小さな宝箱

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小さな宝箱

 夜になろうとしている薄闇の空には雲ひとつない。その町では大きな通りを冷たい風が吹き抜け、家路を急ぐ人を急き立てる。  通りの街頭に明かりが灯り始めた。看板やネオンサインが光る。夜でも比較的明るい道を、あおいは自転車で走っていた。彼女はその通りを大学とその近所のバイト先、そして自宅のワンルームをここ3年ほど毎日往復している。 「あれ? 」  大通りの奥に、見たことのない小路が続いていた。通い慣れたいつもの景色のはずだったのに、あおいはたった今その事に気が付いた。  小路には特別変わった雰囲気ではないのに、どういうわけか気になって仕方がない。そう感じると同時にブレーキを握ったあおいを、後ろから続いていた自転車の男性が怒鳴りながら追い抜いて行った。  人がすれ違うのもやっと、というくらいの道幅の小路へ、あおいは自転車を押して入って行く。少し歩くと、小さなアンティーク店が現れた。  こじんまりと、ひっそりと小路に佇む店構えは古びている。けれど、どこかおしゃれで懐かしい洋館風の建物だ。もしもこの小路にガス灯でもあれば、明治時代に入り込んでしまったのではないかと思わせるようなレトロな雰囲気の店だ。だんだん暗くなりつつある景色に良く映えている。 「こんな店、あったんだ……」  道草を決めたあおいは、自転車を店の脇に停めた。かじかんだ手をさすって、自転車に鍵をかける。  冷たい風がビルの隙間を通ってびゅうと音を立て吹き抜けて行く。あおいは思わずマフラーに顔を埋めた。  黒いショートボブを耳にかけ、あおいは店先のショーウィンドウを眺めた。  飾られている商品は、縁飾りに細かな彫刻を施された手鏡、波打つような繊細な模様が美しいガラスの香水瓶など、どれもこれも手の込んだ凝った作りのものばかりだ。年代物であろうそれらの品々は古びてはいるが、思わず目移りするほど、どれも魅力的に映る。  あおいは俄に胸がときくのを感じた。心が踊るような感覚は久しぶりで、刺すような寒く冷たい空気も一瞬にして忘れてしまいそうだった。 「お母さんも、こういうの好きだろうな」  あおいはふと、母親の顔を思い浮かべる。けれど、瞬時に打ち消した。昨日、あおいの帰宅時間が遅いと電話で喧嘩したばかりだ。 「バイトくらいしたいわよ。もう」  あおいは勉強もバイトも楽しくて仕方がない。忙しくも充実した生活だ。とはいえ、あおいの帰宅が深夜に及ぶような事はこれまで一度もなかった。親にすればいくらでも心配だろうが、気を付けていても尚口を挟まれる事が、あおいには気に食わないのだ。  その時、ショーウインドウから店の真ん中に置かれた棚が見えた。そこに陳列されている小さな箱があおいの目に留まる。やや薄暗い店内でも、それは一際目を引いていた。  あおいはまるでその小箱が自分を呼んでいるかのように感じた。その瞬間から喧嘩の事も忘れ、他の商品は一切目に入らなくなった。吸い寄せられるようにして店に入ると、あおいは小箱を手に取った。  小箱は、例えば勇者が旅の途中で見つける宝箱を、手のひらに収まるサイズに縮めたような造りだった。円柱を縦半分に切ったような形をした蓋と、長方形の箱の部分の外側にはキラキラ光る赤い小石がいくつも散りばめられている。  一見かわいらしく見えるが、古ぼけてくすんだような金色の縁取りには重厚感がある。蓋を開けて中を見ると、内側には深い緋色のビロードが張られている。つやつやとした布の感触がなめらかで、何とも心地良い。また、その緋色とくすんだ縁取りの色合いが、開けた瞬間に中からモンスターが飛び出してきそうな怪しい雰囲気を醸し出している。  あおいはこの宝箱がすっかり気に入ってしまった。それは一点物で、貧乏学生には少々高い。けれど意志は揺るがない。所謂「一目惚れ」、そして「衝動買い」である。それでも後悔はしないと確信し、既に買う以外の選択肢はなかった。  会計を済ませたあおいは、いそいそと帰宅した。   家に帰ると、あおいは蛍光灯からの紐伸びる紐をぱちんと引っ張った。少し遅れて明かりが灯ると、物の少ないがらんとした部屋が壁までよく見える。  鞄をハンガーラックの足元に置いて、マフラーを外す。それを上着と一緒にハンガーにかけた。そしてラックの側の壁に付けてあるリモコンを操作し、エアコンのスイッチを入れた。  宝箱の入った包みを取り出し、あおいは丁寧に包装紙を開いてゆく。宝箱とのご対面だ。あおいは良い買い物をした満足感に浸り、宝箱を手に取ったままうっとりと見つめた。  ひとしきり眺めると、あおいは宝箱をワンルームの部屋の真ん中にあるコタツの上にそっと置いた。いよいよ蓋を開こうとしたその時、箱の中からゴトリと音がする。重そうな何かを床に置いたような、鈍い音だった。  宝箱の中は、確かに空だったはずだ。けれど、あおいには空耳とはても思えなかった。あおいは箱を持ち上げて、耳元に近づける。そのまま箱を上下に軽く降ってみると、今度はカシャカシャと金属が擦れたような音がした。それと同時に、「ぐえ」と潰れたカエルような声も僅かに聞こえた。  あおいはもう一度、宝箱をこたつに置いた。この中には何かが居る。恐らくそれは物ではない。生きている何かだろう――あおいの第六感が訴えている。  あおいは宝箱から目を離さずに大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。