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9.でこぼこダイアローグ
スマホのスピーカーから流れる音は、空間に広がって聞き取りづらい。
紗奈は、座ったまま上半身を傾けて、耳を近づけ集中した。気のせいか、羽澄もスマホを近づけてくれている。
拍を打つドラムの音と細かなリズムが重なる。早いテンポだ。機械的な音色でメロディーが奏でられる。昨日の時から付け足されている。でも、
(あ……。うん、やっぱり好きな感じ)
心の中で頷いた。
曲はまだ部分しかないようで、すぐに同じリズムの繰り返しになる。紗奈は何回か聞いてから姿勢を戻した。
「ありがとう」
羽澄は小さく頷いて、音を止めた。
「これ、羽澄君が……?」
曲として完成してはいないが、先ほど『作った』と言っていたのを思い出す。
「あ、はい。俺、が、作りました」
きまり悪そうな返答に、感嘆の声が漏れる。
「すごい……」
小学校低学年までピアノを習っていた紗奈にとって、曲というものはどこか遠くで用意されているもの、というイメージだった。それを一から作り出すなんて、何から始めるのかすら分からない。
「これ、ドラムとか、メロディーとか、全部? 羽澄君がやってるの?」
「あ、全部スマホ……。アプリで、色んな楽器の音を入れてる? 感じ?」
その言に、あ、と思い至った。
「もしかして、授業中とかにやってるのって、こういうの? 作ってるの?」
「あ、まあ……。授業中は、世界史の時しかやらないけど……」
最後の方は声が小さくて聞こえなかったが、ずっと思っていた疑問に答えを得られて、
「すごいね……」
感心のあまり何度も頷いた。
「あ、あんまり、こういう音楽とか、聞かないですか」
自嘲めいた調子で羽澄が言うと、紗奈は小首を傾げる。
「ううん……。最近の曲は、弟に教えてもらったりするけど」
はあ、と相づちを打つ羽澄が、なんだかそわそわしているように見える。どうかしたのかと寸の間考えて、
(あ、そっか……! さっき『どうでした?』って言ってたし。感想、ちゃんと言わなきゃ)
慌てて姿勢を正した。
「あの、私そんな、音楽とか詳しくないんだけど……」
両手を握りしめて、その前置きをする間、頭の中はフル回転で思ったことを表す言葉を探していた。怖くて恥ずかしくて、自分の手に目を落とした。
「すごくきれいだな、って……。あの、メロディーのところが。なんか、ちょっと寂しい雰囲気なんだけど、でも、大丈夫だよって言われてるみたいっていうか安心できる感じで」
彼の反応を気にする余裕もなく、一気に話す。
「私、この曲全部聞いてみたいな。と思いました!」
懸命に紡ぎ出した言葉は、地面に当たって砕けて消えたように感じられた。
もちろん羽澄にはきちんと届いていて、紗奈の見ていないところで目を丸くした。じっとしていられなくて、髪をかきあげたり、体のあちこちをさすってみたりしながら、
「あ、ありがとう、ございます」
人のいない方向に向かって頭を下げた。
紗奈も、自分の両手を見つめたまま、
「い、いえ、こちらこそ、ありがとうございます」
深々とお辞儀をした。
二人が同じタイミングで口を閉じ、その場に沈黙が降り立つ。
紗奈が、そおっと顔を上げて見ると、羽澄は所在なさげに佇んでいた。
(あ、な、何か言わなきゃ……)
焦って考えを巡らせていたが、
「あ、その」
先に口を開いたのは羽澄だった。
「はい!」
紗奈は僅かに緊張して、顎を引いた。
「そ、それじゃ」
羽澄は相変わらず関係ない方向を見ながら、会釈のように頭を振った。
紗奈も、羽澄の胴体あたりに目をやりつつ、
「は、はい。それじゃ……」
ぺこりと頭を下げた。
機械のような固い動きで、羽澄が踵を返した。
後ろ姿になって、紗奈はようやくまともに彼を見ることができた。
足早に遠ざかる背中に、詰めていた息をほおっと吐く。
(こ、怖かった……)
羽澄が、ではない。彼を不快にさせることを言ってしまわないか、この機に決定的に嫌われるのではないか、ずっと案じていた。
(羽澄君はすごいな……。夢中になれることを持ってるんだ)
自分にはない、と胸に針が刺さった。
学校に行って授業のノートを取る。あれば委員会の仕事をする。友達はいるが、楽しそうな話を聞いているだけだし、部活も、一年の時に仲の良かった子に誘われたから入っただけだ。
(やらなきゃいけないことをやってるだけ……。人に合わせてるだけ……)
そういう自分に、少し前から劣等感を抱き始めていた。
羽澄は、紗奈が自転車を置いた入口と対角にある出入口に向かっているようだ。なんとなく目で追っていると、そこに立つ人影が見えた。制服に眼鏡をかけて、小柄な――。
(もしかして、本田君、かな?)
紗奈のいるベンチから羽澄の向かった入口まで遮るものがなく、人もほとんどいなかったので、目を凝らせば二人の様子が見て取れた。
(……ん?)
二人で言葉を交わしているようだったが、突然、本田が背伸びして羽澄の肩を叩いたように見えた。それから本田は羽澄の体をぐるっと回して、もう一度、公園の中に向けた。
(え? わ、え、えー……。なんでまたこっち来るの……?)
ひょこひょこと歩いてくる羽澄の背中から、時折、本田の顔が覗く。どうやら本田が押して歩かせているようだ。
どんな顔をしていいか分からず、紗奈は眉尻を下げ半開きの口のまま固まって、近付いてくる二人を見ていた。
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