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ふと目覚めた時、ぼんやりしたまま目を開くと、遮光カーテンの間から差し込む一筋の光が殺風景な部屋のフローリングをわずかに照らしていた。 時間を確かめようと携帯に手を伸ばそうとして、枕元に置いていたその携帯が着信を知らせて震えていることに気付いた。アラームが鳴ったわけでもないのに目が覚めたのは、その振動音のせいだったらしい。 放任主義の母親が、さすがに外泊の多い息子を叱るために電話をかけてきたのかと警戒したが、ディスプレイに表示されていたのは意外な名前だった。 ガバッと起き上がり、慌てて電話に出る。 「圭人?どうした?」 背後では名城がこちらに背を向けて眠っている為、小さめの声で応答すると、向こうから『ごめん、こんな時間に』と、圭人の遠慮がちな声が聞こえてきた。 「いいって。つか、今、何時だ?」 『8時だよ。もしかして今起きたのか? 学校、間に合うのかよ』 「え、8時? マジか。んー、急げば間に合うかもだけど…」 『急ぐ気ねえだろ』 硬い声で電話をかけてきた圭人だったが、一希の間の抜けた返事に笑っているようだ。 名城のベッド周りには時計がなく、いつもは携帯のアラームを利用しているが、昨夜は2人してアラームをかけ忘れたらしい。 てっきりまだ早朝だろうと思っていた一希は、もう始業時間に間に合わせることは諦めたが、一応、名城の肩を叩いて起こしてみる。しかし予想通り、身動ぎ一つしない男を起こすのはすぐに諦めた。 「それより、どうしたんだよ。何かあったのか?」 『……』 聞いても、圭人は沈黙しているだけだ。えっと…などと言い淀んでいる声は聞こえるので、話す気がないわけではないというのは伝わってくる。 圭人は外から電話をかけてきているらしく、時折、人の話し声や通り過ぎる車の音などが聞こえてきた。そのまま話し出すのを無言で待っていると、背後で名城が起き上がる気配がした。 「何時…」 昨日の圭人との会話を思い出すと、名城と一緒にいることを悟られるのが恥ずかしくて、一希は無言で名城の携帯を彼に手渡した。さらに自分の耳元に携帯を当てているのを見せると、名城は眠そうな目をしながらも理解してくれたようで、手渡した携帯を受け取って時間を確認した。 遅刻しないように登校するには相当急がなければいけない時間だったせいか、大きなため息をついている。 「とりあえず今どこにいるんだ?外にいるんだろ?」 圭人から返ってきた答えは、一希が母親と一緒に住んでいる自宅の最寄り駅の名前だった。 「は⁉︎ こっちに来てるのか? なんで…、いや、体調は?」 片道3時間もかけて訪ねてくるなんて、何かあったに違いない。しかも仕事を休むほど体調を崩しているはずなのだ。昨日も話をするのは楽しそうだったが、顔色がいいとは言えないような状態だった。 『体調は大丈夫なんだけど…』 「けど?」 『俺、家出してきた』 「家出⁉︎ なんで!」 『うん…』 圭人は再び無言になってしまった。 昨夜の名城の心配が頭をよぎる。まさか本当に殴られたのではないかと考え出すと、居ても立ってもいられなくなる。 こうして圭人が話し出すのを待つことしかできずにいるのは性に合わない。 「とりあえずそっち行くから。ちょっと待ってろ」 そう言って、一希は名城の部屋を飛び出した。 「例の男のとこにいたのか?」 駅前で落ち合った圭人が、ニヤニヤしながら尋ねてきた。否定することもできず、ただ「バカヤロウ」としか返せない一希だったが、そんな圭人の顔色を見て少しホッとした。 圭人の顔に殴られたような跡はなく、顔色も表情も心なしか昨日より明るく見える。 「で?どうしたんだよ。