7.モノローグなふたり

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7.モノローグなふたり

 紗奈は、目が回りそうなくらい混乱していた。 (なんでなんでなんで?)  俯いた視界いっぱいに広がる土が、そのうちぐるぐる揺れ出しそうだ。倒れそう、と思い、自分がベンチに座っていることを思い出す。 (なんで羽澄君がここにいるのー?)  しかも自分の方を向いて――目の前に立っている。  公園の中を、ザッザと砂を蹴って歩く音が聞こえた時は、自分には関係ないものと思い気に留めなかった。しかしその音がなんだか近付いてくるので、目を上げて――一瞬、心臓が止まったと思った。  見慣れた制服姿に、もう『彼』と分かるほどまで距離が近付いていた。  驚きで涙は止まったが、咄嗟に顔を隠した。こんなところ、見られたくはない。しかし、迷いのない足音が、目の前で止まったのだ。  不意に、鼻の中からつうっと水が落ちる感覚がある。 (うっ、やだっ、鼻水! ああっ、目も拭きたい!)  先ほどまで、涙と鼻水が出るに任せていたが、今はそんな顔でいるわけにいかない。殊更に顔を伏せて、膝に置いたリュックを手で探る。こんな時に限ってティッシュがすぐに出てこない。  目だけを上に持ち上げて羽澄の足を見たが、幸い、全く動かない。声も聞こえないから、リアクションをする必要もない。 (ま、待ってくれてるのかな……?)  探し当てたティッシュで急いで目と鼻を拭いた。段々と息は整ってきたが、それでも羽澄に動きがない。 (うう、羽澄君どんな顔してるんだろ。怒ってないかな……。これ、私から何か言った方がいいのかな? あ、でも、話しかけちゃいけないんだよね? どうしよう……)  そもそも、顔を上げる勇気が出ない。  眉根を寄せて悩む様子は、まるで熱心に砂粒を数えているかのようだった。  羽澄は、頭が熱くなるのをはっきりと感じていた。彼女のつむじときれいな髪の分け目が視界に写る。  なぜ自分はここにいるのだろう。今更ながら疑問に思った。見ているだけでいいと言っていた『女神』の眼前に立つなんて。  誰かが自分の体を動かしたとしか思えない。足が勝手に動いてここまで来てしまった。この距離で全く会話をしないとか、不自然じゃないか。  首と背中に、じわりと汗を感じる。  話しかけないでください、と言ったことはもちろん覚えている。ほんの十数分前のことだ。そんな自分が、一体何を言えばいいのだろう。  救いを求めて、先ほどまで一緒に歩いていた友人を探す。しかし本田は、公園の入り口に自転車を立て、傍らの車止めに腰を預けてスマホに目を落としている。こちらを見る様子は全くない。  小さく舌打ちして顔を戻す。彼女は頑なに顔を下に向けているので、こちらの焦りは気取られていないだろう。膝の上で何かしているようだが、それを観察する余裕はない。  手のひらが湿る。  何を。何を言えばいい? さっきの言葉を弁解か? いきなり?  何かこう、話が上手い奴はワンクッション置くんじゃないか? 知らねぇけど。  口の中が乾いて仕方ない。今日はこんなに暑かっただろうか。  宙を彷徨っていた視線が、また彼女の上を走って、ふと違和感を抱く。  うなじからブラウスの襟、薄いニットベストへと続く輪郭は丸い――緩やかな曲線だ。  俺のせいで、彼女は背中を丸めている。確信に近い発想だった。  次いで、昨日の世界史の時間が思い出される。あの時間もメロディーを思いついた――ノートの真っ白なページを開いて、真剣な表情で黒板に向かう彼女を見て。  ポケットを探って、スマホを取り出した。端子に刺さったイヤホンケーブルが一緒に出てくる。小さく舌打ちして、それを端子から抜いた。――彼女にまで届かせたい。  操作して、今作っている曲の編集画面を出す。それを左の手の上に乗せて、少しだけ前に、彼女に向かって差し出した。  伸ばした腕が震えるのを止められない。心臓の音がズシンズシンと響いている。舌が口の内側に貼り付いて、気持ち悪い。  こんな変な状態だなんて気付かれないように、無意識に息を止めながら、再生ボタンを押した。
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