1. リズムが鳴った

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1. リズムが鳴った

 今日の空は、まるで煙の海だ。  窓の外を眺めながら、若宮(わかみや)紗奈(さな)は思った。  梅雨入りが発表された途端に、雨の降らない日が続いている。今日も、空は一面真っ白で、ところどころに灰色の雲が見えるが、外の土は乾いたままだ。  日直の号令があったので、前を向いて礼をする。  始めます、という教師の言葉に、紗奈はノートの新しいページを開き、中央をしっかりと押さえた。無意識に深く、息を吐く。  この世界史の教師は、授業の最初にその回の板書を全て書いてしまうというスタイルだ。そこから、板書を指したり、補足しながら説明をしていく。つまり最初の二十分程度は、生徒がひたすら板書を書き写すだけの時間となる。  紗奈は丁寧にノートを取りながら、ふと右に目を向ける。  先日のくじ引きによる席替えで、紗奈は窓際の一番後ろの席になった。その右横の列の一番後ろ、すなわち隣の席は男子なのだが、彼がこの時間にノートを取っている様子がない。  それがどうしても気になる。  一応、教科書とノートは机の上に出ている。しかし、目と手は両方とも机の下に向かい、横向きに持ったスマホを操作するのに集中している。しかも、髪で隠れているとはいえ、耳にイヤホンをつけている。 (何やってるんだろう、羽澄(はすみ)君……)  紗奈は目を黒板に戻し、書き写す作業を再開させたが、隣の羽澄(はすみ)恒成(こうせい)の方をちらちらと見てしまう。  学校のルールでは携帯を持ってきても良いが、授業中の使用は禁止されている。  彼は、全ての授業で携帯を使っているわけではない。教師がこちらを見ないタイミングを狙っていることは、なんとなく分かる。たたたっとタップしては、首を捻って、またタップしたりスワイプしたりの繰り返しだ。イヤホンも使うゲームだろうか。  羽澄は口数が少ない男子だ。紗奈も、積極的に人と話すタイプではないので、会話したことはない。周りの席の数人を合わせた班活動では、この二人は空気だと言われる。  しかし羽澄は、自分にない雰囲気を持っている。  四月の学級会で、クラスの目標案を一人ずつ言うことになった時、紗奈は、他の生徒の言葉など聞こえないくらいに焦り、困惑した。何も思いつかない――両耳の下で二つに分けて結んだ髪の、先の方の毛束をしきりに撫でる。緊張したときの癖だ。  頭が真っ白になった時、 「ありません」  低く明瞭な声が耳朶を打った。  顔を上げると、前の方の席で男子が立っていた。担任が、それでは駄目だと言うと、 「いや……、ありません」  至極フラットな調子で言って、皆が呆気に取られる中、彼は座った。後でもう一回言ってもらうから、などと担任が取り成している間に、彼はズボンのポケットに手を入れ、悠々と足を組んだ。  決して偉ぶっているようには見えなかった。きっと本心を言っただけなのだろう。  でもそれは、紗奈にはとても勇気のいることで、泰然とした彼に尊敬の念を抱いた。  自分には、絶対にできない。  同時に、不思議な興味を持った。羽澄の考えや、どんな行動を取るのかなど、もっと知りたくていつも観察してしまう。 (そういえば、羽澄君って休み時間にもイヤホンをつけて携帯使ってるな)  ノートに文字を書きながら考えた瞬間だった。  ドン、という衝撃が右から頭を揺さぶった。
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