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4. 入り組んだハンドルと言葉
今日も雨の心配はないようで、下校の時間になっても依然として曇り空だった。
自転車通学の紗奈にはありがたい限りだが、停めてある自分の自転車を見つけて、
「うわぁ……」
顔をしかめてしまった。
きちんと並べて停めた自分の自転車と横の自転車の間に、別の一台が無理やりに突っ込まれていた。しかも乱暴に入れたらしく、ハンドルが横の自転車のものと交錯している。
これをどかさないと、自分の自転車が出せないことは明らかだった。
数秒間、呆然とした後、紗奈はまず無理に停められた自転車に手をかけた。だが、ハンドルの位置が一筋縄ではいかず、背中のリュックも邪魔をして、なかなか動かせない。
「これがこっちだから、こう……うーんしょ。えー?」
思わず独り言も飛び出していると、
「……あの」
突然、背後から控えめに声を掛けられた。
「え!」
驚いて振り返り、もう一度驚いて声を呑んだ。
羽澄だった。
瞠目して固まっていると、羽澄はポケットから出した手で紗奈が戦っている自転車を示す。
「それ、俺の……」
「へ?」
妙に甲高い声を出してから、紗奈はゆっくりと手を離して、自転車の林から抜け出した。
見ても名前は書いていないが、無記名の自転車は多い。
(え、羽澄君って自転車だったっけ……?)
これが羽澄のもの、ということよりも、そちらを考えてしまうほど、自転車で通学している姿を見たことがない。しかし学校の許可シールはついているから、届けは出しているのだろう。
それをすごく聞いてみたかったが、悩んでいる内に羽澄がするりと自転車を取り出していた。黒の四角いリュックを背負ったまま、羽澄は自転車を引いて数歩、歩き出した。
また話せなかった、と紗奈が気落ちしながらそれを眺めていると、不意に羽澄が振り返った。
「あの」
一瞬、自分に話しかけられたと気付かず、きょとんとした間があったが、
「は、はい!」
結んだ髪を揺らして、姿勢を正した。跳ね上がった心臓の音が外に聞こえていそうだ。
「昨日……下駄箱で」
言葉は少な目だったが、羽澄の低い声が今はよく聞こえる。
「あ、はい」
「あれ……」
羽澄は、言い淀むように一度、下を向いてから、
「俺……僕には、話かけないで、ください」
紗奈の顔を見て明瞭に告げた。
投げられた言葉の内容が浸透していくと同時に、愕然とする。
(え? え? なんで……?)
混乱して考えがまとまらない。とにかく、相手がこう依頼しているのだから、
「はい……分かりました」
了承を伝えるべきだ。
そうしたら、リュックを前かごに入れて、自転車を取って、乗って、帰る。紗奈の頭の冷静な部分が、衝撃で働かない部分に命令を出して動かしている。
紗奈はその通りに動いて、自転車に乗った。幸い――なのか、羽澄の向いている方向とは逆の門から出るので、そちらは見ずにゆるゆるとペダルをこぎ出した。
振り返ったとしても、何も見えなかっただろう。雨の中を泳ぐように、視界には小さな波が揺れていた。
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