ここまで結構時間かかるだろ。え、お前、何時に向こう出てきた?」 「…始発で来た。遠くてびっくりしたわ。お前よくこんな時間かけて2回も来たな」 「まあな。とりあえずうちに…、いや、ババアに見つかったら面倒くせえ」 自宅では、早朝に仕事から帰宅した母親が寝ているはずだと思い出す。 しかし引っ越し前の家に遊びに来ることが多かった圭人は母親とも仲がよく、懐かしそうに目を細めた。 「何年も会ってないわけじゃないけど、懐かしいな。今度はおばさんにも会えるように土日に来るわ」 「ああ、今度な。とりあえず、どうすっかな…」 早朝から開店している店にでも入ろうかと周りを見渡した時、ポケットから着信音が響いた。名城からだ。 『友達には会えたか?』 慌てて名城の家を飛び出してきたが、電車を待つホームで大まかな事情は説明しておいた。 「ああ。今、一緒にいる」 『込み入った話するなら、うち使うか? 俺は学校行くから、来るなら下の郵便受けに鍵入れとくけど』 「え、いいのか?」 『ああ。…殴られてなかったか?』 「…今んとこ大丈夫そう」 『そっか。何かあったら連絡しろよ。勝手に殴り込みに行くなよ』 「うるせえな」 すぐにカッとなる自分の性格をからかわれて、更に心配されている様子なのがくすぐったい。わざとぶっきらぼうに言い放って通話を切ると、圭人が不思議そうな顔をして見ていた。 「なんだよ」 「ちょっとだけ聞こえてききたんだけど、殴られてなかったかって、俺の事?」 「あ、悪い。別に本気でそう思ってたわけじゃ…」 「なんでわかった?」 余計な心配をしていたのが気に障ったのかと、弁解しようとした一希の言葉を、圭人があっけらかんと遮った。 「は⁉︎ 殴られたのか?」 「あ、いやまさか。殴られそうになって殴り返した」 今度は一希が不思議そうな顔をする番だった。色々と聞きたい事が溢れそうになったが、辺りが少しずつ賑やかになってきたことに気付く。 この駅は学生達の通学ラッシュが終わりると、今度は出勤ラッシュで人が行き交うようになる。そんな中、学生服の一希は少し浮いているように見えた。 ありがたく名城の部屋を使わせてもらうことにして、圭人を改札へと促した。 「へ〜、男子高校生の1人暮らしって感じだな」 名城の部屋に上がった圭人は、殺風景な部屋を興味深そうに見渡した。 「あんまりジロジロ見るなよ」 「なんだよ。別にベッド見ても変な妄想なんかしねえから安心しろって」 「うるせえ!」 真っ赤な顔で繰り出した拳を、圭人は笑いながら避けた。一希も深追いせず、火照った顔を冷ますためにコーヒーでも入れようとキッチンに立つ。 昨夜から自分の中にある甘っとろい感情を見て見ぬ振りをしていたのだが、圭人のからかいが呼び水となって、いつになく密度の高かった情事を思い出してしまった。 しかも、いつも2人きりだった空間の中に親友がいるというのも、一希をソワソワさせる原因だった。 ヤカンを火にかけながら、ポケットから出したタバコに火をつける。咥えタバコのままインスタントコーヒーをカップに入れ、湯が沸くのを待っている間に少しずつ気持ちが落ち着いてきた。 無言で待っている圭人を振り返ってみると、小さなテーブルの前で胡座をかいた膝の上に頬杖をつき、何事か考え込んでいる様子だった。 やがて湯が沸き、圭人の前にマグカップを置くと、ハッとしたように「サンキュ」と礼を言ってきた。 向かいに腰を下ろした一希は、圭人がコーヒーを口に運ぶのも待てずに、「で?」と話を促した。 圭人ははぐらかすように、できたてのコーヒーを啜る。 「なんだよ殴られそうになったって」 せっかちな一希は、待てずに重ねて問いかけてしまう。気分を害した様子もなく、圭人は苦笑しながらカップを置いた。 