ある狗の話

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「こーちー」 間延びした暢気な声が、俺を呼ぶ。 こういう呼び方をしているときは、大抵、急ぎの用事ではない。 むしろ、面倒ごとに俺をつきあわせようという魂胆。 「こーちー、東風東風、こーちー」 各地の図書を収納している王宮の離れ。 その大階段の飾り窓の陰が、最近の俺の気に入りの場所だが、仮の主はなんとなく気がついたらしい。 あのヒトに急襲されないように、また、いい場所を探す必要がありそうだ。 人の名前を市場の大安売りのように連呼しながら、近づいてくる気配に俺はため息をつく。 仮の主は、いい人だ。 何故そんな性格でこんな魑魅魍魎の跋扈する場所で、やっていけているのだろうと思うほどに。 「東風? いるのだろう? そろそろ出ておいで」 適当にあげられていた声が、明確に自分のいる場所にむかって呼びかけられるものに変わる。 ホントに、敏感でいやになる。 「何か用ですか?」 手にしていた本にしおりを挟み、階段の踊り場に飛び降りた。 案の定、予想していたのだろう。 目の前に飛び降りても驚きもせずに、仮の主は微笑んだ。 「招集だ」 「はーい。……っていうか、なんでそれをあんたが言いにくるんです?」 「お前が隠れるのがうますぎるんだよ」 「隠れてませんよ。ちゃんと、王宮内に待機してるし、離れにいるって言ってるじゃないですか」 「お前ね……曲がりなりにも王宮だよ? 離れがいくつあると思っているんだい」 くつくつと喉を鳴らして笑いながら、手のひらを差し出してくいくいと合図する。 俺が手にしていた本を見せろってことだろう。 「梼喜……?」 「の、民話集です」 「へぇ……お前、ホントにいい勘しているな」 「どーも」 表紙を見せると、納得したようにうなずいて歩きだす。 俺はその後ろに付き従う。 隣を歩けと言われるのは外での話で、王宮内ではさすがにこの人もそうは言わない。 「紅蓮の隊が、向かうことになった」 「その後衛ですか?」 「いや。完全に別動隊だ」 「へえ」 「……なんだ?」 「いえ。作戦聞いてから、色々言いますよ」 「言わないという選択肢はないわけか」 呆れたような声には、肩をすくめることで答える。 大きな組織の中は色々な人がいて、この人はとてもまれな人だと、俺はちゃんと知っている。 俺のようなどこの馬の骨ともわからない下賤の意見など、耳にも入れたくない人だっているのだ。 とはいえ。 俺も死にたいわけではないので、作戦に関しては色々と言わせてもらう。 もちろん、部隊の中でだけ。
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