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プロローグ
現状があまりに悲惨だからか笑えてきた。
色とりどりの折り紙で飾り付けられたリビングは、今や見るに堪えない惨劇の現場となっている。用意されたチキンやお寿司は皿ごと床に散乱し、手足や生首が平然と転がっていて、同じく床に散らばった肉片は鳥なのか人間なのか、もはや区別がつかなかった。
薄灰色い壁には赤い飛沫が気まぐれに広がっていて、この有様でなければ芸術作品に見えなくもない。肉片の一部や血は家族のもので、やったのは妹だった。
八夜葵(はちやあおい)は背後には怯えた様子の弟――今日誕生日を迎えたばかりの優(ゆう)がいる。まだ8才なため甘えん坊なところがあるが、最近は少しずつ男らしい一面も垣間見せるようになってきた。けれど、今は心も体も恐怖に支配されている。上下の歯をかちかちと鳴らし、虚ろな目で正面を見つめている。
視線の先にいるのは1人の少女。妹の勝(しょう)が立ち尽くしていた。
肩に届く程度の明るい茶髪は真っ白に染まって、深く俯いているため白髪が顔の輪郭を隠している。左右の腕は脱力したように垂れ下がり、背中は猫背でやや弧を描いており、何の意味があるのか知れないが、先程から何度も左右を見渡していた。
生前の面影はない。が、容姿は全く変わっておらず、人間の成りをしている。小高い鼻梁に垂れ目気味な瞳。程良く厚みのある唇は半開きで覇気がない。やる気もない。そこは生前とさして変わりがなかった。身内の誕生日だというのに化粧をしているため、頬骨の辺りが桃色に染まっている。そして、時々あっ、あっ。と甲高い声で呻く。
少しエロい。
勝は何かを探しているように、左右を見渡す動作を繰り返している。
「くそっ!…………何でだよ!」
葵は拳を強く握りしめながら吐き捨てるように叫んだ。
奥歯を噛み締めながら、綺麗に包まれたプレゼントを乱暴に開ける。赤い紙が紙吹雪みたいに床に散らばる。見た目には特に変化がなかった。
プレゼントの中身は軟式用の金属バットで、黒地に先端から中央の辺りまで赤と橙が入り混じった炎の模様が描かれている。なかなか洒落たデザインで、誕生日の半年前から優にこれがいい! と強請られていた。
葵は短く息を吐く。
右足を擦るように1歩前に出す。グリップ部分を右手の親指と人差し指の付け根の角に合わせ、力を入れずに軽く握る。左手を一番下の出っ張りの部分まで滑らせると、大きく振り上げてから中段に構える。
空気が撓った。
弟のプレゼントを妹に向けることになるなんて、数分前まで想像すらしていなかった。皆が嬉しそうに笑う姿しか想像していなかった。父と母、祖母がプレゼントとケーキを撮りに行った葵を労い、妹に悪態を吐かれながらも楽しい夕食が始まる。そう思っていた。
葵はバッドの先で妹の勝を捉える。目が合った。
空気が静止する。
短い間の後で、勝は限界まで口を開けて吠えた。獣の遠吠えに似ていると思った。動作はいつだかテレビで見た、回答が合っていたのを大げさに喜ぶ回答者に似ていた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
負けじと葵も腹の底から声を出して吠える。体中の酸素を全て吐き出し、息が続くまで叫び続けた。
状況を理解していても飲み込めていないからか、未だに覚悟も後悔もない。ただ、自分がやらなければいけない! という根拠のない使命感と無駄に熱い正義感。それだけが、葵を突き動かしていた。
手が震える。震えを押さえるため強くバッドを握ってしまい、慌てて掌の力を緩める。薄く息を吐き出すと意識を集中させる。突然、勝が我武者羅な格好で葵を目指して走り出す。
葵は素早くバットを振り上げると、前方に右足を滑らせながら見事な面を取った。
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