「昨夜さ、言ってみたんだよ。入れてすぐに動かないで、ちょっと待ってほしいって」 生々しい話が始まり、予想はしていたが、一希はなんとなく親友の顔を見ていられずにタバコの灰を灰皿に落とした。圭人も一希からは目を逸らし、テーブルのマグカップを見つめながら話している。 ポケットから出したタバコを勧めると、圭人は首を振って断ってから話を続けた。 「でも、ムリって一言で片付けて、その…、続けようとするから、一回抜かせたんだ。っつうか、こっちが腰引いたんだけど」 「ああ」 さすがに話しづらそうにしているので、一希は何気なく相槌を挟む。しかし眉間に皺が寄ってくるのは隠せずにいたのだが、俯いたままの圭人は気付いてもいないようだ。 「そしたらすげえ慌てて、ゴメン、ゆっくりするからって謝ってきたから再開したら…、また」 一希の表情に気付いた圭人が、そこで言葉を止めて困ったように笑った。 「んな怒んなよ」 「悪いけど、ありえねえだろ。突っ込んでいきなりガンガン突かれるとか、考えただけで寒気する」 「でも、我慢するのが辛いのも…やっぱりわかるし」 確かに名城も、中で動きを止めているのは拷問だと言っていた。同じ男同士だし、それもわからないでもないが、相手に痛いと言われたら普通は気遣うだろう。 「今まではそう思って頑張ってたんだけどさ、一度怖気付いたらもう、その痛みが耐えられなくて…、自分でも情けねえと思うけど」 「情けなくなんかねえだろ。ケンカで怪我するのが怖いとか言いだしたら蹴り入れてやるとこだけど、それは違うだろ!」 一希は思わず、テーブルに拳を打ち付けた。華奢なテーブルがひっくり返りそうになるのを、圭人が慌てて押さえる。 「で?」 他人事ながら興奮を抑えられない自分をごまかすように先を促した。そんな一希の性格をよくわかっている圭人は、笑いながらも話を続ける。 「で、俺もちょっと頭に血が上って…、なんでそんなお粗末なセックスしかできねんだよ、って…」 「…言ったのか?」 ポカンとしたまま聞くと、圭人はコクンと頷いた。 「そんで、突き飛ばした。そしたら、自分で解しとくくらいの気を利かせろよ、とか言うから、てめえは何様だこの甲斐性無しっつったら、殴られそうになって、無意識に避けて殴り返してた」 想像を絶する話に、一希は言葉が出なかった。ただ、圭人が殴られなかったことにホッとした。体調が悪い上に怪我などしたら、病院沙汰になっていたかもしれない。 そこで圭人の顔色が随分よくなっていることに気付いた。 「とりあえず、殴られてなくて安心した。今日は顔色もいいし」 「ああ。まあ、体調が悪いっつっても出勤前に中出しされてトイレから出られなくなるとか、ケツが痛くて座れないっていうだけだから、1日空けると随分違うな」 「…なんでそんな奴と付き合ってんだよ」 「ほんと、なんでだろな」 自嘲気味に笑う横顔を見て、一希の胸が痛む。昨夜、名城に対する自分の気持ちを自覚したせいか、今までは理解できなかった圭人の気持ちがなんとなくわかる。自分の気持ちがわからなくなったり、わかっていても離れられなかったり。 一番辛いのは圭人なのに、それを理解しようともしない親友に責められるのは更に苦しかっただろう。 一希は今までの自分の行動を反省して、圭人に提案した。 「とりあえず、会って話してみないとだな」 「あれ、今すぐ別れろって言わないのか?」 「…まあ、お前次第だろ」 自分ではままならない気持ちがある事を理解した一希の変化を、親友である圭人はわかっているのかもしれない。今までと意見が変わったことをからかうでもなく、圭人は嬉しそうに笑った。
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