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「そう言えば、お前、名前は?」 昨夜と同じように後処理を手伝ってもらい、湯を張った浴槽に向かい合いながら名城が聞いてきた。 一希は、駅でのイライラが嘘のように軽い気持ちで笑う。 「やっとか」 「ああ。さっき、ホームで声かけようとして、名前を聞いてなかった事にやっと気付いた」 名城も機嫌良く笑っている。狭い浴槽に男が並んでいる事も可笑しくなってきて、一希の笑いはなかなか止まらなかった。 「一希だよ。相原一希」 「一希、ね。俺の名前は知ってるんだよな」 「ああ。あんた有名人だよな。女癖悪いって噂聞いて知った」 「あっそ」 バツが悪そうに目を逸らした名城に、一希は驚いた。噂など意に介さないタイプかと思っていた。 「実際、見る度に違う女連れてるし」 「うるせえ」 「なんだよ。意外と噂が気になんのか?」 「ちげーよ。今までで一番体の相性がいい奴に言われるのが、なんかビミョー」 「一番?」 「ああ。…男同士って、誰とやってもこうなんかな」 「…あんた、まさか今度は男も手当たり次第…」 「やめろ。お前以外の男とヤる気なんか1ミリもねえわ」 何か意味が含まれていそうな視線で見つめられて、一希は考える素振りで目を逸らした。 「俺の親友は…、無理してるらしいけど。痛いんだってさ」 「ああ。カミングアウトしてきた親友か。…あ? お前、すげえいいらしいって言ってなかったか?」 鋭い指摘に、一希は笑って誤魔化そうとしたが、名城は睨みながら腕を伸ばしてきた。 「ちょ、やめろ」 「こっち来いや。騙しやがって」 脇腹を擽られて、狭いバスルームに一希の笑い声が響く。 イタズラな手はすぐに止まったが、気付くと一希の体は後ろ向きで名城の胸に収まっていた。ドキドキするが、別に不愉快ではない。遠慮なくもたれ掛かると、肩にパシャパシャと湯をかけてくれる。 「で? さっきはなんであんなイライラしてたんだよ」 温かい湯の中で優しく問われて、意地を張る気も湧かずに親友とのことを打ち明けた。 「ふーん、ダメ男に引っかかる奴の典型だな」 話し始める前に風呂から上がり、場所はキッチンへと移されていた。 一人暮らし用の簡易キッチンで、小さめの鍋に名城が手早く作ったカレーを混ぜる一希の隣で、名城はサラダを作っている。 「やっぱり?」 「ああ」 名城が咥えているタバコの灰が長くなっているのが気になってジッと見ていると、野菜を切る合間に、流しに置いてある灰皿に灰を落とした。そのタイミングで声をかける。 「なあ、俺にもタバコ」 「ん」 吸いかけのタバコをヒョイっと差し出され、素直に咥えた。 煙から感じていたバニラの香りをより強く感じる。 一口吸って、指で摘まんだタバコを見て銘柄を確認した。昨日、ホテルで吸っていたのとは違う女性人気の高い銘柄で、この部屋を訪れた女の忘れ物だろうかと思うと、何とも言えない嫌な気分になる。 「一希〜。お前、コーンとツナだったらどっちがいい?」 頭上に取り付けられている収納棚をゴソゴソ探っている名城に声をかけられて、一希はドキッとしながら「コーン」と答えた。 「オッケー」 コーンを手に取り、収納棚の扉を閉めた名城にタバコを差し出す。 「もういいのか?」 「昨日のと違うんだな」 「え?ああ」 名城は何故か眉間に皺を寄せ、難しい顔で一希の肩をガシッと掴んだ。 「おい、俺が家で吸ってるタバコの事は誰にも言うなよ」 「は? なんで」 「…似合わねえだろ」 「似合わない? …バニラの香りがってこと?」 一希の質問に答えず、名城は吸っていたタバコを灰皿で揉み消した。不貞腐れたような顔に、思わずぷっと笑いが漏れる。 「笑うな」 「これ、あんたが自分で買ったの? 女の忘れ物とかじゃなくて?」 「悪いかよ。本当は甘い香りがするのが好きなんだよ」 「服とかに匂いが付くんじゃねえの?」 「香水で誤魔化す」 「そこまでかよ」 コーンサラダを作り終えた名城が鍋の中を覗き込んだ時、フワッとバニラの香りがしてきた。 「あ、今バニラの匂いした。別に気にすること…」 言葉の途中で、突然チュッとキスされて、すぐには何が起こったのか理解できなかった。そして理解した途端、顔に熱が集まる。 「な、なんだよ。いきなり」 「え、ちょっとキスしただけだろ。そんな可愛い反応されるとムラムラ…」 「やめろ! ほら、もうカレーもできてるだろ!」 腰を抱こうとしてきた手を叩き落すと、名城はすぐに諦めて背中を向けたが、ボソリと「ケチくせえ」と聞こえてきた。 一希は顔を赤らめたまま、遠慮なくその尻を蹴っ飛ばした。
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