第1章:メディアでは大々的に報道されない震災後の二次災害

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第1章:メディアでは大々的に報道されない震災後の二次災害

エブリデイ新聞:デジタル 2013年02月03日21:06分 更新    昨夜、十勝地方南部を震源とする地震が発生した。釧路市などの道東地方は最大震度5度強を観測したが、幸い死者や行方不明の報告は出ていない。  2011年3月11日に発生した東日本大震災から約2年、小さな揺れでも地震の度にあの日を思い出して不安に襲われる人は多いのではないだろうか。  昨日、偶然にも筆者は東日本大震災の復興状況の特集記事の取材のため宮城県石巻市を訪れていた。    東日本大震災で最大の人的被害を出した宮城県の死者と行方不明者の人数は1万人を超える。そして、震災で両親ともになくした18歳未満の子ども「震災孤児」は100人以上、両親のどちらかを亡くした子ども「震災遺児」は700人以上と厚生労働省が当時発表した。    仙台市、石巻市、陸前高田市では震災遺児や震災孤児のための多目的施設を建設した。子供同士のコミュニケーションの場作りになるお祭りや、親族里親を対象に心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの勉強会を定期的に開催している。    国内で戦後最大の被害を出した自然災害の被災者を支援するため日本国内のみならず海外からもたくさんのサポートを受け、人と人のキズナに心を打たれる場面に数多く遭遇したが、“現場”にあるのは必ずしも美談だけではなかった。  震災後初めての夏、筆者は震災津波遺児の数が多かった石巻市の施設で開催した七夕祭りを取材目的で訪れていた。    天気はあいにくの曇り空だったが例年より暑い夏だったようで、イベントは盛り上がっていた。  小学生の子供達が嬉しそうに短冊に各々の願い事を書き笹竹に駆け寄りボランティアの方々と一緒に飾り付けている中、一際目立つ美少女に目が止まった。それが阿部咲ちゃん(仮名)との最初の出会いだった。  はしゃぐ子供達から一定の距離を置き、彼女は誰よりもゆっくり時間をかけ薄い青色の短冊を選んでいた。そしてさらに時間をかけて会場に用意された青い鉛筆を使い願い後を短冊に書いた。  まだ小さな子供にも関わらず、息をのむ美しい容姿と一連の優雅な所作に惹かれ思わず取材用のカメラを手にした瞬間、短冊を配っていた係員に声をかけられた。 「あの子は特別な事情があるので記事などに載せないで頂けますか。」丁寧な口調でそう言った係員さんは、震災被害者をサポートするために半年前から立ち上がったNPO団体幹部の佐々木さん(仮名)だった。  彼女は社会福祉士の資格を持っており、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の講習を担当している。  後日、佐々木さんから聞いた阿部咲ちゃんの事情は震災直後の混沌した現場に舞い込んだ悪魔の仕業であった。人々が助け合っている中、なぜそんな行為ができるのであろうか。  震災当日、阿部咲ちゃんは母親と高台にある病院にいた。海に近い自宅周辺にいた、彼女の父親と兄弟は津波被害にあったと思われ、現在も行方不明者として捜索されている。  家を失った咲ちゃんと母親は二人で集合避難所で暮らすのを余儀なくされた。スペースも物資も十分でないストレスフルな環境の中、何とか乗り越えようとしていた時に、さらなる不幸が起こった。  咲ちゃんの母親が避難所の近くで性的暴行の上、殺害されたのだ。  『地元で美人母と評判だったので、前から機会を狙っていた。殺すつもりはなかった。』現行犯で捕まった小林誠(28歳)はそう供述し、既に十五年の懲役という判決が下されている。  阿部咲ちゃんは唯一の肉親を失い震災孤児になり児童養護施設で生活していたが、佐々木さん曰く事件後、咲ちゃんが美しい子供というのを知ってボランティアを装おって近づいている男性がいたらしく、メディアに露出しないよう徹底しているそうだ。  知らなかったとはいえ、安易にカメラを向けた自分を恥ずかしく思った。  彼女の母親の事件がメディアで大々的に取り上げられなかった事は、咲ちゃんの今後を鑑みると賢明だったが、震災後に起こり得る二次災害として避難する際は用心して欲しいと思う。  阪神・淡路大震災でも窃盗や性的暴行などの被害が多く報告された。人の心を持たない人間はいつもどこかに潜み、機会を狙っているのだ。  筆者は彼女に出会った日からこれ以上不幸が重ならないよう日々願った。そして震災から約2年経った今、久しぶりに会った彼女はさらに美しく成長していた。  読書が趣味の彼女は筆者がお土産で持って行く本をいつも楽しみにしてくれている。将来は人の役に立つ仕事をしたいと目を輝かせていう彼女をいつまでも応援したいと心から思う。   (文=松村サチ子)
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