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男女6人夏物語
目の前には広大な海。
左右が緩やかに湾曲している入り江が遠くの方に見える。湾の周辺には建物が密集していて、その中でも一際目立つ鉄塔は今も稼働しているのか、ここからでは判別がつかない。
葵が体ごと後ろに振り返ると、日本一の山が悠然と佇んでいる。天辺は現在厚い雲で覆われているため見えない。見慣れたはずの景色でも、気を抜くと自然の雄大さに圧倒されてしまう。
目線を下げると地中海の港町のような、煉瓦造りの洒落た建物が立ち並んでいる。だが、どこも閑散としていた。陰惨とした空気を纏っているからか、地中海の港町というよりも、スラム街に見えた。葵がいるのはサービスエリアの一角、大型バス専用の駐車場前。
駐車場はそれなりに車で埋まっている。だが人気は全くない。周辺にはベンチが1つ設置されているが、葵はそこには座らずにずっと立っていた。学校指定の紺色のズボンに白いワイシャツ。肩には長細い黒のバックを担いでいるため、傍から見れば部活に向かう少年そのもの。
けれど、葵が目指す場所は学校ではない。
どこか遠くで蝉が鳴いていて、呑気なものだと小さく舌打ちをする。空は雲1つない快晴で、生温い潮風が時々頬を撫でていく。再び海の方を眺める。
太陽光で乱反射して海の表面が宝石のように輝いていた。素直に綺麗だと思った。
絶好の行楽日和だが、行楽する人などこのご時世いないに等しい。このサービスエリアも安全地帯だというのに、外に出ている人間は殆どいない。人々は外に出ることを極端に恐れていた。
葵はもう一度舌打ちをする。蝉ではなく、ベンチに座って楽しげに話している2人組の男達に向かって。
「慣れてないときは丁寧なのに慣れると雑になりがちで、入れたいのに上手く入らないと体勢を変えたりする。スパッと入ると気持ちが良くて、言葉の最後にクスがつく4文字の単語ってなぁんだ?」
とチャラい。という形容詞が見事に当てはまる男が問題を出すと、優等生風の男がセッ、と口にする。
「バカだろ、お前ら!」
堪え切れずに葵が吠える。先程からこのようなやり取りが、飽きることなく繰り返されていた。
「ではなくて……ソッ、クスかな」
「ピンポーン! 大正解! その君はエロい想像しちゃった系?」
指名された葵は露骨に顔を顰めると、チャラい男は軽々とベンチから立ち上がって傍までやってくる。そして馴れ馴れしくも肩に手を回してきた。
「おいっ!」
男の四肢は長く細身で引き締まった体躯で、女子が黄色い悲鳴を上げそうな整った顔立ちをしている。背は葵より少し低いが、男としては高い方に入る。襟足が肩先につきそうになっている髪は、茶髪というよりか金髪に近い。派手なアロハシャツの胸元は無駄に開いていて、シルバーで形取られた可愛らしいウサギのペンダントが見えた。
「そんなに俺の体に興味があるの?」
ウィンクをしながらチャラ男が胸元を更に見せつけてくる。葵は舌打ちをした。
「楽しそうですね」
優等生風の男もなぜか立ち上がって、葵の元に寄ってくる。腕を振り払うと、ようやくチャラい男が少しだけ離れた。
「うん! すっげぇー楽しい!」
「俺は全く楽しくない」
葵のぶっきらぼうな返答に優等生風の男が笑う。優等生風な男もまた、整った顔立ちをしていたが上品な風貌のためか嫌悪感はない。温和で柔らかな笑みを浮かべることもあり、人当たりが良さそうな印象を受ける。背は少し低いが黒髪の坊ちゃん刈りと相俟っていた。学級委員長をやっていそうな男だが、格好は随分と洒落ている。
「僕は山仲憲太郎(やまなかけんたろう)。こちらは尾久田将人(おくだまさと)君。といっても、僕らもさっき知り合ったばかりなんですけどね」
わざわざ自己紹介をしてくれたが、葵は一瞥すると顔を逸らした。このサービスエリアでは大体100人程が暮らしている。なので顔は見掛けたことがあったが、名前までは知らなかった。興味もなかった。
中には友達を作って楽しそうに群れている者もいる。それを批判する気はない。ただ、誰かと馴れ合うほどの余裕も期待も、今の葵にはない。
「で、むっつりスケベ君のお名前は?」
「誰がむっちつりスケベだ!」
チャラい男こと、将人を睨みつけたが効果はなく、呑気に歯を見せて笑っている。葵は再び舌打ちをした。すかさず憲太郎がまぁまぁ。と言って、取り持つように間に入ってくる。
「仲間なんですから、もっと仲良くしましょうよ」
「仲間になった覚えはない」
