うるさい死人

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怜子は、読経の続く中、じっと祭壇の遺影を見つめていた。 そして、こころの中で、悪戯っぽい笑顔を作って呟いた。 「あなた、怒ってるかしら。」 確認するように後ろを振り向くと100人を超える参列者が、神妙な面持ちで座っている。 ハンカチで目を覆っている人も10人を超えているだろう。 「お父さん、、、、、。」 隣の娘の嗚咽が止まらない。 怜子は、そっと娘の手を握った。 いつもなら、嫌いな線香の香に、すこし華やかな香りを発見している怜子がいる。 怜子の夫の匠は、50歳の若さでガンになってしまった。 その後の手術や放射線治療も虚しく、その後1年あまりで死んでしまったのだ。 怜子は、匠を愛していた。 いや、今も愛し続けている。 しかし、匠との結婚生活は、ストレスの毎日だったように思える。 いや、ストレスと言うほど強いものではなかったのかもしれない。 今なら、モラハラという分類に入るのだろうか。 兎に角、怜子のすることに口出しをせずにはいられない性格だったのだ。 もちろん、それは悪意からくるものではなかった。 怜子の為を思って発した言葉もあるのだろう。 でも、そんな小さな発言が、コツコツと怜子の胸の奥に蓄積されていったのは事実に違いない。 怜子は、匠を愛していたと言った。 もちろん、結婚当時の愛情ではなく、今は家族としての愛に変わってしまっているのかもしれないが、愛していることには違いが無かった。 そして、怜子は、匠にも愛されているという気持ちは、充分に感じていた。 愛されている。 そのことが、どんなに怜子にとって嬉しい事であったか。 そして、こころの平安をもたらしていたことか。 しかし、小さなストレスは蓄積されていたということなのだろう。 遺影を見ながら、怜子は、結婚生活を、ただ漠然と、振り返っていた。 そういえば、あたしが、ダンスサークルに入りたいと言った時、あなたは反対したよね。 あれは、他の男性と触れ合うことに対するヤキモチだったのかな。 結構、激しく反対するからビックリしちゃったよ。 あ、そうだ、玉子のカラザは、絶対に取らなきゃ許してくれなかったよね。 結婚当初は、わざわざ、玉子を調理する後ろから、カラザを取ったかどうか確認していたよね。 だから、ちゃんと取ってるってさ、それなのに、後ろで確認されるのが嫌だったんだよね。 新しい服は、絶対に切る前に洗わなきゃいけない。 夜に洗濯しちゃいけない。 テレビの音は、20までじゃなきゃイライラするんでしょ。 寝るときは、上向きで、横向きはいけない。 それから、それから、もういっぱいルールがあったよね。 それも、半分強制的にさせられた。 違うのよ。 それをするのが嫌だったんじゃない。 あなたは、どう思ってたか知らないけど、案外あたしって、尽くすタイプなのよ。 でも、それを、わざわざ確認するのが嫌だったの。 あたしを信じてないってこと。 それにくらべて、あなたは、あたしのルールなんて無視だったよね。 カレーには、味をみないで、ソースをたっぷりと掛けるし。 味が薄いって、醤油を掛けたり。 あれって、意外と傷つくよ。 毎晩、飲んで帰っても、それが普通だったし。 もう、我儘のし放題。 それも、あなたが喜んでるから、許せたけどね。 だから、その許せるってことが、愛してるってことじゃないかな。 考えてみたらさ、あたしの結婚生活の半分は、あなたに何かを強制をされていた気がするな。 毎日、あなたの思うように、あたしは生きて来た。 時間で行ったら、そうだな、寝る時間もあるから、半分もないかもしれないけれど、精神的には、半分は命令されて動いていた気がする。 確かに、嫌だったよ。 でも、それでも、やってあげたい気持ちも、結構あったんだ。 あなたが、そうして欲しいなら、そうしてあげたいって気持ちがさ。 そんなことを思い出しながら、怜子は、しっかりと喪主のやるべきことをやっている。 しかし、それは匠の考えたことと正反対な事であることは、怜子しか知らない。 「ねえ、あなた、今、このお葬式を見ている?もし、見てたら怒ってるよね。」 そう遺影に言った。 隣の娘は、ただ、泣いているだけだ。 娘は、匠を大好きだったものね。 「もっと、泣いていいんだよ。