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初めて男同士のセックスを経験した次の日、一希は地下へと続く階段の前で立ち竦んでいた。 この先には一軒のゲイバーがある。高校をやめた一希の親友が、ここで働き出したと聞いたのだ。 電車ではるばる三時間もかけてやって来たのだから、この足を踏み出すべきなのはわかっている。 しかし、重たい足はなかなか動いてくれない。 何しろ今までの一希にとってはとても縁遠い場所だったのだ。そして、友人にとってもそうだったはずなのに。 もう何度目かもわからないため息をついたところで、突然、背後から野太い声をかけられた。 「ちょっと〜お。こんなとこに立ってたらジャマじゃないの。営業妨害?」 思わず後ずさりながら振り向くと、そこには見上げるほどの大男が立っていた。名城と同じくらい背が高い。 顔立ちは男だが、髪型はゴージャスなブロンドロングヘアーで、タイトなワンピースを身に付け、モデルのように姿勢がいい。骨格がもう少し華奢だったら、さぞ美人だったに違いない。 「あらっ、なあに、ひょっとしてうちで働きたいの?大歓迎よ〜。あんたみたいな美人なら、あっという間にナンバーワンよ〜」 一希の顔を見た途端、何故かコロッと態度が変わった。 夜の繁華街でホストの勧誘はしょっちゅう受けたが、ゲイバーの前で声をかけられたのは初めてだ。まさかオネエという人種は、男に抱かれた経験のある男を見抜く力でもあるのだろうか。 自分のセックス観を激変させた、めくるめく官能の一夜を思い出し、一希の顔が赤く染まる。 「やっだあ、シャイなのね。人見知りでも大丈夫よ。私達が接客の基礎から…」 「ちょ、ストップ! 俺、まだ高校生っす!」 「あるある〜。なんか親近感〜。私も高一で田舎を飛び出して、ここのママさんに拾われたのよう。そんな子たくさんいるから…」 「いや、俺、知り合いに会いに来ただけで…!」 「知り合い?」 ようやく一希の言葉に耳を貸してくれた。まだ落ち着かない頭で、しどろもどろに話し出す。 「あの、俺のダチがここで働き始めたって聞いて、どんな店なのか…、あーっと、心配で…、スンマセン」 心配だと言うのは失礼かと途中で気付いて、慌てて頭を下げた。すると目の前の大男は、気分を害した様子もなく優しげに微笑んだ。 「へえ〜、男子高校生の熱い友情かしら〜。ひょっとしてケイちゃんのお友達?」 「ケイ…? あ! たぶんそいつ!」 一希が訪ねてきた親友の名前は圭人だ。間違いない。 「じゃ、呼んできてあげるわ。いつも一番に来てるから」 そう言って階段を下りていく男に、慌てて頭を下げた。 昨夜、初めて男とのセックスを経験し、一希はすぐに圭人に会いたくなってここへ来た。どんな話をするのかは、まだまとまっていない。しかし一希は圭人をすぐに恋人と別れさせたいのだ。 圭人から、実は半年程前から男と付き合っていると聞いたのは、一希が引っ越してからの電話でだった。 正直、引いてる気持ちがありながらも理解のあるふりをし、馴れ初めや惚気話などを聞いていたが、相手の男が気に入らなかった。 年齢は20歳だというから、一希達の三歳年上だ。にも関わらず、高校を卒業してから二年間、アルバイトを転々とし、圭人と付き合い始めてからは、彼に頼りきりの生活をしているようだ。 元々、圭人は面倒見がいい。 中学の頃に初めて同じクラスになってから、一匹狼タイプの一希にちょうど良い距離感で親しくしてくれた。一希が喧嘩してるのを聞きつけると、素早く駆け付け、加勢してくれた。後輩にも慕われていたので、一希の転校と同時に高校を辞めると決めた時にも随分惜しまれていた。 親父さんと仲が悪く、よく喧嘩して痣を作っていたので、家を出て自立すると聞いた時にはホッとしたのに、今はその男と暮らしているという。 圭人が一希に内緒で、ゲイバーで働いているらしいと後輩から相談があったのは、ほんの数日前だった。すぐに圭人に電話をかけて問い詰めたが、どうせノンケの男には俺の気持ちは理解できないと言われ、カッとなって昨夜、駅前で男を物色したのだ。 結果、やっぱり圭人は今の男と別れさせるべきだと思った。男と付き合うことではなく、付き合っている男が問題なのだ。 名城をその気にさせる為に、男同士のセックスが気持ちいいらしいなどと誘ってみたが、それはネットで調べた情報で、圭人はまだ慣れなくて身体が辛いと言っていた。 それでも相手が自分の中で気持ち良さそうにしてるのを見て幸せになるなどと言っていたが、一希は相手の男だけがいい思いをしているのはおかしいと思うし、ちゃんと圭人が気持ち良くなるように考えているのかと問い詰めてやりたい。 