第二話 十六夜

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「……それで、わたくしにどう伝えるべきか。ためらっておいででしたのね」  しばらくして、椿はぽつりと言った。夜空を見上げながら言う妻の表情は、窺いしれない。ただ雪のように白い額と、漆黒の艶やかな長い睫毛の帳が見えるだけである。 「……あぁ、そうだ。私たちが愛し合った実りが、まさか……」 「贄に捧げねばならぬとは、でしょう?」  言い淀む夫を、優しく遮る。椿は夫の腕の中でほんの少し身をよじる。佳月は背後から妻を包み込む両腕を僅かに緩めた。椿はくるりと回転し、夫の胸に頬を埋める。佳月はそんな妻を愛おし気に見つめ、その腕に少し力を込めて抱き締めた。頬に当たる妻の髪が滑らかで心地良い。藤袴のような甘く上品な髪の香りを胸いっぱいに吸い込む。椿はゆっくりと顔をあげた。甘える仕草の中、その双眸には強い意志の光が放たれる。 「わたくしは、最初から全て承知の上であなたに嫁ぎました。二階堂の一族が、信濃国の為に五十年に一度ほど、代々極秘に贄を捧げ続けてている事も、何もかも」  艶を帯びた囁くような声で語る。 「あぁ、分かっている。けれども私は正直、贄を捧げる代は免れたかった。私たちの愛の実りは、健やかに……」 「言わないで! それ以上は……」  絞り出すように心の内を吐露する夫に、妻は激しく遮った。その声は湿り気を帯びてかすれている。椿はそのまま夫の胸に顔を埋めた。佳月は妻をしっかりと受け止め、その腕に力を込める。  女のすすり泣く声と、男の忍び泣く声が風に乗って夜空へと消えていく。十六夜は躊躇うように、僅かに欠けたその姿を晒し始めた。血のように赤いその姿を……。
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