限している。  私はどことも知れない地下牢に鎖で繋がれ、捕らえられていた。  ……もう四日も、ろくに何も口にしていない。出されるのは一日に一度の水だけ。  遠くない内に、私は死ぬのだと覚悟していた。 (どうせ死ぬなら、やっぱりあの領主も道連れにしておくべきだったかな……)  そんなことを考えてしまうくらいには、私は希望を失っていた。  だが。転機は突然訪れる。  地下牢の階段を、誰かが降りてくる音。……一人ではない。二人だ。  前回の水が運ばれてから、まだ数時間しか経っていないだろう。これまでのペースを考えると、次の水が運ばれてくるにはまだ早い。  よく聞こえないが、何かを話しながら降りてくる。階段の先が、ぼんやりと赤く光る。揺らめく手燭(てしょく)の明かりは徐々に強くなり、怪しく二人分の影を落としていた。  まず顔を現したのは、領主だった。顔の右側には包帯が巻かれていて、その上からでも大きくはれ上がっているのが分かる。 「それから、ここに捕らえております。はい……」 「ふうん。随分暗いところね」  次いで降りてきたのは、若い女性だった。  その声は落ち着いているがよく通り、地下牢の石壁に静かに木霊した。  そして、彼女は私の目を見て言った。 「初めまして。私は、この国の第一王女。リーリア・S・クリスタ。どうぞよろしく」  彼女はまるで宝石のような美貌をこちらに向けて、にこりと笑った。 「……お目にかかれて、光栄です」  クリスタ王国の、第一王女。傾国の美女だとか国の至宝だとか、様々な言葉で飾り称される女性。  正直に言ってそれはあまりに言い過ぎなのではと思うようなものまであったが、私はその時認識を改めた。  彼女はむしろ、どんな言葉で飾っても足りない程に美しい。  私がぼうっと王女の顔を眺めていると、領主が小さく咳払いをした。 「王女がお前を、釈放なさると言っている」 「え!?」  領主を害した罪は決して軽くはない。それが、釈放。しかも王女が、なぜ私を。 「あなたに、頼みたいことがあるのよ」  一国の王女が、私に、頼みたいこと……。  様々な疑問が脳内を駆け巡るが、何よりも前に一つ、確かめなければならないことがある。 「リーリア様。あなたは、そちらの領主様とどういったご関係なのでしょうか」  仮に、王女がそこの領主と密な関係だったとしたら。たとえそれが私的な関係であっても政治的な関係であっても、私は彼女に協力することはできない。  たとえ自身の命のためであろうと、この領主に利することになれば、私は私を許せない。  王女は私の問いに、「あぁ、なるほどね」と頷いて見せた。 「確かに、あなたはこの人に、酷い目に遭わされたんだものね? 許せるわけがない」  王女の言葉に、領主が「何を……?」と(いぶか)し気な声を漏らす。 「しらばっくれる必要はないわ。あなたがこの子の母親に謂れなき罪を着せ、妹を殺したこと。私の耳に、届いていないとでも思っていたの?」 「それは……!」  王女がぱちんと手を合わせる。  すると、いつの間に現れたのか、黒い服に身を包んだ壮年の男性が領主の背後に立っていて、彼を拘束した。 「なっ!? リーリア様、これは一体どういうことなのですか!!」 「あなたは、特にここ数年、領地経営が上手くいっていなかった。そしてこの先数年のうちに、隣の領地を治める領主と、どちらかが取り潰しになる旨を通達されていた」 「ぐ……!」  王女の淡々とした物言いに、領主は何も言えずに押し黙る。 「あなたには、何らかの大きな成果が必要だった。あなたはその成果を、彼女の母親。ニーナ・アウフヘーベンの研究に(たの)んだ。……彼女が国の研究機関を去ったのは、亜人差別から逃れるため。そして、国に自身の研究を濫用(らんよう)されることを恐れたからよ。そんな彼女が、いまさらあなたに協力するはずがない。だからあなたは、彼女に反逆の罪を着せ、それを名目にして彼女の研究成果を我が物にしようとした。……でも、残念ね。彼女の娘たちによって、あなたの行った悪事は暴かれた。罪なき民に濡れ衣を着せ、それを知りながら処刑する。そんな人物を、領主としてのさばらせておく理由があると思う?」  王女は、穏やかな笑みと共に言った。 「あなたは、もういらないわ」  彼女の言葉を合図に、壮年の男は領主を引きずり連れて行った。  去り際の領主の表情は、絶望によって塗り固められていた。 「さて、これで答えになったかしら?」  彼女は事も無げにそういうと、私の目を覗き込む。  そのまま指輪にしたら世界一の値が付くだろうと確信できるほど綺麗な碧眼(へきがん)が、えも言えない(なま)めかしさを以てこちらを見つめていた。  私はそれだけで、彼女の(とりこ)になってしまいそうになる。 「……はい」  それだけ返すのが精いっぱいだった。  彼女は「よかったわ」と両手を合わせて(ほころ)んで見せる。 「それで、私に何をお望みなのでしょう……」  おずおずと尋ねると、彼女ははっきりと言った。 「あなたの、その眼よ」  私の、眼……。つまり、〈真実の眼〉のことだろう。  確かに極めて特異で便利な能力ではあるが……なぜ王女が。  私が真意を掴めずにいると、王女は優しく続けた。 「今回、あなたの母親の処刑が冤罪だと分かったのは、あなたの妹が聡明だったことももちろん大きな理由の一つでしょう」  そうだ。母の無実を証明できたのは、私の妹が誰よりも聡明な少女だったからだ。でも、と王女は言葉を継ぐ。 「それは、あなたの眼の力が無ければ、証明できないことだった。聡明さは、努力によってなんとでもなる。でもその眼は、選ばれた者にしか宿らない」  私は、彼女の言葉に聞き入っていた。 「私は、この国の犯罪捜査の歪みを正したいと思っているの。そしてそのためにはどうしても、〈真実の眼〉の力が要る。私についてきてくれるなら、きっと、あなたの目的も達成できるわ。……だから、ね?」  彼女は、まるで恋をした乙女が思い人に秘めたる想いを伝えるように、こう言った。 「あなたには、私の探偵になって欲しいのよ」
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