実際に経験してみて、感じ過ぎて乱れまくった身としては、半年も付き合って身体に負担のかかるセックスしかできないなんて、挿れる側の怠慢ではないかと疑っている。 見ず知らずの男の尻だというのに、名城は一希の前立腺を探り、拷問だと言いながらも中で動きを止め、さらには中の刺激だけで絶頂を極める程に感じさせてくれたのだ。 一度、圭人も名城のセックスを経験してみればいい。 一瞬そんな考えが浮かんだが、何故か不愉快な気持ちになり、思い切り首を横に振って打ち消す。 その時、階段の下から「一希?」と声をかけられた。 見ると、すっかり変わり果てた姿の親友が、緊張感を漂わせながら立っていた。 「来るなら連絡くらいしろよ」 しかめっ面で階段を上りながら言われて、「悪い」と短く謝る。 「どうしたんだよ、急用?」 「急用…っていうか、あの電話のままじゃ、気分悪りいだろ」 「まあね」 視線を逸らした圭人の、内巻きに巻かれたボブヘアーが風に揺れる。 小柄な圭人は、女物のトレンチコートを来ていてもそれほど違和感はない。その下に着ているワンピースもだ。一希には逆にそれが違和感だった。 そしてその表情にも違和感を感じる。喧嘩した友人と会う気まずさはあっても、それだけとは思えない暗い表情だ。心なしか顔色も悪い。 「お前、体調悪いんじゃねえか?」 「別に」 短い答えが、一希の言葉が図星だったと教えている。 「また傷付けられてんじゃねえだろうな」 「そこまで干渉すんなよ」 圭人は一希の心配を拒絶するように、胸の前で腕を組んで目を逸らした。 親友の頑なな態度に傷つきながら、一希は階段の壁に背中を預け、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。 「昨夜、男とセックスした」 突然の告白で、さすがに圭人がこちらを見た。 しかし一希は視線を合わせる事ができずに、自分の足元を睨む。 「…は? 何言ってんの?」 「すげえ気持ち良かった。お前、入れられるのは痛いって言ってたよな。ちゃんと丁寧に手順を踏めば、男同士だって気持ち良くなるよ。なのに半年も付き合ってて、まだ痛いだけかよ」 「…何言ってんだよ」 圭人の纏う空気が徐々に殺気立つ。きっと一希の言いたい事はもうわかっているだろう。それでもあえて一希はそれを言葉にした。 「お前、恋人に大事にされてないんじゃねえの?」 飛んできた拳は、避けようと思えば避けられた。しかし一希はそのまま左の頬にそれを受け止める。 圭人の目は、まるで敵を睨むように一希を射抜いていた。一希も負けずに睨み返す。 「下らねえ男に引っかかってんじゃねえよ!」 「うるせえ! わかったようなこと言いやがって!」 「ちょ、ちょっと! あんた達なにやってんの!」 慌てた様子で店から飛び出してきたのは、先程声をかけてきた男だった。まだ途中だがメイクが施され、女性に近付いている。 「こんなとこまで来られたら迷惑なんだよ! 二度と俺の前に顔出すな!」 「言われなくても二度と来ねえよ!」 二人に背中を向けて、一希は駅に向かって歩き出す。本当は全速力でここから離れたかったが、プライドはそれを許さない。 精一杯肩をいからせながら、大股で歓楽街を突っ切った。 行き道と同じように、長い時間、電車に揺られていると、ムカムカした気持ちが徐々に収まってくる。自宅の最寄り駅まであと三十分程のところで、JRから私鉄に乗り換える。その頃には激しい後悔に襲われていた。 ただ傷付けたかったわけではない。 わざわざ自分を大事にしてくれない男と付き合うことはないと説得したかっただけなのに。 ホームを大股に歩いていると、向かいから見覚えのある集団が近付いてきた。誰だったかと記憶を探ろうとしたところで、遅れてこちらに気付いた男達が素早く一希を取り囲んだ。 「よ〜お。昨夜は好き放題やってくれたなあ」 先頭を歩いていたリーダー格の男に声をかけられて、公園で名城に絡んでいた連中だと思い出す。 後方にいる包帯やら絆創膏やらが目立つ男達は、手加減を知らない一希にやられた連中だろう。一際強い視線でこちらを睨んでいる。 「まさか昨日の今日で、この界隈を一人歩きとはなあ」 「なんかまずいっすかねえ。 そっちこそ、見たとこ昨日と同じメンツだろ? 昨日の今日で勝てるわけないと思うけどな〜。それとも丸一日、修行でもしてきたんすか?」 一希の意見に耳を貸さない圭人、圭人を大事にしない彼の恋人、説得の下手な自分。