プロローグ

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 そして、そんな出来事から一週間が経った放課後。 「文芸部です。部誌『若桜』、発行しました」  職員室近くの階段に積まれた若草色の冊子を一瞥して、私は小さく息を吐いた。  表紙を飾る可愛らしいイラストを一枚捲れば、『目次』の真下に羅列されているのは『LiaR』の四文字。  今回『LiaR』が発表した作品は『If you…』。弓道部員に恋する文芸部員を描いた物語で、片想いの淡さやもどかしさ、主人公の心情を鮮やかに描いている。  …そして、今までの『LiaR』の作品とは全く異なって、二人の気持ちが擦れ違ったまま物語が幕を閉じる。  『LiaR』の代名詞でもあった『ハッピーエンド』が覆された今作は、発行から僅かしか経っていないにも関わらず大きな反響を呼んだ。  …メリーバッドエンドにした事に、後悔していない。私の小説なんて、所詮は夢物語にすぎないのだから。  なんて、自嘲げな笑みを零した私に、突如秋瀬先輩が「天宮」と声を掛けた。 「…何ですか」 「…読んだぞ、『If you…』。…あれに出て来る文芸部員って、お前の事だろ」 「……」 「で、弓道部員が架音か。…お前、どーすんだよ。架音の事が好きなんだろ」 「…秋瀬先輩に何が分かるんですか。私は、この桜楼に来る前から、魅音ちゃんと架音先輩の背中を見て来ました。私にとってのあの二人は、姉であり、兄であり、先輩です。…ずっと慕って来たんですから」 「…お前は、今の関係を崩したくない訳?架音とも魅音とも、今のきょうだいみたいな立ち位置でいたいのか」 「…そうですよ。私は『LiaR』…嘘つきですから。…結局、正直になって、大切な物を失うのが怖いだけなんです」  今の私は、端から見たらさぞかし滑稽に映る事だろう。  都合の良い御託や言い訳を並べて、自分の身を『嘘』で固めて…結局の所、ただ臆病なだけなのだから。  思わず顔をしかめる私に、秋瀬先輩は「…そうか」と、ただ小さく頷いた。 「…今の事、全部架音に言って来いよ。大丈夫だって。アイツがその位でお前を突き放したりしない事、お前が一番知ってるだろ?」 「…でも……」 「良いから良いから。ほら、早く行って来い。確か今日、弓道部はオフ日になったはずだしな。架音の事だから、どうせ教室で魁斗と駄弁ってんだろ」  ひらひらと手を振ると、秋瀬先輩は「頑張れよ~」とおどけたようにニッと笑う。 「…有難うございます。後輩の背中を押してやるなんて、秋瀬先輩にはガラでも無いですね」  唇を弧に歪めると、私は部長に背を向けて走り出した。 「架音先輩!」  三年一組教室の扉を勢いよく開けると、それまで談笑していた二人の男子生徒が揃ってこちらを振り向いた。 「茜音…?」 「天宮ちゃん?」  真っ直ぐな短髪と緩やかな癖毛、二つの対称的な黒髪が、驚いたような、訝しむような瞳をこちらに向ける。  …だけど、夜桜先輩はフッと笑みを零して、 「…良かったね、架音。なら僕は邪魔って所かな。二人とも、後はごゆっくりね」  と教室から出て行ってしまった。  そして、流れた束の間の沈黙を、架音先輩が「茜音」と打ち破った。 「はい」 「…率直に訊くぞ。『LiaR』ってお前の事だろ」 「……はい。すみませんでした、黙ってて」 「俺さ、去年のデビュー作からずっと『LiaR』の小説を読んで来たんだよ。凄かったよ。情景も描写も鮮やかだったし、『物語』としての纏まりも綺麗だったし。…全部ハッピーエンドだったから、『LiaR』は優しい奴なんじゃないかって思ってた。でも今回はメリーバッドエンドだったから…。相当切れ者だったのも納得だよな。何せ、茜音が『LiaR』だったんだから。…正直な所、『LiaR』が茜音で良かったって思ってる。だって俺……」 「架音先輩」 「……?」 「その先は、私に言わせて下さい」 「茜音……」 「…私、ずっと嘘をついて来たんです。自分の想いが叶わないからって、醜い願望を読者に押しつけて。『LiaR』っていう名前に甘えて、自分の殻に閉じ籠もって。…同じ片想いの身でも、魅音ちゃんの方がずっと純粋ですよね。魅音ちゃんは、相手の想いも幸せも理解した上で、自分から身を引いてるんですから」  そっと閉じた瞼の裏に、屈託無く笑う魅音ちゃんの姿が蘇る。 『魁斗君と幸せになれるのは、雅音しかいないから』  …でも、その明るい笑顔の片隅に、ひっそりと涙が滲んでいたのを私は見逃していなかった。例え自分が傷つく事になっても、他人の為に笑える気丈さ。…魅音ちゃんが見せてくれた強さを、私は持っていなかった。  だから…。 「私には、『嘘つき』を名乗る資格なんてありません。私の『嘘』は全部自分に都合の良いものばかりで、魅音ちゃんのように他人を思いやれる強さはありませんでしたから。だから…もう、嘘はつきたくないんです」  小さく息を吸った私は、視界を彩る赤色を取り外して、目の前に立つ人物をしっかりと見据えた。  直後、吹奏楽の音色と共に吹き込んだ心地良い風が、五月の薫りを乗せながら私の髪をさわさわと揺らす。  私は『LiaR』。  全てを偽って、嘘を吐き続ける人間。  …でも、もうそんな事どうでも良いから。 「……架音先輩、好きです」  愛しい貴方の前だけでは、素直な私でいても良いかな。
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