この行程を数回繰り返した後、何か武器になるものはないかと部屋の中を見渡した。  ベッドには枕くらいしかないし、ハンガーラックのハンガーは全て服で埋まっている。台所の物は使いたくない。部屋を眺めていると、玄関先に置いていた殺虫剤が目に留まる。あおいはそれを手に取った。 「本当にモンスターが出てきたりして」  あおいは一人ごちて、牙を剥き出しにした竜が火を噴く姿をを想像してしまった。 「まさか、ね」  流石に竜はない。あおいはは期待を込めて、想像の竜を即座に打ち消した。いつの間に入り込んだのかはわからないが、せいぜいゴキブリやその類だろうと考え直す。あおいは宝箱の蓋をゆっくりと開いた。  しかし、箱の中から出てきたのはゴキブリでも竜でもなかった。甲冑を纏った剣士がぬっと顔を出したのだ。その瞬間に、あおいは彼としっかりと目が合った。  あおいははっと息を飲んだ。呼吸を忘れて驚く。けれど次の瞬間、彼女は慌てて宝箱から手を引っ込めた。その勢いのまま尻餅をつく。  剣士は薄い紫色の瞳を見開いて、容赦ない視線であおいを睨みつけている。彼は左手で兜を抱え、右手に握るサーベルの切っ先を真っ直ぐにあおいの喉元へ向けていた。その様子はとても勇ましいが、彼の身長は15センチほどだ。手のひらサイズの剣士である。  剣士は赤茶けた髪を高い位置で一つに結い、しっぽのように肩まで垂らしている。西洋風の鎧を身に付け、その下には和服のような群青色の襟が見えた。  鎧で隠れているが、裾を絞った袴ような形の薄い灰色のズボンを穿いている。その上にこげ茶色の膝下まであるブーツを履いていた。手には上着と同色の手甲を付け、その指には幾つかの指輪が光る。  目つきは頗る悪いが、よく見ると整った顔をした少年だ。右の頬を怪我していて、そこから血が流れている。血が彼の肩を伝い、服や鎧を汚していた。けれど、それらを差し引いても彼は綺麗な顔つきをしている。  暫くの間、あおいと剣士は睨み合いを続けた。ベッド脇に置いた時計がカチカチと時を刻むのが、あおいの耳に嫌味なほど響く。  お互いに目をそらすことのないまま数十秒経つ頃、遂に剣士が口を開いた。 「……お前は誰だ。ここは、どこだ」  剣士はあおいを見張るように注視しつつ、同時に周りの様子も窺っている。見慣れない場所への戸惑いと、焦りの色が色濃く見えた。敵に攻め込まれているかのような険しい表情で、今にも張り裂けそうな殺気を放っている。その刺々しさは、あおいに抜き身の刀を連想させた。  だが、同時に剣士の痛々しいほど張りつめた雰囲気からは、納めるべき鞘の無い、何かの拍子にポキンと折れてしまいそうな危うさも感じられる。  剣士の頬からは相変わらず血が流れている。血の滴がぽたりと彼の肩に落ちた。 「あなたこそ、誰よ。何も入っていなかったのに……」  掠れる声を振り絞り、やっとのことで言い返した。とはいえ、あおいも困惑しきっている。  心の準備はした。けれど、起こったのは「まさか」で片付けた事とそう変わらない。  現れた本人は相変わらず目を吊り上げてかなり興奮しているし、どう接するべきかなど、あおいには咄嗟には思いつかなかった。 「知るか。いきなり閉じこめられた身にもなれ」 「わたしだって知らないわよ。小物入れから人が出てくるなんて思わないもの」  小さな剣士は切っ先をあおいに向けたまま、素早く兜を被った。あおいから目を離さずに少しずつ移動する。そして、箱から足をそろりと出して素早く跨いだ。流れるような身のこなしは、彼が相当な手練れあると伺える。 「お前、帝国の手の者か」 「……帝国? 」  あおいは眉をひそめて聞き返した。  今時、帝国などという国などあっただろうか。考えを巡らせていると、剣士は苛立ったように畳み掛ける。けれど、知らないものは知らない。 「モルトベーネ帝国の者かと聞いている」 「だから、そんなの知らないわよ。いい加減にして。だいたい、剣なんか振り回して危ないじゃない」  まくしたてるように強く言い返したものの、あおいはますます分からなくなるばかりだった。  あおいは帝国など知らない。だが、剣士はあおいがしらばっくれていると思っている。どうも会話が噛み合わなかった。  それに、自分よりもはるかに大きなあおいに、剣士は畏れおののいている。彼はますます殺気立った。  剣士の頬の血は止まる気配がない。ぽたぽたと落ちる血が、彼の顔や首を伝って服や鎧を汚していた。  あおいはよくわからない帝国よりも、剣士の怪我の方がよほど気になっていた。見れば見るほど痛々しい。 「それより、あなた。頬を怪我しているわ。早く手当てしないと」 「……え? 」  剣士は左手で傷をさっと触れた。彼はあおいに指摘されるまで、怪我に全く気付いていなかった。心配するあおいに、彼の纏う空気はほんの少し緩んだ。 「これくらい、ただのかすり傷だ。舐めておけば治る。気にするな」  剣士はそう言うと、構えていたサーベルを静かに下ろした。同時に厳しい表情も少し和らいだが、目つきは据わったままで眼光も鋭い。抜き身のサーベルはしっかり握ったまま、まだ警戒を解かないでいる。 「舐めて治るような怪我には見えないわよ。ちょっと待ってて。救急箱を取ってくるから」  そう言ってあおいは部屋の隅にある押し入れへ向かう。あっさり背を見せて離れて行くあおいを、剣士は呆気にとられて見送った。
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