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絵の行方
センター試験の申し込みも終え、いよいよ受験一色となった秋、俺はふと電子辞書を操作する手を止めた。
「すみれさんに絵を頼む件、結局どうなったんだ?」
「描くことになったよ」
さらりと幸彦が答えた。
「本人はともかくよくご両親が許したな」
「許してないよ」
「えっ?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。幸彦は問題集から目も上げずに答えた。
「写真ならともかく生は駄目だの一点張り。絵も自宅で描けと言ってる。そんな場所さすがにないのに」
「大きいサイズが希望だったよな?」
「百号ね。早描きのすみれちゃんでも仕上げるのかかるよ、きっと。卒業制作並みのサイズだからね」
幸彦も手を止め、顔を上げた。
「両親は絵を描くこと自体は否定していないから、結局は実際に見て、写真を撮って、構図を考えるんじゃないかな。いずれにせよ美大祭前だから、こっちには戻ってこられないらしい。本格的にすべてが決まるのは十一月末かもね」
俺は考え込む。
死を前にした人の望みは叶えられる物ならかなえられて欲しい。でも時間は許すのか?
そんな俺の考えを察したように幸彦が言った。
「康行さんは描き上がるまで死なないとはっきり言ったらしいよ。目標があれば頑張れるって」
「それならなおのこと目の前で描いてあげて欲しいな」
「たぶん、そうなるよ。百号って長い辺が162センチあるんだって。そこに画材を広げたり、描いている途中は離れて確認したりするから普通の家では無理無理」
俺にはとてつもなく大きな画面に感じられる。それを絵として埋め尽くすのか。
「それにすみれちゃんが真剣にやる気になったら両親には止められないよ。交通費も画材代も顧客負担で、興味のある題材で、康行さんも重夫さんもすみれちゃんのお眼鏡にかなったみたいだから、親に隠れても描くね」
「報酬が発生するって話あっただろう?」
幸彦がシャープペンをタクトのように振った。
「プロなら最低一号一万円位するらしいよ。百号なら百万円。学生だからもっと安くなるだろうけど、結局は交渉次第なんだって。画材や交通費を負担してもらうからどうなるんだろうね」
俺にはわからない世界の話だ。
すみれさんの絵がうまいのはわかる。見れば心もざわめく。それが金に換算されるとなると現実感がない。
「康行さんの思い入れが強いのとすみれちゃんのやる気が尋常じゃないからどんな絵になるか、もうわからないよ」
幸彦の手が伸びてきて、俺の手を撫でた。
「そんなことより」
どきりとする。
「この問題教えて」
くるりと数学の問題集がこちらを向いた。俺は内心がくっとしたのを隠しながら、微分の問題文を読んだ。
――絵の行方 了――
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