完璧なアリバイ

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トートバッグを床に置いて、テーブルの上に数学の教科書とノートを並べていると、光一郎は机に向かわずに私の後ろに敷きっぱなしにしている布団の上に座った。 ぺったんこの薄っぺらい万年床からはニンニクのような匂いがする。そんなに光一郎はニンニクが好きなの?と以前おばさんに尋ねたら、「それはきっと男の子の匂いね」と笑っていた。 光一郎はよく布団に寝転んでマンガを読んでいるから、今日もまた誰かから借りてきたマンガを読むつもりなのかもしれない。 クンと布団の匂いを嗅ぎながら、私は振り返って光一郎を見た。 「勉強しないの? 数学わかんないんでしょ?」 「そうなんだけど……数学よりもわかんないことがある」 そう言ってゴロンと横になった光一郎は、私をじっと見つめた。数学よりもわからないのは、たぶん勉強のことじゃない。おじさんの事件のこと? 急に忙しなくなった鼓動を落ち着かせようと、私は大きく息を吸ってから光一郎に問いかけた。 「何? わかんないことって」 「恋人ってことはキスしてもいいってこと?」 張り詰めていた緊張の糸がブチッと切れたみたいに、テーブルに突っ伏したくなる。 事件のことじゃなくて良かった。でも……キスしたいってこと? 私たちは光一郎のアリバイの信ぴょう性を高めるために恋人だということにしただけであって、愛し合っているわけじゃない。 それでも光一郎が私とキスしたいと思ってくれたのなら、それがただの興味本位だとしても嬉しいと思ってしまう。 「うん、いいよ」 恥ずかしくて俯いた私の顔を覗き込むようにして、光一郎の唇が私の唇に押し当てられた。 柔らかくて温かくて濡れている感触は思った以上に気持ち良い。 気付いたら私は光一郎の隣に横たわって、何度も何度もキスをしていた。 ずっと好きだった人とのファーストキス。憧れていたはずなのに、繰り返せば繰り返すほど胸が詰まったように苦しくなるのは、まだ私の片思いだとわかっているから。
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