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 咳込んでしまった俺は、お姫様抱っこされて謎の黒い車に乗せられても、文句が言えなかった。  喉が痛い。寒気もまだしてる。  こんなの拉致じゃんって叫びたかった気持ちを抑えられたのは、車を運転している気の良さそうな五十代くらいのスーツを着た男性が、和彦を叱咤していたからだ。 「和彦様、病人を連れ出すのはどうかと思いますよ」 「しょうがないじゃない。緊急事態が発生したんだから。あの家に七海さんを住まわせてはおけない」 「……新しい住まいを探しますか」 「ううん、僕の家に住んでもらう。部屋はいくつも空いてるでしょ」 「……あのですね、和彦様。それは七海様の意見もきちんと伺ってからでないと……」 「いいですよね、七海さん」  ニコ、と微笑んでくる和彦の顔は、またすぐにでもキスされてしまいそうなくらい間近にある。  聞く耳を持たない和彦は、俺を膝の上に乗せたままだ。  下ろせと言っても聞かない、俺は体力がなくてロクに抵抗も出来ない、最悪な状況が重なっていてとにかくだんまりを決め込んでいる。  どこに連れてかれるのかと不安だったけど、この運転してる人はまともそうだからまだ救われた。 「和彦様、いつからそんなに強引で横暴なお考えの人間になられたのですか……」 「え? 僕は何も変わらないけど」 「おモテになられるのに、恋人を一人も作らないのはおかしいと思っておりました。ですが今日分かりました」 「なんか嫌な事言いそうだね、後藤さん」 「七海様の前では言いません。書面にて後藤の思いは綴らせて頂きます」 「そんな事、綴らないでよ」  ……やっぱり俺だけじゃなかった。  和彦は誰の目から見てもおかしいんだ。  それを他人の口から聞けただけで、かなり俺の溜飲は下がる。  最悪な出会いから一日、目まぐるしく俺は和彦の人となりを知らされてるけど、彼の長所はほんとに「顔」しかない。  あとの和彦の印象は、俺の初めてを奪いやがった狼で、中身は究極に変な人……それだけ。  ギュッと腰を持たれて背後から抱き締められて、下ろせという意味で和彦の膝の上でモゾモゾしていると、ふいにルームミラーから視線が飛んできた。 「七海様、わたくし和彦様の幼少時代より教育係兼お目付け役を担っております、後藤と申します。このような運転中の紹介になり、申し訳ございません」 「あ、えっ……はい、後藤、さん……」  七海「様」、……和彦「様」……??  現代社会でそんな敬称付けて呼ぶなんて、時代錯誤過ぎやしない?  教育係、お目付け役、なんて言葉も、テレビの中でしか聞いた事がない。  それになんで俺の名前も家も知ってるんだろ……後藤さん。  不思議に思いながら、丁重に自己紹介をしてくれた後藤さんへ俺もルームミラー越しにペコ、と頭を下げておく。  このまともそうな後藤さんを前に、俺はテディベアみたいに和彦の膝の上なのがほんとに失礼極まりない。  頭が働かない上に現状に付いていけてない、俺の方こそ申し訳ないよ。  俺は、帰らせてほしいと和彦を振り返る勇気も無く、普段からあれこれ考え込む質でもないし、体調不良を言い訳にひとまず流れに身を任せる事にした。  和彦を叱咤していた後藤さんが居てくれるなら、悪いようにはならないだろ。 「お顔が赤いようですが、具合はいかがですか?」 「……え、あ……まだ……ちょっとしんどいです……」 「左様ですか。和彦様の自宅に居ますと担当医が数分で往診に来て頂けますから、その点は安心です」 「はぁ……」  後藤さん、あなたの言葉は何となくすんなり聞き入れられるよ。  背後からギュッと俺を抱き締めてくる、謎の狼よりはいくらも信頼出来そうだ。  でも、でも、昨日から色んな事が起こり過ぎてて訳が分からないから、バカみたいに頷くだけでごめんなさい。 「七海さん……体熱いな……。明日も大学はお休みしないとですね」 「やだ……明日は行く」 「無理ですよ。こんな状態じゃ」  そんな事言われても……。  熱が下がんないのって、和彦と意味不明な会話してたからなんじゃないの。  風邪と和彦を結び付けるなんて良くないけど、どうしても元凶はこいつにある気がしてならない。 「……これからどこに連れてかれるのかも知らないし、俺……帰りたい……」 「これから向かうのは僕の自宅です。七海さんの事が心配だから、一緒に居させてください」 「い、嫌っ! なんで俺が和彦の家に! 絶対イヤ!」 「七海さん。駄々こねても可愛いだけですからね。おとなしく言う事聞いて下さい」  動けない体で、必死に嫌だアピールしたくて足をジタバタさせると、背後でクスッと笑われた。  なんだよ可愛いって。  俺の方が歳上なのに、「大人しくして」だなんて小さい子に言うみたいに。  てか拉致しといてよく言うよ。 「七海様、風邪が完治するまでは和彦様の仰る通りに。少しばかり浮世離れしておられますが、和彦様は決して悪いお方ではありません。それだけはこの後藤が自信を持ってお伝えしておきます」 「……ぅぅ……後藤さん……」
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