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1、カフェスペース
彼女に初めて逢ったのは深夜のコンビニバイトの時だった。
午前2時に自動ドアが開いたとき、僕の心臓は止まりそうになった。
そんな時間にやってくる客なんて、ドアが開く前から気配を感じさせるトラックドライバーくらいだったから。
自動ドアが開くピンポンという音に、慌ててレジに向かった。
「珈琲をひとつ」
そう言って、レジの前に百円硬貨をパチリと音を立てて置いた彼女に、マシンで淹れた珈琲に蓋をして渡した。
彼女はそのままロープが張られて電灯が消えているカフェスペースに向かう。
「あの・・カフェスペースはこの時間は使っていただけません」
僕の声に少し首を傾げてからこちらを見る。
「電気いらないですから・・」
そう答えたとき、彼女の体はもうロープを張ったポールの横から、スペースに入っていた。
大きなガラス窓があるスペースだけど、外の電灯の方が明るいから中の様子は見えない。
今、ここには彼女と僕しかいないし、ポールのロープもそのままだからまあいいかと思っていた。
白い服を着た深夜の来客は、そのあと僕が夜勤の日は必ずやってきた。
「変わった女の人来ない?」
僕と交代で深夜に入る同僚バイトにそんな質問をしたけれど、彼は彼女のことを知らなかった。
僕は珈琲を買いにくる話だけをして、カフェスペースのことは言わなかった。
その日、彼女と話した。彼女と会話らしい会話をしたのは、最初の日以来だ。
その日は彼女が珈琲を飲んでいる間に雨が降り始めた。いきなり強くなった雨脚。僕はビニール傘を一本取って自分でレジを打って支払いを済ませ、カフェスペースにいる彼女のところに持って行った。
「これ、使ってください」
少しだけ驚いた彼女に微笑みかけて
「売るほどあるから」
と。
彼女は僕の手からビニール傘を受け取って、
「ありがとう」と言った。
次の夜勤の日、彼女は律儀にもビニール傘を持って来た。そして
「お礼にお食事を準備するので、お仕事が終わったらこちらに来てください」
そう言って住所を書いたメモを渡してくれた。
(僕は彼女の家に行くべきでなかったのかもしれない。
ローズ・ガーデンに脚を踏み入れるべきではなかったのかもしれない。
そうすればこんなに辛く、愛しく、切ない感情に翻弄されることもなかった。
だけど、その全ての感情を僕はもう手放すことはできない。)
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