不満やら後悔やらでイライラしている一希は、すぐにでも当たり散らしたい気持ちを抑えたら、口から出てきたのはただの嫌味だった。 案の定、男達が色めき立つ。 「威勢のいいガキだな。一人でこの人数を相手に勝つ気でいやがる」 リーダーの男に嘲笑され、一希は無意識に目を眇めた。 勝ち負けなど、どうでもいい気分になる。ただこの鬱憤を晴らせるなら、相手だって誰でもいい。 「いいタイミングで現れてくれたなあ。俺、思いっきり暴れたい気分だったんすよ」 準備運動に手首を回しながら笑ってみせると、男達がさらに殺気立つ。 一希の手が早いのは昔からだ。先手必勝とばかりに、手近な男の顔を狙って拳を振り上げた時だった。 「おい、ご通行中の皆さんのジャマだろ」 そう言って背後からかけられた低い声に、一希の心臓がドキッと反応した。そして一希の手首を掴む大きな手が目に入り、さらに動揺する。 「お前、結構血の気が多いな」 背後から一希の顔を覗き込んできた名城は、呆れたような顔をしている。 「こんなとこでケンカしたら、すぐに警察呼ばれるだろ。また今度な。あんたらもいいな?」 混み合うホームを行き交う人達は、迷惑そうな顔をしながらも、一希達を避けて足早に通り過ぎていく。人混みの向こうには、駅職員の制服を着ている男性が二人、こちらを見ながら何やら話している様子が見えた。 一希に絡んできた男達も気付いたようで、舌打ちをして立ち去って行った。後に残された一希の手首を、掴んだままの名城が引っ張る。 「おい、行くぞ」 「勝手に行けよ」 普通に話しかけてくる名城に戸惑う。 昨夜、揃って二度目の射精を果たした後、ネットで後処理の仕方を調べた名城が、一緒にバスルームに入って手伝ってくれた。しかし中に出した精液を、突っ込んだ指で掻き出されるとどうしても感じてしまい、それに気付いた名城にまた身体中を弄られて喘がされることになった。 そうこうしている内に電車が動き出す時間になり、ホテルを出て早朝の駅で別れた。 つまり殆ど会話などしてないし、恐らく名城は一希の名前も知らない筈だ。 自分が自己紹介もしてないことに気付いたのは始発の電車の中で、もちろん連絡先も交換していないし、もう話すこともないだろうと思っていた。 どういうつもりなのか聞いてみようと顔を上げると、少し離れたところで、名城を待っている様子の女がいることに気付いた。昨日、名城が改札前で帰らせた女だ。 彼女か、それとも単に昨日の埋め合わせか。どちらにしても一希に構っている場合ではないだろう。イライラが激しくなり、胃が焼けそうなほどの怒りを感じた。 「離せよ」 「今日は随分イライラしてんな」 「関係ねえだろ!」 一希の手首を掴んだままの手を、乱暴に振り払う。すると今度はその手が一希の顎を掴んだ。 「おい、これどうした?」 「え?」 「口の横、赤くなってる」 圭人に殴られたところだった。 真剣な目で見つめられて、落ち着かない気分になる。間近でその顔を見ていると、昨夜、内部を擦られて喘ぐ姿を、上から名城にじっと見つめられていたことを思い出す。 身体に覚えのある熱が灯りそうになり、慌ててその手を叩き落とした。 「なんでもねえよ」 名城に背中を向けて、そのまま足早に歩き出す。 女を待たせているのだから、追いかけてはこないだろう。そう思ったのに、名城は驚く程早く追い付いてきた。 「おい、何があったんだよ」 肩を掴まれ、ゾクゾクとした何かが背中に走る。 足を止めた一希は再びその手を振り払って、背後に立つ名城を睨み付けた。なんとも言えない熱い感情が、身体の中で燻っている。 圭人に対する憤りや、女を連れている名城に対する苛立ち。それに加えて、ケンカを中断されたことで発散できなかったフラストレーションが、一希を手負いの獣のように興奮させる。 「余計な世話焼いてないで、さっさと女のところに戻れよ」 「あの女は放っといていい」 「彼女じゃねえのかよ」 「俺はそんな面倒くせえもん作らねんだよ」 「…あんた、変な病気持ってねえだろうな」 一希が顔を顰めると、名城はニヤリと笑った。 「ナマでやったのなんか三年振りだよ」 昨夜のことを思い出させるような発言は失敗だった。 名城の視線に、明らかに性的な色が混じった。一希の身体も、それを期待するように体温が上がる。 名城の手が、じっと見つめる一希の顎をそっと撫でて、優しく笑った。 「イライラしてるなら、一緒に運動してスッキリするか?」 その言葉に、一希ももう逆らう気はなかった。
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