葵がきっぱりと断言したにも関わらず、憲太郎は口元を緩めたまま表情を変えない。
「でも、ここにいるということは少なからず同志なのでは?」
「目的は一緒でしょ…………多分」
憲太郎の問いに言葉に詰まり、将人の言葉に大きな溜め息を吐く。男2人に期待した目で見つめられるのは、あまり気分が良いことではない。精神的苦痛を感じて、葵は静かに口を開いた。
「八夜……葵だ」
仕方なく名乗ると、僅かな間の後で将人が吹き出した。有無を言わさず頭上に握り拳を振り落とす。
「痛ってぇぇぇぇぇぇ!!」
「良いお名前ですね」
「……うるせぇよ」
葵は名乗りたくなかった。名前が分かれば犬でも猫でも親近感が湧く。それに名乗ってからかわれるのは目に見えていた。一気に背が伸びた中学2年生あたりから、自己紹介する度に笑われてきた。小さい頃からやっている剣道の影響か体格も良く、背は男の中でも大きい部類に入る。声も低く見た目には何の頓着もしない。名と体があまりにも噛み合っていないのは、自分でもよく分かっていた。
「お世辞じゃなくて本心ですよ」
「葵ちゃんって呼んでもいい?」
「死ね!」
嬉しそうに笑いながら再び肩を組んでくる将人。その手を振り払いながら、軽く突き飛ばすもめげずに近寄ってくる。その様子を見てまた憲太郎が、楽しそうですね。と声を弾ませながら笑っていた。
漫才のようにじゃれ合っていると、サービスエリアの入り口から大型バスが1台入ってくる。
自然と3人の会話が止まった。
大型の観光バスを眺めていると、葵達のいる駐車場の前まで来る。バックで車庫入れをすると、白い白線内で綺麗に停止した。
中から下りてきたのは5人。年齢は様々なで子どもからお年寄りまでいる。皆知り合いではないようだった。唯一の共通点は全員が男だということ。
葵は小さく溜め息を吐くと、止まっているバスに向かって歩き出した。中に乗り込むと、いつの間にか将人と憲太郎も後ろに続いている。予想もしていなかった客の乗車に、中年の運転手はひどく驚いていた。
「このバスは東京方面だがいいのかい?」
「はい」
葵は間髪入れずに答える。運転手は顔を顰めた。しばらく渋い顔をしていたが、やがて帽子を被り直すと小さく頷いた。行けても途中までだろうがね。と言葉を続けると、眉を顰めながら顎を撫でる。
「後は自力で行きます」
「そりゃ無理だよ!」
「余裕っすよ。俺、こう見えても体丈夫なんで」
「将人君。そういうこと言ってるんじゃないと思いますよ」
憲太郎が苦笑しながら窘める。葵は脳みそがほぼ活躍していない残念な将人の頭を、無言で思い切り叩いた。
「さっきから痛いって! 葵ちゃん」
「行けるところまででいいので、お願いします!」
ふて腐れて唇を尖らしている将人を無視し、葵は運転手に頭を下げてから奥へと突き進んでいく。バスの中は当然無人だったが、何となく中央辺りの席に腰を下ろした。すると、将人が隣に腰を下ろす。更に体を斜めにして肩をぶつけてきた。
「他のとこいけ」
「えぇぇぇぇぇー!」
「いくらでも空いてるだろうが」
「空いてんならどこ座ってもよくない?」
「まぁ、1人で座るのも寂しいですしね」
憲太郎が通路を挟んで反対側の席に座る。むさ苦しくて将人の肩を強めに押すと、痛いって!などと騒ぎ出す。葵が五月蠅さに顔を顰めていると、程なくしてバスが走り出した。
「ねぇ、葵ちゃんって何歳? 誕生日は? 血液型は? 好きな食べ物と、あと好きな体位は……って痛いから! 脇腹グーで殴るのは反則!」
「僕は後ろから――」
「お前は普通に答えるな!」
無駄に体力を浪費してしまい、葵は大肩を落として項垂れる。憲太郎は楽しそうに笑いながら僕は17歳ですよ。と律儀に将人の質問に答える。
「一緒じゃん! 葵ちゃんもそんくらいでしょ?」
「あぁ」
葵は投げやりに答えると窓の外に顔を向けた。拒絶しているとようやく理解したのか、それ以上将人や憲太郎は話し掛けてこなかった。
しばらく景色が流れている様を眺めていたが、ふと足下に目を向ける。立て掛けられた黒く細長いバックは、時折車の振動で小さく飛び跳ねる。葵はバックの先端を掴むと強く握りしめた。
胸の奥から何かが迫り上がってくる。怒り、悲しみ、痛み、憂鬱、遣る瀬無さ。それらが複雑に混じり合った感情。その感情を表す言葉が今は思いつかなかった。ただ、表に出てこないように閉じ込めるため、奥歯を噛み締めて唇をきつく閉ざす。感情の波が過ぎるのを待っていると、不意に肩を叩かれた。
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