恥ずかしがることなんてないよ。悲しい時は、泣きなさい。」 娘に声を掛ける。 怜子は、匠が死んだ時に、机の引き出しに、怜子宛ての手紙があることを知った。 内容は、葬式に関することだった。 もう自分の余命もないと感じていた匠が、怜子に葬式について、書き記していたものだ。 その手紙を見た時、怜子は、今まで蓄積されていたストレスみたいなモヤモヤが、一気に目に見えるかと思えるほどの形になって沸き起こったのだ。 書かれている内容は、怜子が、その時に、詰まり匠が死んだ時に、アタフタとしないように書かれたものだった。 しかし、読んだ怜子は、そうは思えなかった。 命令だと受け取ったのだ。 怜子に対する強制的な指示。 それを読んだ怜子は、思わず絶叫した。 「あーーー。死んで、あの世に行っても、あたしに命令するの?」 そして続けた。 「あなたはね、もう死んだの。この世にいないのよ。もう、存在しないの。それなのに、生きているあたしに命令するの?もう、嫌だ。」 怜子は、実際には存在しない、でも、精神的には、或いは霊的には、しっかりと存在する死んだ匠からの命令に従わなければならないということに、ビックリするぐらいの憤りを感じた。 そして、その瞬間決意をした。 その命令には、絶対に従わない。 そう決めた。 もし、その死んだ匠の命令に従ったなら、実際は存在しない筈の、あの世の匠の存在に怯えてくらすことになるだろう。 そして、これからもずっと、この世には存在しない匠の存在に従わなければならなくなる。 存在しない残像に強制されなければいけないなんて、それは、あたしの存在が、あたしの居場所がなくなってしまうことを意味する気がした。 そうだ、匠が決めたルールは、これからは、少しずつ止めていこう。 それよりもまず、この手紙の内容は、全部無視しよう。 手紙には、要約すると、こんな内容のことが書かれてあった。 ========== 葬式は、身内だけでやってほしい。 小さな葬儀屋で、怜子と娘と、あと近しい親類だけでいい。 香典は、貰わないで欲しい。 お墓は、作らなくていい。 どこかの共同墓地にでも入れてくれ。 貯金や、不動産は、法律にまかせる。 ========= どれも、冷静に考えると、後に残った怜子にとって、楽なように、どうしようかと迷わないようにと、そういう優しさで書かれたものだ。 この文章を普通に読むと、怜子も愛されていたことが伝わってくる。 怜子が、葬式で、そして自分が死んだことで、苦労しないように書かれているのだろう。 しかし、その時の怜子には、そうは思えなかったのだ。 この世には存在しない、見えない何かからの強制。 それが、耐えられなかった。 そして、その手紙を無視することで、見えない者からの呪縛を解き放ちたかったのだ。 今、解き放たないと、一生、その見えない存在に、怜子自身の人生を強制されて生きて行かなければいけないと感じたのだ。 怜子は、また後ろを振り返って人数を確認した。 「110人ぐらいいるかな。」 匠が死んだ時、怜子は、会社関係や、友人関係、余り付き合いのないマンションの人などに、声をかけまくったのである。 兎に角、盛大にしたいと思ったのだ。 そして、全員に香典を受け付けた。 半額をお返しに使っても、結構残るだろうし、それを葬式代に充当すれば、費用も何とかなるだろう。 そうだ、お墓は、どうしようかな。 金額を考えると、匠の手紙に書いてある共同墓地も良いかもしれないな。 その辺は、現実的に考えなくちゃ。 でも、それに従わないと決めたものね。 どこかの海に散骨でもするかな。 「匠、海が苦手だったよね。きっと海に散骨って聞いたら、怖がるだろうね。」 そう考えたら、葬式の途中で、笑いそうになってしまった。 読経が終わって、いよいよ匠とのお別れだ。 棺が会場の真ん中に移動されて、スタッフによって棺の蓋が開けられた。 そこには、はっきりと死んだと解る皮膚の色の匠が目をつぶって横たわっていた。 怜子は、じっとその顔を見て声を掛けた。 「愛してます。」 その感情は、ウソではなかった。 本当に、こころから怜子は、匠を愛していたのだ。 ただ、命令は、もう沢山だと、怜子は匠に合掌をした。
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