プロローグ

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「架音先輩、次の小説で弓道部を取り上げたいんですけど、近々取材に行って良いですか?」 「ああ、良いよ。何なら今日来るか?今日は普通に活動日だし、顧問に話つけとくぞ」 「あ、良いんですか?…分かりました。弓道部に差し支えが無いのなら、今日の放課後に伺います」 「おう、待ってるから」  魅音ちゃんに似た瞳が笑いを湛えるのを見届けて、私は小さく一礼を返した。  今年で三年生になる架音先輩は、弓道部の副主将を務めているらしく、実力も主将に次いで部内二番目だとか…。昨年の新人戦ではA立を務め、県大会でもなかなかの好成績を収めたらしい。  …次の地区総体が、最後。いつか、架音先輩が笑いながら言っていた事を思い出す。負けたら終わってしまうのに…架音先輩の笑顔は、見慣れた屈託の無いもので。  …心の中で、彼はどれ程の恐怖を抱いているのだろう。  ギュ、と腕の中のルーズリーフを強く抱き締めた。  そして、訪れた放課後。 「…誰だテメエ」  弓道場に近づくと、突然唸り声のように低い声が私の鼓膜を震わせた。目を向けると、そこにいたのは、鋭くこちらを睨み付ける学ラン姿の男子生徒。 「…お前、弓道部の奴じゃねえな。用が無いなら今すぐ帰れ。部外者は来んじゃねえ」 「え…えっと……」 「おい魁斗!何してんだよ!」  バタバタという慌ただしい足音の直後、現れた架音先輩が、私の眼前の青年を怒鳴りつけた。その直後、魁斗と呼ばれた緩い黒髪の青年は、小さく溜め息を吐いて 「…はいはい。分かったよ、架音。それにしても、二年生が来るなんて珍しいね。入部希望者?」 と柔らかく笑う。 「違います。えっと…文芸部に所属する天宮茜音です。次の小説の取材に来ました」 「俺の中学の後輩なんだ。魅音と同じバスケ部だったけど、桜楼に来てからは文芸部に進んでる」 「…そっか。だから架音と知り合いだったんだね。僕は夜桜魁斗(よざくらかいと)。弓道部の主将を務めてて、架音とは隣のクラスかな。中学の時はバスケ部で、成瀬ちゃんみたいにPGだったよ」 「んで、今は剣道部主将の神楽雅音(かぐらまさね)って奴と付き合ってる。茜音も知ってるだろ?ほら、京都弁の髪長い三年。…つか魁斗、お前生徒会長なのに何で彼女は無所属なんだよ。いっそアイツも生徒会に誘ったら良いじゃん。いっつも『人手足りない』とかぼやいてるくせに」 「そんな訳にはいかないよ。雅音も剣道部の仕事で手一杯だからね。それに、桜楼の生徒会は会内恋愛禁止だし」  柔らかく笑った夜桜先輩は、「あ、取材だったんだよね。どうぞ」と弓道場へと手で促す。 「魁斗、後は茜音の事宜しく。俺顧問のトコ行って来るから」 「ん、おっけ」  軽く手を上げ、セミナーハウスの方へと走って行く架音先輩。 改めて夜桜先輩に一礼すると、ふと「天宮ちゃん」と柔らかい声が掛けられた。 「…夜桜先輩?どうかしました?」 「…唐突なんだけどさ、天宮ちゃんの眼鏡って度が入ってる訳じゃないよね。噂で聞いたんだけど、目は悪くないんでしょ?」 「あ…はい。これは単純にブルーライトカットなんです。部室ではいつもパソコンを弄ってるので…。…と言っても、本気を出したい時は外しますけど」 「そっか」 「…でも夜桜先輩、何でいきなり眼鏡の事なんて…?」 「ん?ああ、天宮ちゃんの眼鏡が剣道部MGの眼鏡と似てたからね。彼女も天宮ちゃんも同じ赤フレームだから、気になっただけ」  興味本位だよ、と悪戯っぽく笑う夜桜先輩。その笑顔から裏なんて読み取れなくて、私は彼に曖昧な微笑みを返した。 「あ…紫織ちゃん!」  弓道場への訪問の数日前。人混みの中に緩やかな黒髪を見つけた私は、彼女の名を呼んだ。  夜桜紫織(よざくらしおり)ちゃん。女バスのエースや陸上部MGと共に名を馳せる『一年三大美人』の一人で……弓道部主将と生徒会長を務める夜桜先輩の妹。 「!?…えっと……?」 「あ…ごめん、私の事知らないよね。私は…」 「…知ってるよ。文芸部の、次の部長って言われてる天宮茜音ちゃんでしょ。お兄ちゃんから『小説面白いよ』って教えてもらったから」  紫織ちゃんはふわりと微笑んだけど、私の背筋はゾクリと凍りついた。…何故、夜桜先輩は『私』の事を知っているのだろうか。  浮かべた笑顔にぎこちなさを感じながら、私は「ねえ紫織ちゃん、架音先輩知らないかな?弓道部副主将の、成瀬架音先輩なんだけど」と問うた。 「成瀬君?…さっき、職員室前で荒木君と話してたよ。夏代君もお兄ちゃんの事探してたし、引継ぎの事なんじゃないかなあ」  がつん、と頭を殴られたようだった。  引継ぎ。それは、自動的に三年生の引退も示している。  架音先輩が射場に立てるのも、きっと残り僅か。 「…?天宮ちゃん?」  私の顔を心配げに覗き込む紫織ちゃんに、私はぎこちない笑みを返した。  …三年生の引退なんて、分かっていたはずなのに。  認めたくなくて、きっと逃げていただけ。 (…そうだ。次の小説は弓道を書こう)  これが、最後だから。  もう、『二度と』なんて無くなるから。  射場に立つ貴方の姿を、最後に私に描かせて下さい。
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